Episode116 現在の百合宮家
何年経っても丁寧なハンドル捌きの坂巻さんの送迎車から降車し、玄関扉を開ける前に一つ呼吸する。
……うん、よし。私は百合宮家の長女。
ちょっとやそっとのことでは、この淑女の微笑みは剥がれない。
そうして重厚で荘厳な我が家の玄関扉を押し開き、中へと一歩、足を踏み出した瞬間。
「お姉さまおかえりなさああぁぁぁい!!!」
「
満面の笑顔で両手を広げてダダダダアァァーッと駆け寄ってくる、超絶可愛い妹を視界に捉えた瞬間、淑女の微笑みなど一瞬の内に剥がれて落ちた。
駆け寄ってきた超絶可愛い妹は「とうっ」と言ってジャンプし、私も受け止める体勢で見事キャッチして抱き留める。
しかし今の今まで満面の笑顔だったというのに、私を見上げた顔はプウゥッと、まあるくほっぺをプクプク膨らませた。
「お姉さまおそいです! 鈴、お姉さまのおかえりを首をながくして、ずっとまっていました!」
「ごめんね鈴ちゃん! お友達とちょっとお話し合いしてたの!」
「おともだち? れいかお姉さまとるりお姉さま?」
「ううん。学校のお友達だよ」
コテリと首を傾げて聞かれたことにデレデレと返すと、鈴ちゃんはパッと目を輝かせた。
「れいかお姉さまとるりお姉さまみたいな、女の子ですか!?」
「えーとね、可愛い男の子とスケコマな男の子だよ」
「ただいま。二人とも扉の真ん前で邪魔なんだけど」
「あっお兄様!」
真後ろから声を掛けられて振り向けば、そこには我が百合宮家の長男で跡取り・お兄様が呆れたような顔で可愛い妹二人を見下ろしていた。
「お兄様お帰りなさい! 私もただいま帰りました」
「お兄さまおかえりなさあぁい!」
「うんただいま。そして花蓮お帰り」
お兄様にも二人で元気にご帰宅の挨拶をすれば、目元を和らげて笑って返してくれる。
鈴ちゃんを降ろして靴を脱いで上がり、私とお兄様が洗面所へと向かうのを鈴ちゃんがニコニコしながらテテテッとついてくる。めっちゃくちゃ可愛い。
手洗いうがいをして、鈴ちゃんも真似して同じことをした後で、ふとお兄様を見上げる。
「あら? お兄様、また身長伸びました?」
「え? そう? 何かそれ遠山くんにも言われたな。じゃあ伸びたのか」
そう言って私の頭に手を置いて、自分との身長差を測っているが男女で、しかも年齢差がある私と比べられても。
私は小学五年生になったが、お兄様は現在十六歳。高校一年生である。ちなみに鈴ちゃんは五歳。
昔から秀麗なお顔立ちをしていたが、今では道を歩けば二十人中全員振り返るような、すっかり麗しいご尊顔へと更に成長されている。記憶を思い出した頃の、私の見立ては間違ってはいなかった。
しかも顔ばかりではなく、特にスポーツもしている訳でもないのに、しっかりとした身体つきで高身長ともなれば、裏エースくんばりのモテモテをさぞかし謳歌しているのだろう。
くっ、麗花のライバルがまた増えてしまう……!
「お兄様! お付き合いされている人はいないんですか!?」
「藪から棒になに急に。目も回るような忙しい僕に、そんな暇があると思う?」
「ありません!」
「力強く断言されるのもどうなんだろう。地味にショックなんだけど」
お兄様は麗花をお嫁さんにするんだからダメ!
絶対!!
そしてそんな私達の会話を聞いていた鈴ちゃんが、お兄様の足にギュッとしがみつく。
「お兄さま! 鈴とお姉さまいがいに、女のひとがいるんですか!」
「人聞きの悪いことを言わないでくれるかな。誰がそんな言い方を
「私じゃありませんよ!?」
疑わしい目を向けないで下さい、冤罪です!
「私と一緒に見ていたドラマの影響かしら? やだわ、すぐ覚えちゃうのね」
ふぅ、と息を吐きながらそう言って現れたのは、歳の離れた子ども三人産んだというのに、いつまで経っても若々しいお母様。
「母さん」
「お母様」
「お母さま!」
「三人の賑やかな声が聞こえてくるんですもの。気になって来ちゃったわ。それにそろそろお夕飯よ。二人は早く着替えて。歌鈴ちゃんはお母さまと一緒に、お兄様とお姉様を待っていましょうね」
お母様に言われた鈴ちゃんは、静かに歩いてお母様と手を繋ぎ、ふわりと微笑む。
「はいお母さま。いっしょにおまちします」
「行きましょう。それじゃ奏多さん、花蓮ちゃん。待っているわ」
「「はい」」
そう言って、洗面所から出て行った二人を微笑んで見送った私とお兄様は、その後顔を見合わせる。
「歌鈴、母さんと僕達の前じゃえらい態度違うね?」
「私の時みたいに淑女教育が始まったみたいです。でも鈴ちゃん、自分から私のようなお姉さんになりたいって言ったそうですよ? ふふふっ、鈴ちゃんのリスペクトはこの私。私は鈴ちゃんにとって大好きで、憧れのお姉さまなのです!」
「まぁ一番身近にいるのがこれじゃ、そうなるか。歌鈴は花蓮みたいに、残念な子にならなきゃいいけど」
「私のどこが残念なんですか、お兄様!」
「あーただでさえ学院で忙しいのに、家ではプリンセス二人のお世話か。僕って大変だな」
「お兄様!?」
首を振って歩き始めたお兄様の後を追い、各自室に向かうべく階段を上る。
忙しいと言うお兄様。
確かに高校二年生ともなれば、将来のことも相まって色々と勉強以外にも、学ばなければならないことは山ほどあるのだろう。
それにお兄様が通っているのは、私立聖天学院付属高等部――銀霜学院。勉学に重きを置く学院の生徒であり、その他にも。
「お兄様」
「ん?」
階段を上りきって、声を掛けて振り向かれたお兄様の制服。その制服の襟にファヴォリ ド ランジュである、学院の特権階級の生徒だという証の、天使の羽を象ったバッジは――――ない。
当時、中等部に上がる春の短期休暇に、我が家と学院側でそんな騒動があったことをおぼろげに覚えている。
お兄様がどうしてファヴォリの所属を返上して、ただの学院生として通おうとお思いになったのか。お母様は身重であったため話には加わらなかったが、お父様とお兄様の間では意思疎通が図られ、家族間では特に問題とはならなかった。
お父様はお兄様の意思を尊重し、お兄様の強固な意思に学院もそれを呑まざるを得なかったらしい。らしいと言うのも、私もその時はお母様の傍にいさせられたため、詳細は不明なのだ。
むしろ中等部に上がって数日後、学院全体に走った衝撃のニュースとして、麗花からどういうことかと連絡があって初めて知ったくらいには。
私もお兄様に直接聞きはしたが、「ちょっとやりたいことがあってね」とそれ以外の返答は返してくれなかった。
「今日お兄様が遅くなったの、委員会のお仕事ですか?」
「うん。それと向こうの学院との意見交換会。遠山くんともそこで話したんだよ」
「遠山さまは紅霧学院の方ですものね」
「向こうは向こうで色々あるそうだよ。まぁ彼にも人徳はあるから、頑張ってもらいたいよね」
にこりと笑って言うお兄様。きっと遠山少年からしたら、文句を言うだろう発言をしたと思う。
そこで一旦別れて、自室へと入り制服から着替える。
お兄様はファヴォリではなくなり、銀霜学院にて風紀委員会に所属している。風紀委員会には中等部の頃から所属し始め、色々と学院の内部改革に努められているとのこと。
お兄様は私には何も話してくれない。
けれど、それは昔の記憶にあるような私を避けるようなものではなく、慈しむような眼差しで見つめられるため、もう私もどうしてと言うことはしない。
私にも考えがあるように、お兄様にはお兄様の考えがある。だから私も。
最高学年になる来年になる前に――――進路を考えなければならない。
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