Episode130 天蜻蛉④-諸刃-
そうして迎えた月曜日。
気持ち新たに登校した私はまっすぐに、お隣のBクラスへと訪ねて行った。
本日はいつもよりも大分早めの時間に登校したので自分のクラスにも、このBクラスにも登校している子はまだほんの数人くらい。
まだ目的の人物が登校してきていない中で、ほんの数人の中に元Bクラスの子がいたので教室の中で待たせてもらいながら会話をしていると、ガヤガヤしてきた頃にその人物は教室に入ってきた。
その人物が登校する前にも現Bクラスの子達は私がいるのを見て一瞬Aクラスに間違って入ったのかと錯覚されてしまったが、その子も同様の反応をする。
苦笑を漏らし、軽く手を振って呼ぶ。
「ふふふ、Bクラスの教室で合っていますよ。おはようございます、木下さん」
「おはよう、百合宮さん!」
可愛らしくニコッと笑って席に荷物を置く木下さんの元へ、会話していた子と別れてそちらへと近づくと彼女は目をパチリと瞬かせた。
「百合宮さん、私のところに来ていいの? 楽しそうにお話してたのに」
「はい。実は木下さんに頼みたいことがあって、こちらにお邪魔していました。お時間は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫! 私に頼みたいことって、何?」
頷いてくれる木下さんに微笑みながら、声を潜める。
「その前に、木下さん。私と太刀川くんの今の状況、ご存知ですか?」
「!」
途端顔を強張らせた彼女に、やはり相田さんか西川くん経由で知っているかと把握する。何事もないように普通の態度で接してくれているのも、木下さんの優しさだと感じ入った。
「……うん」
「ふふふ、そんな顔をしないで下さいな。心配をお掛けしてしまってすみません。私、この件はこれ以上長引かせる気はありませんので、安心して下さい」
「仲直り、大丈夫?」
瞳を潤ませて、上目遣いに聞いてくる木下さん。
私は穏やかに微笑みながら、コクリと頷く。
「はい。今日はまだ仲直りは難しいと思いますが、原因を確かめようと考えています。それで、木下さんに頼みたいことと言うのは――……」
頼みごとの内容を聞いた彼女は、不安そうに首を傾げた。
「……それだけでいいの? 翠ちゃんや他の仲良い子とか、じゃなくて?」
「はい、大丈夫です。それでお願いします」
頼みごとと仲直りの件が繋がらないようで不安そうながらも、けれど「分かった」と了承の意を示してくれたのを受け、内心気合いを入れて自分の教室へと戻った。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
色々と根回しをして訪れる、決戦のお昼休憩。
たっくんには給食を終えたらすぐにCクラスへ訪問する旨を伝え、手を繋いで一緒に向かう。
彼は今日ここまでに至る、私の先週との態度の変わり様に戸惑いを隠せないようで、袖口を掴まずキノコも生やさずしっかりと前を向いて歩く私を心配そうに見つめている。
「花蓮ちゃん……」
「拓也くん、大丈夫です。大事になると思いますから、やっぱり教室にいてくれてもいいですよ?」
「ううん、一緒に行くよ。花蓮ちゃんと新くんの友達だから」
「ふふ、心強いです」
たっくんにも話していない。
家が絡んでいる可能性の話と、私がこれからすることを。
話をしてしまえば、これからすることへの心的負担は軽減すると思うけど、それでは相手にも感づかれてしまう。彼は人の心の機微に聡いから。
どういう意図で私がそうするのかを。
だから話せない。
Cクラスへと到着した。給食が終わってすぐに移動を開始したため、まだ教室を出ている人間はいないだろう。一度深呼吸をして呼吸を整え――ガラリと扉を開けた。
「失礼します」
ガヤついていた教室内が、シン……と静まり返る。
見渡すと思った通り全員まだいるようで、恐らく休んでいる生徒も見た限りではいないようだ。
相田さんと西川くんも私を見て、目を見開いているのを確認する。いつも教室の前にいるだけで、中までは入って来たことがないからだろう。
見据え、一歩一歩を強く踏み出して裏エースくんの席の正面で立ち止まる。
「太刀川くん」
相も変わらず視線を上げもしないし、口も開かない。本当に大した徹底ぶりである。
「太刀川くん、いい加減にして下さい。今日は話をつけるまで、ここから動く気はありませんから」
宣言して見据えれば、やはり先週までの態度との変わり様に引く気がないことを悟ったのか、徐に顔を上げてきた。久しぶりに視線が合うが、その視線は冷たく拒絶の色に染まっている。
緩やかに微笑んでそれを受け、綻びを引き出すべく言葉を紡ぐ。
「私が貴方に何かしましたか? 無視するばかりで話もして頂けないので、私としてはさっぱり不明です。あぁ、そう言えば確か一年生の頃にも、似たようなことがありましたね? でもその時はちゃんと言ってくれていましたよね? ――どうして今回は、態度が違うのでしょう?」
視線の色が変わらない。
まだ、綻びはしない。
「はっきり言ってもらわないと私、全然分かりません。毎日こちらに来ますし、貴方に話し掛け続けます。それでもよろしいのであれば、明日も来ますが。あぁ、お昼休憩と言わず朝でも十分休憩でも私は構いませんよ? ただこちらのクラスの皆様には、精神的負担をお掛けしてしまいますね」
大変申し訳ないことに、誰もが固唾を呑んで私達の動向を窺っている。しかし綻びを引き出すためにも、私は裏エースくんに集中しなければならない。
「よろしいのですか? まぁ、基本的に貴方は聞き役の方が多いですしね。よろしいでしょう。何も言われない以上、ここはやはり私が話し続けるしかありません。実は二日前に…」
「来るな」
――第一段階超えた
彼から私に向けての言葉を引っ張り出せたことに、本当に嬉しくて思わず微笑む。例えそれが、鋭く凍えるような冷えを纏わせた言葉だとしても。
「ふふっ。来るな、とは? ここは貴方だけのクラスではないでしょう? 仲良しの相田さんや西川くんもこちらにいらっしゃいます。何も話して頂けない貴方の都合で、私と彼女たちの仲まで引き裂くおつもりですか?」
「……チッ」
舌打ちをしてガタッと足で後ろに椅子ごと下がり、不機嫌も顕わに睨まれる。
それだけで教室内の空気がピンと張り詰めるが、心を決めている私には関係のないことで、微笑みの表情を崩さない。
「今までの態度で伝わってねーのかよ。俺、お前とはもう口も利きたくないんだけど」
「そうですか? 私、何かしました? はっきり言ってもらわないと全然分かりません。貴方のように人の心の機微に聡くはありませんし、言われるまでそのことに気づかない鈍感な人間ですから」
だからお願い。はっきりと言って。
貴方の口から、それを聞かせてほしい。
ちゃんと話をつけると決めた。可能性をはっきりとさせるためにここに来た。
本当のことを知らなければならない。
――もしもそれで、私と貴方の表面上に隠された心の奥が、血を流すのだとしても。
「……一々言わなきゃなんねーのかよ面倒くせーな。だから上流階級のヤツって嫌いなんだよ。嫌いなヤツと最初から仲良くする気なんてなかったけど、拓也と仲良くなってるし。仕方なく? 今まで付き合って仲良しこよししてきたけど、あと一年と半年くらいだし? 別にもう仲良くする必要なんかねーなって思って」
「ちょっと太刀川くん何それ……っ!」
「相田さん」
いきり立つ相田さんが怒った声を上げたけれど、彼女に向けて首を振る。
言われている本人が微笑んで平気そうな顔をしているのを見て、立ち上がりそうだったのを渋々と戻す。
「では、今まで私と仲良くしていたこと。あれは仲良しの振りをしていたと言うことですか?」
「そうなるな。あーあ、今まで大変だったぜ。世間知らずなお嬢様のお守をすんのは」
「……お友達だって、貴方が最初に私に言いました。握手して、お友達だって。体育の授業でもいつもペアで教えてくれて、お昼休憩には特訓もしてくれました。拓也くんと三人でたくさんお話もしました。皆で遊びにだって行きました」
「…………」
「他にも、知らない内に貴方が助けてくれていたこともあります。知っています。ちゃんと後から気づいたんです。それに、覚えていますか? 一年生だった頃の夏のことを」
冷たく拒絶を宿した瞳が、微かに揺れた。
「助けに来てくれたこと。一緒に手を繋いで迷路を抜けたこと。ダンスの時にお伝えしました。嫌な記憶ではないと。何も話さなくても、一緒に歩いたことは楽しかったってちゃんと言いました。私にとっては大事で、大切な記憶で思い出です。……それも貴方にとっては、嘘だったと?」
見つめ合う。
揺れた瞳の中に、拒絶以外の感情を探す。
けれど見つける前に、裏エースくんが顔を俯かせてしまった。
「……ハッ。おめでたいよな。昔の話まで出して期待してんの? 信じないのか? それで一度失敗してあんなことになったのに? 何も学んでないよな。だからこうやって同じ失敗繰り返してんだろ。いい加減にしろってさっき俺に言ったけどさ、お前だっていい加減にしろよ。しつこいんだよ!」
ガタッと席を立ってどこかに行こうとする。
あれだけ徹底していたからまさか彼の方から教室を出る行動を取るとは思わなくて、思わず裏エースくんの腕を掴もうとして――
「太刀川く…」
「触んなっ!!」
――バシッと、撥ね退けられた。
ただでさえ重苦しかった教室内の空気が、時を止めたように何もなくなった。ジン……と熱を持ち始めた手の甲が、見る間に赤くなっていく。
さすがにびっくりして浮かべていた微笑みも消えて、呆然と手の甲の様を見つめていたら。
「……ぁ」
目を見開いた彼と目が合い。
けれどすぐに、瞳の色を戻した。
「もう俺に話し掛けるな! お前なんか――」
ただ真っ直ぐと。私から逸らすこともなく。
「お前なんか――大嫌いだ」
そうはっきりと大きく告げ、教室から出て行った。
裏エースくんが出て行ってからも、誰もその場から動かない。いや、動けないのか。私がいるから。
「花蓮ちゃん。手、大丈夫?」
今まで口も挟まずに静かに見守ってくれていたたっくんが初めて話し掛けてきて、手を取って状態を見てくれる。
「あ、大丈夫です。ちょっとだけ痛いですけど、少ししたら治まります。あの、皆さんもすみませんでした。こんなことに巻き込んでしまいまして」
ペコリ、と頭を下げたらようやく教室の金縛りが解けて、西川くんと相田さんが来てくれた。
「何なのあれ! 信じられないんだけど!」
「俺、幼稚舎の頃から太刀川知ってるけど、あんなこと言うヤツじゃないです。今までのも何か理由があってあんなこと」
「西川くんまだそんなこと言ってるの!? 聞いてたでしょ!? 今まで百合宮さんだけじゃなくて、私達のことも騙してたんだよ! 百合宮さんが首振ったから我慢したけど、戻ってきたらとっちめてやんなきゃ!」
「相田さん、相田さんちょっと落ち着いて」
たっくんが相田さんを宥める間にも、生徒間でもザワついている。相田さんと同じようにあんな人だとは思わなかったとか、西川くんと同じように何か理由があってとか、様々な発言が耳に届いてくる。
予めこんな空気になるのは分かっていたので、取りあえず場を鎮静させるために発言する。
「皆さん、聞いて下さい」
瞬間ピタリと止んだ声に自分という影響力に慄きながらも、穏やかに微笑んで予定通りに言う。
「皆さんもお聞きされていたかとは思いますが、どうも私、太刀川くんに嫌われていたようです。それに気がつかなかった私も悪いのです。人には誰でも好き嫌いがあります。皆さんにだって一緒にいて楽しい人や、苦手に思う人がいるでしょう? その苦手が太刀川くんにとっては私だったと言う訳です。むしろはっきり言ってもらって、私としても清々しい気持ちになりました。何も分からないままでしたら、ずっと付き纏ってしまっていましたから。クラスが離れていて幸いでした。皆さんもあと一年と半年ですが、ギスギスしてしまうのはお辛いでしょう? 今まで通り、太刀川くんと接して下さい。ただ私が、彼に嫌われているだけの話ですから」
そこまで言って様子を窺うと、顔が戸惑いと困惑に彩られている生徒がほとんど。今の状態では私視点では判らないので、やはり放課後まで待つ必要がありそうだ。
あ、そうだ。最後にこれも言っておかないと。
「西川くん」
「は、はいっ」
「太刀川くんが戻ってきたら、お伝え願えますか? もう話し掛けたり近づいたりしませんので、ご安心下さいと」
「え。でも、百合宮さんはそれでいいんですか!?」
目線を下げ、薄く笑う。
「仕方がありません。ああまで言われては、私ももう、頑張れません」
力なく言ったそれに西川くんはクシャリと顔を歪めて、小さく頷いた。
「……分かりました。俺から太刀川に、ちゃんと言っておきます」
「よろしくお願いします。相田さんも、太刀川くんを責めてはダメですよ?」
「百合宮さんっ」
「教室に帰りましょう、拓也くん。……っ」
視線を落としたままだったから、不意に視界に入った“それ”に、動かそうとしていた足が止まる。
息も呑んでしまったから気づかれたかと思ったが、皆それほど気持ちに余裕がないのか指摘されることなく、多くの視線を受けながらCクラスを後にする。
扉を抜ける間にもCクラスに用事があったのか、訪れている他クラスの生徒達も何人かいて、教室の扉を開けたまま入ったので、中のただならぬ様子に入れなかったようだ。
青褪めた表情で固まっている彼等にも会釈をして通り抜け、たっくんと一緒に教室へと戻った後。
席へと腰を降ろして落ち着いた瞬間、たっくんが振り向いた。
「花蓮ちゃん。わざと新くんに言わせたの?」
不思議と何もそれまで言ってこなかった彼のその言葉に、苦笑を漏らしてしまう。
「どうしてですか?」
「大事になると思うって言っていたから。それにずっと、新くんに喋らそうとするような話し掛け方だったし。全部、考えた上でのことなんだよね? 最後に皆に言ったのも、新くんがああ言うって思ったから、新くんのフォローもちゃんと考えてたんでしょ」
「……ふふふ、さすがですね拓也くん。私のことを解ってくれる拓也くん、大好きです!」
「花蓮ちゃん! ……ふざけてる場合じゃないよ」
うん、ちゃんと分かっているよ。
ふざけてなんかいないよ。
「すみません、拓也くん。彼がどうして私をいない者扱いして無視するのかが、やっと分かりました」
「新くんの言ったこと、本気にしてる訳じゃないよね?」
「まさか」
放課後に確証が取れるかと思ったが、思わぬ綻びを先に見つけてしまった。だから可能性が確定した。
春日井と緋凰には、この件に関しては素直に感謝しなければならない。
「……ちょっと、お手洗いに行ってきますね」
まだ何か言いたそうなたっくんではあるが、頷いて見送られて一人トイレへと向かう。
どの個室にも誰も入っておらず、一番奥の個室へと入り壁に背を預けると、力が抜けてズルズルとしゃがみ込む羽目になった。
……あーあ、大嫌いって言われちゃった。
それまで具体的に嫌いなところ言われなかったから、最後にアレ言われたの、嘘でもグサッときたなぁ。
いない者扱いされて無視されても、本当に嫌われているなんて、思っていなかったから。
「ふふっ、ふふふっ。本当にアレで嫌われちゃったらどうしようかな。私がわざと言わせたって、たっくんみたいに気づいちゃったかな? ……自業自得だけど、だって、あれ以外やり方思いつかなかったんだもん」
知らなくて傷ついた。
でも傷つけられても、本当は傷つけ返したくなんてなかったのに。ごめんね。ごめんなさい。
西川くんの伝言聞いたら、また傷つけてしまう。
「嘘でも直接なんて、言えないもん。話したいよ。頑張るからっ。絶対、絶対全部解決するから……っ!」
泣かない。泣くな。
辛くてどうしようもないのは、私だけじゃないんだから!
制服のスカートを、皺になる程ギュウゥッと握り締める。
早い段階でそうか、そうじゃないかが判って良かったじゃないか。放課後、“誰”がそうなのかさえ分かれば、後は私がどうにかする。上流階級が絡むのならば、上流階級のやり方で返す……っ!
……あの時、見つけたから。
鞄の口が偶々開いていて、見つけてしまったから。
「徹底的にするのなら、持ってちゃダメじゃないですか……」
大嫌いと言うくらい嫌いな人から貰ったものなんて、普通は使ったりしない。
鞄の内ポケットから覗いていた――角の丸いひし形の、あの日贈ったキーケースを。
『大事にする。ありがとう』
『お前なんか――大嫌いだ』
嘘つき。
ちゃんと、大事にしてくれているじゃないですか。
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