Episode132.5 side 尼海堂 忍の先手① 忍はそのことを知った
梅雨
もうじき長雨も明けるだろう中で聖天学院初等部の五学年では、新たな問題が立ち上がりかけている。
――あの百合宮先輩の衝撃的とも言える大事件が学院中に轟いてから、四年も経った。
その間にも本人はどこ吹く風で、次々と誰もが想像し得ないようなことを起こしていき、全体的に引き締められるような心持ちで過ごしていた。
本当に引き締められる。
だってあの人、たまに
あの人は本当に何を考えているのか分からない。神童とも呼ばれる人の考えは、凡人である自分程度では計り知れないということだろう。
この学院は二年単位でクラス替えが行われるが、自分と麗花は同じクラスになることはなかった。
自分はいま緋凰くんと同じクラスで、麗花が顔を覗かせる時に視線を背中に感じている。ビシバシ感じている。
そして麗花と言えば、三・四年生時は秋苑寺くんと同じクラスになっていた。
『どうして忍とではなく、あんなヘラヘラ男と一緒のクラスにならなければなりませんの!?』
そう言ってサロンで憤慨していた姿は、今でもよく覚えている。だって本人がいる場で言っていた。忘れられる筈もない。
そして、『え~? 俺は薔之院さんと一緒で嬉しいけどな~。友達じゃーん』と言って、『お友達(仮)ですわ!!』とバッサリいかれていた。
そんな麗花であるが、学院ではあの頃から変わらず気難しく怖いとして、近づきにくい存在とほとんどの生徒から認識されている。あんなに可愛い人なのに、不思議なものである。
ほとんどの生徒の中でしかし例外と言えば、四家の御曹司を除いたら代表的な人間は二人いる。
まず、同じファヴォリでもある中條。
彼女はどうもあの有栖川の一件から麗花のファンになったらしく、自分と一緒にいる姿を目撃しては、ギリギリとハンカチを噛みしめているのをたまに見掛ける。一昔前の漫画的な仕草をするような人物になった。
次に、新田家の令嬢。彼女は麗花を見ると頬を染めて、両手の拳を握って何か気合いを入れている。
そして麗花の隣に自分がいれば彼女に見つかり次第、「ひぇっ」と言って飛び退かれる。彼女に何かした覚えはないのだが。
そんな周囲のことなど二の次らしい麗花は麗花で、相変わらず嬉しそうな顔で自分と会話し、楽しそうに日々を送っていた。
麗花のクラスは現在5ーA。
誰と同じクラスかと言うと――――白鴎くんと同じクラス。
そして新たな問題とは、まさにこの5ーAで立ち上がろうとしていた。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「最近、ねぇ」
「Aの子達は遠巻きにするしかないそうですわ。ずっと同じクラスだったというので、他の方も強くは言えないそうよ」
「薔之院さまも何も仰られないそうですし」
自分も相変わらず気配を消して、教室で人間観察中。
現在のクラスとしては、その女子たちが話している内容のクラスの隣のクラスである、5ーB。
女子たちの話を聞いて思うことは、麗花は単に彼等に関して興味がないから何も言わないだけだろう、ということ。
彼女はファヴォリとして百合宮先輩の件があってからは、一層その責任感が強くなった。
だから特に今のところ問題も起きておらず、普通にクラスメートとしての距離を保っているのならと、普通にスルーしているだけだと思う。同じクラスだし。
女子らがザワついている内容はこうである。
少し前から、白鴎くんは同じクラスの女子とよく会話をするようになったと。
女子との会話なら話しても一、二行くらいで終了させる白鴎くんが、その女子とのレスポンスは複数行で続けていると。
この五年間ずっと同じクラスで接点はあったが、以前はそんな関係ではなかった二人。ここ最近急接近している二人に、白鴎くんファンの女子たちは心穏やかではいられないと言う。
「……」
少しだけ、眉を寄せる。
別に誰が誰と仲良くしようと自分はどうでも良いとは思っているが、相手が相手なので引っ掛かっている。
水島 美織。
四年前に一度気にして、その後少しして個人的に“彼女”の言った意味を把握した、ある意味問題のある人物。
新田さんはあの時、水島さんのことを仲良しだと思うと口にしていて、確信が持てなさそうな言い方をしていた。後から知れば、水島さんはちゃんと新田さんのことを大切な友達だと思っていた。
毎年行われていた催会に誘わないのも、家族に会わせたことがないのも、水島さんなりに新田さんを守ってのことだろう。
思い出す、あの時のこと――……。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「成敗とかしなくていいから! 麗花は忍くんと楽しく学院生活を送ってくれるだけでいいからね!」
麗花がとても影響を受けている、彼女曰く自分に良く似ているという友達。
言いたいことをポンポン言って、麗花も楽しそうに受け答えしていたあの時。遠山家の親戚だと百合宮先輩は口にしていたけれど、事情があって正体は明かせないと言っていた彼女。
麗花はかっちゃんと呼んでいて、百合宮先輩もそう呼んでいた。
彼がちょくちょく気にしていたことから、百合宮家と
話し方もそうだし、何より印象が全く異なる。
絶対に美少女は人に無理やりサングラスを掛けさせるとか、破天荒なことはしない。
渋々と麗花が彼女を傷つけただろう人物を特定するのを諦めた時、表情はサングラスで分からないのに、ホッとした雰囲気を感じ取った。
だから訊ねられた時に、麗花が無茶しないか見ておく、というような主旨のことを告げた。
――すると。
「うん。……お願いするね」
絶対に別人だと思うのに、微かな圧が。
“似ている”と。そう、思った。
意外にも約束通り麗花はあれからその事について触れることはなかったが、その後も妙に自分だけが気になって心に留めて置いていたら、その週明けに他のことで話を聞こうとしていた新田さんから思わぬ手がかりを手に入れた。
あの選抜リレー前に、偶々彼女と城山が言葉を交わしているのを見掛けていた。その時は特に何も思わなかったが、彼女が転んで麗花がすぐにその場に引き返した時に城山は――薄らと、笑っていたのだ。
まるで、狙い通りというように。
あれを見た時すぐに、わざと転んだのかと考えた。
恐らく麗花が引き返してもそうしなくても、どちらでも良かったのだ。
引き返せばファヴォリとしての規律違反。
引き返さなくても気づいていて助けなかった冷たい人間だと、吹聴もしくは印象付ける気でいた。
けれど。
「あ、あぁ。それなら、『始めが肝心ですものね。新田さまなら、薔之院さまも抜かせられるはずですわ』と」
聞いて拍子が抜けた。
それだけかと。
新田さんも不思議そうな顔をしていて、ではあれはわざと転んだのではなかったのかと考えを否定された。本当に偶然、だったのか?
妙に納得がいかなかったが、もう一つの気になることも聞いてみることにした。
仲が良いかと聞いたら、仲良しだと思うと微妙な返答。家に一度も招かれたことがなく、催会にも誘われず、家族にも紹介されない。
仲が良くて、そんなことは有り得るのだろうか?
普通に考えて敬遠されていると思うものの、ずっと付いて回っていたのに気づかれない自分から見た新田さんと水島さんは、とても仲が良さそうに見えたのに。
どこか歪な関係性にやはり引っ掛かって、かっちゃんの件とは関係ないかもしれないが、少し調べてみることにした。
教室内にいても人数が少ないサロンでも、探されないと見つからないというほど影が薄……気配を消すことに長けている自分。だから学年が違う三年生の階にこっそりいても、絶対に気づかれない自信はあった。
麗花の推測により三年生は候補に合致し、且つどこか歪な水島さんの兄である水島先輩。どんな人物なのか知るために赴いた、そこで。
どこのクラスの教室にもいない。
トイレかと思って行ってみたがいない。
体育か、移動教室かと思ってその日は諦めようとした時。
「……! ……っ!」
カタ、と微かな音とともに、何かの声が聞こえたような気がした。
気がつけば三年生の教室から随分と離れて、特別な時にしか使用しない、空き教室の方まで来ていた。自分が一人で考え事をしたい時によく行く非常口と同様、特に用もなければ人は訪れない場所だ。
「……?」
気のせいか。
引き返そうと、足を踏み出そうとして。
「……ゃっ!」
声が確実に聞こえた。
人気の全くない場所だから、どんな小さな音でも響いて聞こえる。特に自分は耳が良い方だから尚更。
何故だか、声の質を聞いた瞬間に嫌な予感がした。
忍者修行で会得した忍び足で音を立てぬよう歩き、声が聞こえたと思われる教室の扉窓から、恐る恐る中を覗き込んで。
理由が、解ってしまった。
麗花が疑問に思うような対策の仕方。絶対に犯人を探すなと言っていた意味。
麗花が諦めたのを見て、ホッと安堵していた様子。
咄嗟に偶然ポケットに入れていた消しゴムを手に掴み、後ろに下がって思いきり扉窓に向かって投げる。ボンッと音を立てて跳ね返ったそれを放置して、隣の空き教室の方へと身を隠した。
少ししてドタドタと足音がして勢いよく扉を開けて出て行ったのを耳で確認し、それが一人分だったため残っているもう一人の動向を息を殺して、気配を探る。
「……消しゴム?」
ゆっくりとした歩行で焦りもなく、のんびりとしたその声に、眉間に深く皺が寄る。
「そっか。今度からここもダメになったか。どうしようかな」
「!?」
有り得なかった。
わざと消しゴムをその場に残した。
誰かが目撃したと知らしめるそれを、軽く受け止めている。
普通焦るだろう!? 何でそんなに落ち着いていられるんだ!? 頭がおかし……!?
……だから、圧を感じたのか。
絶対に近づけるなと。
見つかったのに、次のことを考えている。
多分、こういう類の人間は言葉が通じない。
コツン……コツン……とゆっくり遠ざかる足音を聞いて、自分も扉を開け、その後を追う。遠く離れた後ろ姿を覚えて足音を立てずに付いていけば、その人物は探していた先輩の所属するクラスへと入って行く。
まさかという思いに、教室の近くまで近づいて聞き耳を立てると。
「水島くん、どこに行ってたんだ? ちょっと教えてもらいたいところがあったんだけど」
「え、どこ?」
――探していた人物と、危険人物が同じであった。
知ってしまった信じられない最低な事実に愕然として、ふらりと後ろに下がると。
「あれ?」
トン、と背が誰かに当たってしまった。
「すみませ…」
振り返ってまた誰にぶつかってしまったのかと見ると、思わぬ人がいて軽く固まる。
その人はファヴォリの先輩でもあり、この三年生の学年内ではトップの家格の人だ。百合宮先輩のように人に囲まれていて、いつも彼のように穏やかに微笑んでいる。
「珍しいね、一年生が三年生のフロアに来ているの。特に君が。何か用事でもあったのかな?」
「……」
信じられないことを、この人に伝えても大丈夫だろうか?
次を考えていることを知っている。だから阻止しないといけない。
けれど、自分はこの人の人間性をよく知らない。
知りもしないのに、あんなことは話せない。
何も言わない自分をどう思ったのか、その人の視線が自分から目の前の教室へと移って。
「あぁ。――――水島くんのアレ、見たの?」
大きく目を見開いてその人を見つめる。
知って、いたのか?
知っていて今まで放置していたのか!?
「……何故」
「前から言っているよ。それとなく注意しても聞いてくれないんだ。残念な人間だよ」
言葉が通じない人間なら、自分よりも家格が上の人間の言葉を聞かないなど容易に知れる。馬鹿な質問をしてしまった。
教師だって、あんな内容では現行を目撃しなければきっと動いてはくれないどころか、信じてさえもくれない可能性が絶対的に高い。
どうにも、できないんだろうか。もし。もしも麗花が、次の標的にされてしまったら……っ!?
「安心して」
有効な対策が思い浮かばず焦燥を募らせると、穏やかな声が降ってくる。微笑んだままのその人は、自分を見据えていた。
「こうして目撃してしまう子が出てきた以上、もう好き勝手にはさせないよ」
そう言って自分の肩にそっと手を置いて軽く叩き、その人は立ち去って行った。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
その後は確認も込めて何度か見に行ったが、確かに同じ場面を見ることはもうなかった。危険人物もずっと教室にいて、不審な動きなどは見なかった。
それは彼らが初等部を卒業するまで継続し、この五年生に進級してやっと解放されたと言っても良い。
けれど――。
「……」
ずっと引っ掛かっている。
あの人がその件で最後に口にした言葉が。
『こうして目撃してしまう子が出てきた以上、もう好き勝手にはさせないよ』
……裏を返せば目撃さえされなかったら、そのまま放置し続けていたということ。
面倒事には触れたくなかった?
しかしその言葉通りに、危険人物が再犯するのを目撃することはなかった。
動いてくれたのだと分かるけれど、どこか歪でおかしい。もうあの学年は全部が歪なことばっかりで、考えるのも頭痛がしてくる。やめたい。家に帰りたい。
……だから不安だ。
水島さんが白鴎くんと急接近していること。
麗花がその二人と同じクラスなこと。
そして。
――自分が見る水島さんの印象が、あの時と現在では違うことを。
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