Episode132 天蜻蛉⑥-理由-
状況としては、既に彼も分かっている筈だ。それなのに俯いて話し出す気配が微塵もないことに、内心溜息を吐いて話し掛ける。
「塩野狩くん。土門くんが貴方を連れてきたことは私に取っても予想外のことでしたが、私も教室であんなことを起こした手前、どう貴方をお呼び出ししてお話しようかと頭を悩ませておりました。もう貴方の後ろに上流階級の方がいて、私と太刀川くんの仲を違えさせるようにしたことは分かっております。私、あの時わざと太刀川くんに突き放す言い方をさせるように会話しました。誰が彼にそんなことをさせているのか、それを知るためです」
「……っ」
「土門くんは言っていました。追い詰められた後、太刀川くんを見て苦しそうな顔をし始めたと。安心するのではなく、苦しそうな顔をしていたこと。怯えていたこと。それが全てだと思っております」
言うことに従ったことへの保身の安堵ではなく、罪悪感と向き合っているそれ。
彼だってしたくて、そうした訳じゃない。
逆らえなくてどうしようもなくて、どうにも出来なかった。だからこそ。
「すぐに動いても良かったんです。知った時点で、上流階級へし返すように動いても。けれど、話を聞かなければと思ったのです。貴方が。塩野狩くんが苦しんでいることも、知ってしまったから」
「…………さい。ごめん、なさいっ……!!」
大粒の涙をボタボタと落としながら、体を縮こまらせて。震えながら発した声には悲しみと苦しみと後悔と、色んなものが
暫く嗚咽を零す彼の様子を落ち着くまで見守り、それも治まって来た頃に訊ねる。
「土門くんも仰っていましたが、私は百合宮家の娘です。どうして私を頼るのではなく、太刀川くんに?」
「……言って、いたんです。やっぱり、百合宮さんじゃないと、ダメだって。何が、どうダメなのか分からなかったけど、でもあの人の狙いが百合宮さんなんだってことは分かって。絶対に頼ったらダメだって思ったんです。狙われてるし、百合宮さん優しくて穏やかだから、あの人には敵わないって」
「…………」
話しても何とか出来ねーだろコイツと本当に思われていた件について。
「えーと、頼ってもらえなかった理由は分かりました。その人には詳しくは、何と言って脅されたんですか?」
「百合宮さんと、一番仲の良い男子生徒を引き離せって。そうなると太刀川くんか柚子島くんのどっちかだけど、一番って言うと付き合っている太刀川くんの方だと思いました」
「付き合ってないです」
「……え?」
「私と太刀川くん、付き合ってないです。本当にそれ誤解です」
「ええぇっ!?」
ビックリ仰天された。
たっくんの方に行かれてもアレだったけど、こんなことになるのなら裏エースくんの放っておいたらいいなんて鵜呑みにせずに、やっぱり誤解行脚しとけば良かった。
「続きをお願いします」
「えっ。あ、それで、同じクラスだし、太刀川くんを見ちゃうことも多くなったんです。そんな僕の様子に太刀川くんも気づいて、どうかしたのかって。話さないと、家が危うくなることも分かっていたから、放課後に相談したいことがあるからって、話を聞いてもらったんです。でも、そうしたら、こんな、こんなことになっちゃって……!」
「放課後?」
『おう。昼じゃなくて放課後の呼び出しがあるんだよ。それでもしかしたら時間掛かるかもしれないし、待たせるのも悪いからな』
まさかあれは、女子からの告白の呼び出しじゃなくて、塩野狩くんのことだった? ……だからあの時までは態度も普通で。何も、起きてなんかいなかったから。
出来過ぎ大魔王だから、私と違ってクラスメートの様子がおかしいことなんて、すぐに気づけたことだろう。今更ながらに平和ボケしていた自分をはっ倒してやりたい。
「貴方を脅した家とは、やはり家絡みのお付き合いをされているのですか?」
「はい。広告の代理店で、そこの家とだけ専属で契約を交わしています。そことの契約が白紙になったら、新しく探すのが難しいことも父が口にしていたから、どうなるかも想像がつきます。……本当に、ごめんなさい。太刀川くんも分かったって、ちゃんと守るからって言ってくれたから」
「そう、ですか。その家の名をお聞きしても?」
グッと口許を引き締める様を見つめ、その時を待つ。
そうして恐る恐るとその名が明かされた時、私の思考は一瞬その能力を停止した。
「不動産業界の大手、水島不動産ハウスサービス。――――水島家、です」
…………?
不動産業界の大手? そこの専属広告代理店?
「……水島家、ですって?」
一年生の夏の頃。
黒装束の子と再会を約束し、裏エースくんと一緒にいると約束した、あの催会。
白鴎も参加していることを知って訳もなく動揺し判断力が鈍った、あの催会。
善意だと勘違いして迷路に誘われて入って碌でもない目に遭った、あの催会。
裏エースくんが探して助けに来てくれて、手を繋いで迷路を抜けた――あの。
「ふふ、ふふふふふっ。そうですか! まぁそうだったのですね! 水島家。ふふふっ、あの家が。あの家が仕組んだことですか」
いきなり笑い出した私を驚いて見つめる塩野狩くんを気遣う余裕もなく、笑いながら問い掛ける。
「ふふっ。どちらでしょうか?」
「な、何が……?」
「兄と妹。貴方を脅したのは、一体どちら? それとも子どもではなく親の世代でしょうか?」
「あ、兄の方です。水島 淳。今は聖天学院中等部の一年生」
「まぁまぁそれは本当に。本当に――――どうしようもありませんね」
笑うしかない。
どうしてこんなことになったのか。
全部、全部…………私のせいじゃないか。
ちゃんとあの時ケリをつけなかったから。
お父様とお兄様がお話していることに触れず、聞かなかったことにしたから。
ちゃんとどうするのかを知って、静観などしなければ良かった。
心配してくれていることに、守られることに甘えてしまったから。水島少女のことを気にして、甘い判断をしてしまった。こんなことになるなんて、思わなかった。
『……ごめんな』
遠く、あの日のおぼろげな意識の中で聞いた言葉が思い出される。
「塩野狩くん。その話をした時に太刀川くん、他に何か言っていましたか?」
どう見ても様子のおかしい私に心配そうでいて、苦しそうな顔をしていた彼だけれど、ちゃんと教えてくれた。
「話してくれたのが、百合宮さんじゃなくて自分で良かったって。そう言っていました」
「……分かりました。全部、ちゃんと解りました。話し辛いこと、話して下さってありがとうございます。後は私がどうにかします。ご安心下さい。土門くんも仰っていたと思いますが、私は百合宮家の娘です。塩野狩くんのお家には絶対に手出しさせません」
「百合宮さん」
「ご自分を責めないで下さい。もう苦しんだり、しないで下さいね?」
ニコリと笑って言うと、塩野狩くんはまたクシャリと顔を歪めた。
そうして頭を深く下げてもう一度、「ごめんなさい……っ!!」と謝罪をしてくれて、彼も鞄を抱えていたけれど、一人で考えたいからと言って先に下校するように促した。
塩野狩くんがその通りにしてくれて、非常口で一人になる。一人に、なった。
「どうしていつも、知らない内に」
傷つけてまで、傷ついてまで守ろうとしてくれるのか。言ってくれれば、話して相談してくれたら。
何で一人で全部抱えてやり過ごそうとするの?
私が泣いて動くことも出来なかったから? 他人の笑い声を聞くだけで、涙が勝手に出てきて止まらなかったから?
分かっている。
あの時の私は、あまりにもな体たらくだった。
――だから、手を離したの? ずっと繋いでいた、その手を
「……許さない。そんなの」
誰がそんなことを許すものか。
言ったよね? 今度私の貴方に対する好きの気持ちを振りとか言ったら、はっ倒すって。
あんな具体的にどこが嫌いかも言わない突き放し方で、諦めて引くとでも思ったの?
――――笑わせないでよ
俯かせていた顔をゆうるりと上げ、前を見据えて深く微笑んだ。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
何年経っても丁寧なハンドル捌きの坂巻さんの送迎車から降車し、玄関扉を開ける前に一つ呼吸する。
そうして重厚で荘厳な我が家の玄関扉を押し開き、中へと一歩足を踏み出した瞬間。
「お姉さまお帰りなさ……い」
「鈴ちゃん、ただいま」
満面の笑顔で両手を広げてダダダダアァァーッと駆け寄ってこようとして、その直前でピタッと止まって目を瞬かせる、超絶可愛い妹。
「お姉さま?」
「ん~?」
靴を脱いで上がる間にも、不思議そうな顔で私を見上げてくる。
「どうしたの?」
「お姉さまも、どうかされたんですか? お顔、いつもとちがいます。それにお帰りもおそいです」
「あれ、そう? ん~普通な感じで帰って来たつもりなんだけど、鈴ちゃんよく私のこと見てるから、分かっちゃうんだね~」
「鈴、お姉さま大好きですもん!」
「うふふー」
本当に超絶可愛い妹です。
私の後ろをいつも通りテテテッと付いて来て、神妙そうな顔をしている。
「鈴ちゃん、お兄様はもうご帰宅されてる?」
「はい! お父さまがビリッケツです!」
「まぁお父様はね」
やっぱり話をするのは、夕食が済んで落ち着いてからかな。鈴ちゃんはお母様に見ていてもらおう。
手洗いうがいが済んで鈴ちゃんにリビングに行くように促し、階段を上ってお兄様の部屋へと立ち寄る。
ノックをして中から「どうぞ」という了解を得て、顔を覗かせた。
「ただいま帰りました、お兄様」
「お帰り。どうしたの、中に入って来たら?」
ベッドに腰掛け、読書をしていたらしいお兄様のお誘いに首を振る。
「いえ。お夕食の後、お時間頂けないかと思いまして。お父様と一緒に、聞いて頂きたいことがあります」
「父さんと?」
「はい」
「……ふぅん。分かった。じゃあ夕食後に父さんの書斎で待ってるよ」
「ありがとうございます」
お兄様の了解も得、後はお父様に確約させるだけ。
まぁお父様は一も二もなく了承してくれるだろう。
しかしながら、お兄様の察し能力たるや。
何も詳しいこととか言ってないのにお父様の書斎でとか、重要な用件を見抜かれている感。神童の名は伊達ではない。
部屋を移動して自室で着替え、次に私が起こした行動と言えば、電話を掛けることだった。
既に向こうの家では私の家の電話番号は登録されており、彼女がいれば人を介さずに直接取ってくれるようになっている。
そうして何回目かのコールの後、「もしもし」と言って出たその声に、背筋を伸ばす。
「もしもし、麗花? ごめんね、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど」
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