Episode127 天蜻蛉①-始動-
私がそれに気が付いたのは、六月の半ば。
雨も長期間降り続け、紫陽花の花々も咲き乱れる梅雨時期のことである。
「ねぇねぇ拓也くん」
「なに? 花蓮ちゃん」
お昼休憩、いつものように前後の席でお喋りを楽しんでいる私達。
今日も今日とて本の話に花を咲かせていたところで、数日前から思っていたことを彼に尋ねてみる。
「太刀川くん、最近来なくないですか?」
「聞いてくるの遅くない?」
「いえだって、普通にお昼の呼び出しが増えたんだなって思っていたんです。でもそれにしては来ないなって思いまして」
普通に週三日、例え呼び出しを受けていても、少しの時間でも来ていたのに。
年がら年中モテ期が到来している裏エースくんだけど、来られないほど激モテ期が来たのかとそれはもうびっくりしているものだ。このままでは全校女子の素敵イベントを制覇してしまうのではないだろうか?
けれど教室に来るのが途絶えてから、もう一ヵ月近くになる。さすがにどうなのかなと気になったのだ。
「それに私、お昼休憩以外でも太刀川くんにお会いしてないような気がします。拓也くんはどうですか? 太刀川くんの生存確認できてますか?」
聞くとたっくんは、「んー……」と困ったような表情を見せる。
「あのね花蓮ちゃん。僕、新くんから花蓮ちゃんが聞いてくるまでは、自分の話はしないでほしいって言われてたんだ。どうしてって聞いたんだけど、約束したからなって。何のことか分かる?」
「約束ですか?」
はて、そんなものしたっけ? 一体何の約束をしたのかすぐに浮かばないぞ?
同じようにんー……と唸りながら、来なくなるより以前のことを思い返してみる。すると。
『心配すんな。そんなことにはならないから』
あの五月二日。
その日のことは、学校の誰にも話していない。
二人でお出掛けしたことを話せば、いくら仲良しメンバーといえども疎外感を受けるのではないかと思ったのだ。
だから私からは話していないし、誰からもその日のことがどうだったと話が出ないので、恐らく裏エースくんからも話してはいない。
もし清泉の生徒に目撃されていて誤解が誤解を呼んでいるのだとすれば、それを心配した私に言ったあの言葉くらいしか、その理由が思い浮かばない。
敢えて私と会わないようにすることで、誤解の鎮静を図っているのだとすれば、たっくんの言う約束とやらにも頷けはするのだが……。
「一応心当たりはありましたが……。でも、それだと少し疑問があります」
「どういう?」
「多分、私との付き合っているなどという誤解の鎮静化のために、そんなことをしていると思うんです。でもそれだったら前に太刀川くん、放っておいたらいいって言っていたじゃないですか。言っていることと今やっていること、違うなって思いまして」
「僕もそれちょっと思ってた。新くん気にしてなさそうだったのに、何で急にそんなことするんだろうって。花蓮ちゃんとの約束なら、じゃあ僕も言わない方がいいのかなって、今まで言わなかったんだけど」
明確に約束、と言われた覚えがないので微妙である。何だかモヤモヤするな。
チラッと壁掛け時計を確認すると、まだ五時限目までは時間がある。
「よし拓也くん! ちょっとCクラスまで偵察しに行きましょう!」
「えっ。僕達が行くの!?」
「太刀川くんが来ないんだったら、私達が行くしかありません。生存確認もしなければなりませんし、それに相田さんや西川くんにもお会いしたいですし。太刀川くんはちょっとお呼び出しして、どういうことか話を詳しくお聞きします」
「……そうだね。うん、行こっか!」
ニコッと笑い合い、手を繋いで教室から出てCクラスへと向かう。
教室の前では女子が数人廊下に出て窓際で話しており、その中の一人に相田さんがいた。
楽しくお話しているようなので、声を掛けようかどうしようかと迷っていたら、彼女も私達に気がついて輪から抜け出して来てくれた。
「百合宮さん、柚子島くん! どうしたの? 二人が一緒にこっちに来るの、珍しいね!」
「うん、いつも来てもらってるから。僕達も行かないとって思って」
「そうなんだ。……えっとね、百合宮さん」
たっくんと話していた顔が私を向くと、途端神妙そうな表情に変わる。
「もしかして、太刀川くんとケンカしてる?」
「はい?」
声を潜められて聞かれたことに目を丸くする。
「いえ、全然まったく。もしかして、私達の教室に来ていないからですか?」
「うーん、それもあるんだけど。……ちょっとこっち良い?」
コソッと告げられて、たっくんと二人顔を見合わせながら相田さんに付いて行けば、やけにCクラスから離れた場所まで連れて来られた。
「相田さん?」
「あのね。太刀川くん、ずっとそっち行ってないでしょ? でも呼び出しのない日の昼休憩もクラスの男子と話しているから、あれ?って思って。他のクラスメートも気にしてソワソワしてるの分かっちゃったから、西川くんも丁度どこかに行っていて居なかったし、これは私が聞くしかないと思って、聞いたのね。今日は百合宮さん達のところに行かないの?って」
そこまで言った相田さんの顔が、困惑に満ちる。
「太刀川くん、すごく不機嫌な顔と声で、百合宮さんの話はするなって。あれ見て私、一年生の大ゲンカしてた時のこと思い出しちゃって。触れちゃダメなやつだって思ったの」
「……え?」
相田さんはいつも明るくて姉御肌な子で、強気な性格の真っ直ぐな女の子。だから彼女の言っていることは疑いようもなく本当のことだと分かるが、だからこそ信じ難い。
「新くん、すごく不機嫌な顔と声で? 仲良しの相田さんに?」
「うん。だから百合宮さんの方にも確認に行った方が良いとは思ったんだけど、百合宮さんまであんな感じだったらどうしようって」
「私、太刀川くんとケンカなんてしていません」
「え? じゃあ何であんなに」
眉を寄せて訝しむ相田さんに、私達も首を傾げる。
誤解の鎮静化にしても、さすがに態度がおかしいと思う。普通に行かないって言えばいいだけなのに、不機嫌な感じで答える必要はないだろう。
「西川くんは? 相田さんが気になってるなら、西川くんだって気になってる筈だと思うけど」
「西川くんも同じみたい。太刀川くんが席外してる時に私のところに来て、百合宮さんと何かあった?って聞いてきたもん。百合宮さんの名前出しただけで、睨まれたんだって」
「睨まれた!?」
何で? えっ? もしかしてこれ誤解の鎮静化じゃなくて、私が何かしたパターン? 待ってそうなると全然心当たりない!
「そ、そんな仲違いするようなこと私、身に覚えがありません! えっ!? 拓也くん私なにかやっちゃったんでしょうか!?」
「僕に聞かれても分からないよ。でも僕も三人でいた時、そんなおかしな感じはなかったと思う」
「ですよね!?」
そうなると私しか分からないのはあの日になるが、仲違いなど微塵もない雰囲気で終わった。それどころか……ハッ、待て待て私なにを考えている!
「その、相田さん。仲良しの貴女たちがそう思うのでしたら、Cクラス大丈夫ですか? おかしな感じになっていませんか?」
聞くと苦笑される。
「そうなんだよね。百合宮さんの名前出すだけで空気ピリッとしちゃうから、ウチのクラスではいま百合宮さん禁止令みたいな感じになってる」
「私禁止令!?」
ひどい事態だ。
何でそんなことになった。嘘でしょ!?
「拓也くん! 拓也くんは!? 約束どうたら言っていた時、そんなひどい態度されませんでした!?」
「されてない。苦笑いで言われただけ。というかそんな態度取られてたら、僕すぐに花蓮ちゃんに聞くよ」
「ですよね!」
本当どうしたの。言っていることとやっていることが、まるで別人……ハッ!
「衝撃的なことに気がついてしまいました。太刀川くんに新たな人格が芽生えて、二重人格者になってしまったのでは」
「花蓮ちゃん。僕ふざけてる場合じゃないと思うよ」
ふざけてないよ!?
どう考えたって少し前と比較したその言動の不一致さ、二重人格くらいしかないよ!?
「一応今日は偵察して様子を見て、可能なら教室に来ない理由をお聞きしようと考えていたのですが。禁止されている本人が教室に行ったら不味いですかね?」
「でもどうして新くんがそんな感じなのかは、話を聞かないと分からないよ? 何もしなかったら相田さんのクラス、ずっと花蓮ちゃんのこと禁止になっちゃうんじゃ」
「私も話はした方が良いと思う。ていうかあの時も百合宮さん心当たりなくて、結局太刀川くんの誤解だったんでしょ? 今回もそんな感じなんじゃない?」
二人からの意見にうーんと悩む。
何で我が家の家族会議以外で、私に関しての禁止令が施行されなければならんのだ。その対象である本人は知らなかったぞ。
確かにあの時も責められる心当たりなんか全然なくて禿げそうだったし、悩んで困って禿げる前に、ここはやっぱり直接話を聞きに行った方が良いのだろう。
これは既に私だけの問題ではなく、Cクラスの人達にも精神的負担が掛かっていることを踏まえて、皆の頭が禿げ散らかす前に解決するべきである。
「分かりました! ここは一発、禁止されている私が乗り込んで……あ」
私達が来た方向の先から、五、六人塊の男子の集団が教材を抱えてやって来る。しかもその中に、
「ヤバッ! ごめんウチのクラス、次理科だった! ここ通る!」
相田さんが慌てて小声でそう謝ってくるが、向こうの男子達も私達の存在に気がついてギョッとした顔をした後、慌てて裏エースくんを確認していた。
私はいつからそんな見るも危険な人物に評価が下落したのかね。
そして裏エースくんと言えば、相田さんが言うような特に不機嫌そうな感じではなくて、至って普通そうな感じだった。私の存在に気がついたところで、表情も変わらない。
いつも一緒にいたからか、少し見なかっただけですごく久しぶりな感じがする。
「どうしたんだよ。行こうぜ」
そう彼が男子達に声を掛け、周囲にいる男子のみが戸惑いながらギクシャクと動き始めた集団が横を通る時に、思いきって声を掛ける。
「あの、太刀川く…」
――スッと。
顔も向けられず、まるで声が聞こえなかったかのように素通りされた。
……え?
「太刀川くん!」
確実に聞こえる声量で呼んでいるに、振り向きもしない。
再度呼ぼうとしたけれど、それよりも先にたっくんが声を掛ける。
「待って、新くん!」
「悪い。移動で時間ないから」
チラッとたっくんにだけ顔を向けてそう答え、そのまま去って行く。
相田さんが気まずそうな顔をし、たっくんも戸惑いを隠しきれない顔で心配そうに私を見る。
私といえば呆然と、裏エースくんが去って行った先を見つめていた。
何あれ。ちゃんと私、聞こえるように声出してたよね? たっくんの声には反応して喋っていたし。
んんんんん?
いない者扱いされて、無視されたぞぉ~?
「私はいつ太刀川くん限定で、透明化してしまうようになったんでしょうか」
「花蓮ちゃん大丈夫!?」
「ゆ、百合宮さん本当に心当たりないんだよね!?」
二人もまさか私のことを無視するとは思わなかったようで、とても心配される。
うん、何だろうね。原因も何も分からなくて無視されても、こっちも反応困っちゃうよね。
「ないですないです。あの時と同じように私は無罪ですし、冤罪を掛けられているようです。でも、無視ですか。困りましたね。無視されてしまうと、話もできない気がします」
「……花蓮ちゃん、一旦教室に帰ろう? 相田さんも状況話してくれてありがとう。移動、間に合わなかったらいけないから戻ろう」
「うん……」
途中まで一緒に歩き、心配そうな顔のままの相田さんと別れて、トボトボとたっくんと手を繋いで歩く。
「大丈夫だよ。何かやっぱり、事情があるんじゃないかと思う」
「はい」
「約束って言っていたの関係あるんだよ、きっと。次はちゃんと話そう? 僕も一緒に行くから」
「はい」
「……花蓮ちゃん。笑わないで」
ピタリと足を止めて、たっくんを見る。
「笑っていますか? 私」
「いつもの笑顔じゃなくて、あまり知らない人に向ける顔してる。無理してそんな顔するくらいなら、我慢せずに泣いてスッキリした方がいいよ」
ふふふ。未就学児よりお母様直伝で鍛えられた淑女の微笑みというのは、最早私にとって息を吸うように簡単で、赤子の手をひねるも同然なのです。この顔でいれば人からの印象なんて、ほぼ好感しか持たれません。
――私の心情は別としても。
「私は歴史ある、由緒正しき百合宮家のご令嬢ですよ。早々人前で泣くなんてことはできません」
「一年生の時は結構泣いてたよ」
「拓也くん本当に私に厳しくなりましたね」
「だってもう五年も経つから」
「そうですね」
「……」
「……」
「大丈夫だよ」
「…っ、ありがとうございます、拓也くん」
表情は取り繕えるけれど、声音までは取り繕えなかった。
ずっと一緒にいて、私のことを理解してくれている友人の手は、微かに震えていた私の手をギュッと握ってくれていた。
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