Episode131 天蜻蛉⑤-実体-

 窓際から見える空は水色と黄色が混ざり合って、まだ橙には染まらない。

 窓を開けているから遮光カーテンが入り込んでくる風にふわりと揺れて、まるでひとりでに踊っているかのように見えた。


「――あの、百合宮さん」


 今は私だけしかいないAクラスの教室。

 たっくんにも先に帰宅するように促して、窓の向こう側の景色を静かに見つめていた私へと、そんな遠慮がちな声が掛けられた。


 ゆうるりと顔を動かしてそちらを向けば、教室の扉に手を掛けて顔を覗かせている、数名の女子が戸惑うようにこちらを窺っている。私は微笑んで彼女たちに入室を促した。


「どうぞ皆さん、お入り下さい」

「はいっ。あの、失礼します」


 入って来た女子は三人。彼女たちは木下さんと同じBクラスの生徒で、Dの生徒でもある。

 

 手を向けて、それぞれ私に近い席へと着席してもらう。


「予めお伝えしていたとは言え、さぞ驚かれたことでしょう。皆さん、すっかり顔色が悪くなっていらっしゃったから」

「いえ……あの、はい。……大丈夫ですか?」

「聞いてた私達もすごく、心が痛かったです」


 気遣わしそうな表情にも「ありがとうございます」と微笑んで告げ、三人が顔を見合わせる。


 私が今朝早くに登校して、木下さんに頼んだこと。

 彼女にはこうお願いした。


 このクラスの元Dクラスの女子、誰でもいいから、各十分休憩の時に一人、Aクラスの私のところまで来てもらうようにしてほしい、と。


 お昼休憩までの午前中には、各十分休憩は授業前後に三回ある。三人もいれば充分判断できると思った。


 そして休憩時間に来てもらった彼女たちには、一人一人にこうお願いした。


 お昼休憩、早めにCクラスに来て、元Dクラスの男子で普段と様子が大きく違う人物を探してほしい。

 状況の中でホッと安心していたり、逆に挙動不審になっていないか。そしてそれに該当する男子がいれば、放課後また私のクラスへ来て誰か教えて欲しい、と。


 土門少年に聞いたら一発なのだが、彼の性格だと絶対に理由を訊ねてくるし、男子の愛の告白ではなかったとは言え、その男子のことを気にしている彼がその子が圧力をかけられてこんな事態になっていると知れば、勝手に暴走して動き出しかねない。

 それも上流階級が絡んでいる以上、土門少年に聞く選択はなかった。


 居住まいを正し、三人の顔をそれぞれに見つめて口を開く。


「あの時、様子がおかしかった元Dクラスの男子生徒がいれば、教えて下さいますか?」


 そうして一人目が。二人目が。

 三人目がその人物の名を告げる――……。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 三人が教室から去って、また一人。窓の向こうの空の色彩は、黄色の比率が高くなり橙が微かに見え始めている。


「……どうしましょうか」


 三人が告げたのは、ただ一人の名前。


 もしかしたら意見が割れるかもとは考えていて、怪しい人物を絞り込めればまぁ充分くらいには思っていた。様子のおかしい人物がいるという事実が綻びとなり、背後関係を洗い出すつもりでいたのだけど。


 まさか三人ともに一致するとは。

 これはもう、確定と見て間違いはない。


『あの土門くんを三年もストッパー役して引きずっていけるのなんて、彼くらいしかいないから』


『そうそう。ああ見えて結構土門くんやらかすことも多かったから、並大抵のことじゃ動じないんだけどね』


『どう見ても怯えてたよ。確かに私も見ていて怖かったけど、でもあんなに大きく震えるなんて、ちょっとおかしいと思ったの』



『『『 そう、あんなに挙動不審な姿初めて見た――――塩野狩くん 』』』



 塩野狩くん。

 何と、まさか私もよく知っている人物であった。


 一年生の頃に裏エースくんと職員室まで段ボールを取りに行って、一人じゃ運びきれなさそうで手伝いを申し出てその後に土門少年がやってきた、あの。


 五年生に至るまでの間、登校や下校、廊下を歩いている時にすれ違うことがあれば、挨拶を交わして少し話すほどになっていたあの塩野狩くん。


 なるほど確かに、土門少年を引きずって行く姿はよく見掛けたりしていた。土門少年にしても、塩野狩くんに引きずられているのは何だか楽しそうに見えた。


 そんな土門少年が様子がおかしいと言って気にするほどの人物は、聞いた今思えば塩野狩くんしかいないと思える。


 塩野狩くんか。ちょっとショックだな。

 挨拶を直接交わして少し話す仲までいっているのだから、話してくれても良かったのに。


 まぁ、こんな吹けば飛びそうな儚げ系女子だし? か弱い乙女ですし? 話しても何とか出来ねーだろコイツと思われても仕方ないですけど?

 男女誰からも好かれて、頼りになる裏エースくんの方が何とかしてくれそうですけど?


「でも裏エースくんだって、結局ダメっぽかったじゃん」


 いくら正義感が強くて怒ったらとび蹴りをかます彼でも、塩野狩くんに圧力を掛けている人物には敵わなかったということ。

 すぐにあやしい人物が判明したら、家に帰って背後を洗い出して黒幕をとっちめてやろうと思ったのに。


 これ、ちょっと本人に話聞かなきゃいけないヤツじゃん。事情説明してもらわなきゃじゃん。


「あーもう、一つ分かったらやること増えていくの何なの? 私があとちょっとでお友達になれるかな?って思ってる子なのに、何なのこの仕打ち」


 私と裏エースくん仲違いさせて、絶対もう罪悪感とかメッチャ負債背負って、絶対もう友達になってくれない感じになるじゃん! ヤダヤダヤダ!!


 頭を抱えてコツンと机に乗せれば、額に机のひんやりとした温度が一瞬移る。


 ……初めから、裏エースくんと同じクラスの誰かだとは考えていた。

 裏エースくんがずっと自分の教室から移動しないのも、私と会わないのをちゃんとその人物に見せているのだと思ったから。


 それに土門少年。今朝同じクラスの子に最近彼がどこに行くのか知っているかと聞いたら、Cクラス付近で見掛けたという返答が返ってきたので、本人も偵察の真似事をと言っていたしそうではないかと当たりをつけた。


 面識もない脅されている生徒に関しては、上流階級の方をケチョンケチョンにして、「また手を出したらどうなるか、お前が指示した相手は同じ学校だからすぐ分かるぞ!」とか何とか脅し返せばいいかな、くらいに思っていたのに。もう手を出されない状態にすればいい、くらいに思っていたのに。


 まさか面識ありまくりな人物だとは思わなかったから、次の行動躓いた。


「はあぁぁ~~~~」


 最近本当、溜息多過ぎて幸せメッチャ逃げてく。


 もうCクラス行けないし、どうやって話しよう。

 今日の子達に呼び出して貰おうか……?



 取りあえず塩野狩くんをどうにかして呼び出して話をする方法を考えるべく、遅い時間にもなってきたので席から立ち上がり、帰宅することにした。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 翌日。


「おはよう百合宮嬢! 春の妖精は未だ花弁を閉じたままかい? やれやれ、それではイケてるメンズであるこの僕が君の悲しみを取り払うべく、一助しようではないか! 昼休憩? 放課後? うん放課後が最適だね! 放課後に非常口で待っていてくれたまえ! この僕からの公開呼び出しさ!! ああそれと、今回は百合宮嬢だけで来てくれたまえ! フフ、この僕からの呼び出しなんて、一生に一度あるかないかのことさ! ではよろしく頼むよ、ハッハッハ!!」


 教室に入った瞬間に目の前まで風のようにやって来て、突然弾丸トークをかまされた。


 口を挟む間もなく、私の返事も聞かずに機嫌よく高笑いをして去って行く土門少年を、呆気に取られてその背を見送ることしかできなかった。


 何だアレは。


「何ですかアレは」


 思わず言葉にも出してしまい、今日は先に登校していたたっくんが苦笑しながらやってくる。


「おはよう、花蓮ちゃん。土門くん何かずっとソワソワしながら教室の扉見てたから、何だろうって思っていたんだけど、花蓮ちゃん待ちだったんだね」

「え、そうなんですか?」


 ソワソワしながら私を待っていたとは。

 一体何の用事……まさか!


「ど、どうしましょう! まさか私、土門くんからこ、ここここ告白でもされるんでしょうか!?」

「え? えー……それはどうだろう? 多分違うんじゃないかと思うけど」

「ですよね! 多くの女子たちを守るという使命があるため、ただ一人の女子に縛られる訳にはいかないどうたら言っていたのに、手の平返すの早過ぎますもんね!」


 違うと思ったけど、あーびっくりした。

 というか、呼び出す用件が普通に不明である。


 ただでさえまだ塩野狩くんを呼び出す件が纏まっていないのに、土門少年まで加わってややこしいことに巻き込まれたらどうすれば。


 そんな感じで授業中、休憩時間中も彼を本人に気づかれない程度に観察していたが、とにかく機嫌が良い。


 朝から機嫌が良かったし、昨日何か良い事でもあったのだろうか?





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 と、そんなことを考えながら他のことも考えて過ごしていた、約束の放課後。


 ……なんか、何かある時って大体非常口に来ている気がするけど、この場所なんかあるのかな? いや確かに静かだし、人気もなくて誰も来ないけど。


 土門少年の意味不明な動向が気になり過ぎて何も動けず時間が経ってしまい、用件が済んだらすぐに下校しようと思って、鞄を持って指定されたこの場で待つこと――大体二十分。


「どういうことですか。本当に誰も来ないじゃないですか!」


 一体何の時間だこれは。一方的に女子を待たせるとは、あのナルシーは一体何を考えている! 

 この僕と双璧を為すイケてるメンズとか普段言っているくせに、約束の十分前には待ち合わせ場所に来ている裏エースくんとは大違…………帰ろうかな。


 ちょっぴり心が痛み、一歩を踏み出そうとしたところで微かに足音が聞こえてきた。


 やっと来たのかと思って待っていると、しかし何やら会話しているような声までが聞こえてくる。土門少年と、後は……?


 声と足音が段々と近づいて来て、曲がり角から現れたその姿に目を見開く。そして曲がり角から私を見たも、表情を強張らせて固まった。


「やぁやぁ百合宮嬢! 大変お待たせしてしまってすまなかったね!! いやはや、出てすぐに連れて向かえば太刀川 新も訝しむだろう! ほら時間差攻撃という言葉があるだろう、あれのことだね!」

「いえそれ、言葉の使い方違う……え? どうして、ですか?」


 いつものテンションで変わりなく普通に話してくる土門少年へと、戸惑って理由を聞く。


 だって。何で。

 土門少年には、何も言ってないのに。


 彼は表情を強張らせた――塩野狩くんの腕を掴んでいる形で、にこりと笑った。


「朝に言った通りさ。百合宮嬢の悲しみを取り払うべく、一助しようってね!」

「それでどうして、土門くんが彼を」

「話があるのだろう? この僕であれば、彼を連れ出しても疑われる可能性は低いからね!」


 質問に対しては答えているが、本当に問うていることに対しては、のらりくらりとかわされている気がする。これは……わざと?


 戸惑いの表情から、令嬢然とした微笑みに切り替えて見据える。そうしてそれを見ていた土門少年の表情も、にこりとした笑いから――



 ――フッと、人を食ったような軽薄な笑い方へと変わった。


 ……このナルシーっ……!!


 表情一つ変えただけで、今まで彼へと抱いていた印象がガラリと変わる。

 

「随分と、ご様子が変わられましたね? 土門くん」

「そうかい? いやいや百合宮嬢こそ、いつ辿り着くのかなと期待していたというのに、随分と遅かったね? 色々とヒントを出していたと思ったのだが、事が起きてからやっととはね。百合宮のご令嬢は随分と謀に疎いようだ」

「ど、土門くん……?」


 固まっていた塩野狩くんも、そんな物言いをする彼を驚いた顔で見つめた。そして言われた内容。


「初めから、全部知っていたんですか?」

「いや? 塩野狩くんの様子が普段と違った時点では、まだね。色々様子を見てどういう理由でそうなっているのか、この僕も後から調べて知ったのさ。目立って仕方がない僕だが、これでも色々と暗躍するのは得意でね。だが、まだまだだ。君が辿り着くのにこんなに時間が掛かってしまったのだから」

「なるほど。朝、いやに機嫌がよろしいとは思っておりましたが、あれは機嫌が良かったのではなく、むしろその反対でしたか」


 対応の遅い私に対して怒っていたから、隠すために真逆の態度を取っていたのか。けれど。


「ならどうして私をアテに? 早々に気づかれていたのなら、ご自分で動かれる方が早かったのでは?」

「頭が足りないね、百合宮嬢。背後にいる人間が上流階級と分かった上での愚問かい? ああそれと、僕が話したことを見当違いだったとか言われた時には、本当にどうしようかと思ったね。柚子島くんが同じ場にいてくれて本当に良かったね」


 ナルシーの本性メッチャ毒舌なんですけど。

 いや、これは聞いた私が悪いな。


「……すみません。それでどう塩野狩くんをお呼び立てしようかと悩んでいた私を、助けてくれたという訳ですか」

「当然さ。僕もこの件に関しては、早々に解決して貰いたいからね。本当に骨が折れたよ。あまりに露骨過ぎると太刀川 新に気づかれてしまうからね。全く以って気に入らないね。何故君と太刀川 新の関係性のことで、無関係たる彼に白羽の矢が立ったのか。……本当に気に入らない」


 繰り返された『気に入らない』には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。


 そうして私から視線を外し、塩野狩くんには再度にこりとした笑みを見せて話し掛ける。


「さてさて、ここまで来たらもう君も分かっているかと思うが、百合宮嬢に洗いざらいこうなってしまった経緯を吐きたまえ。百合宮嬢なら大丈夫さ。いくら気づくのが亀のように遅くその突き止め方も極端とは言え、家の力は本物だからね! 僕がいなくなるのは心細いかもしれないが、僕がいては話し辛い内容もあるだろうし、これにて退散するよ! ではまた明日会おうじゃないか、ハッハッハ!!」

「えっ、ちょ、ど、土門くん!?」


 さらりと私を貶しながらバシバシと塩野狩くんの肩を叩いた土門少年はそう言って、くるりと背を向けこの場から去ろうとする。

 混乱気味な塩野狩くんが呼び止めるものの、顔だけ振り向いたその顔は彼にではなく、私へと向けられていた。


「最後にもう一つだけ、ヒントを出そうか。これは君にしか解決できない。この僕でも柚子島くんでもなく、他の誰でもない君にしか。黒幕というのは、得てして表舞台には出てこないものさ。この意味を、よぅく考えてくれたまえ」


 そう言って彼は今度こそ立ち去って行った。

 残されたのは、二人だけ。


 妙な謎かけ。


 はっきりと答えを言わずに私に考えさせるのは、何か意図があるのだろうか?

 遅れた分早く動かなければならないが、ただ単に黒幕をケチョンケチョンにするのではダメということ?


 否応なく考えさせられる謎を与えられてしまったが、今すべきことは。


「塩野狩くん」


 ビクッと肩を揺らした彼と、視線が合う。

 穏やかに微笑んで、言葉を発した。


「どういうことか、お聞かせ願えますか?」

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