Episode110.5 side 白鴎 佳月④ 白鴎に連なる者 後編

 勉強を教え、何度も付き合ってあげている。

 普通に辛辣な言葉を吐いて、受け答えをしている。


 きっと即席課題が全滅でも、辛辣な言葉を吐いて、また付き合ってあげるんだろう。仲が良いと自覚し、奏多から頼みごとをするほどの仲なのなら。



 こと。


 俺以外に、奏多が大きく心を傾けること。

 妹――花蓮ちゃんはいい。彼女は彼の血の繋がった家族だから。


 ああでも、俺が奏多の一番であればいいのに。

 入学した時から、奏多をずっと見ていたのは俺なのに。奏多が素で初めて接したのは、俺なのに。


 遠山 金成。


 お前が俺を押しのけて奏多の隣に立つというのであれば、俺はお前を――




「消してしまおうか」




 聞こえた声に目を瞬き振り返ると、すぐ傍にゆるりと笑んだ母が立っていた。


「お母さん。ノックもなしにどうしたんです」

「したけど返事がなかったから入ったの。そうしたら勉強している振りして、思い詰めた表情をしているから。さっきの、当たってたかしら?」

「振りってなんですか、振りって。ちゃんと勉強してましたよ、ほら」


 ドッドッと波打つ心臓に素知らぬ振りをしてノートを見せれば、母は「そうね」と頷く。


「ねぇ、佳月。詩月の誕生日パーティ以降、あちらとは仲良くしているのかしら?」

「あちらとは誰のことでしょうか」

「ふふっ、決まっているじゃない。ずっと貴方の頭を占めている……百合宮の、ご長男のことよ」


 今度こそ隠しきれず、驚愕の面持ちで母を見つめる。

 

 確かに奏多のことは、彼とよく話をするようになったとは言った覚えがある。だけど普通ピンポイントで、それを確信的に当てられるものなのか?


「あの顔。ご長男、誰かに取られそうになっているの?」

「お母さん」

「取られる前に、手を打たないとって思ったのよね?」

「お母さん!!」


 たまに訳の分からないことを言う母。

 訳が分からないと思っていた、母の言うこと。


「ダメよ。

「どう、して……」


 解ってしまう。


 



「私と同じになってしまうわよ」



 その時だけ真顔になって告げられ、頭を金槌で打たれたかのような衝撃が走った。

 何も言えず、母の顔を見つめることしか出来ずにいると、母は椅子を手繰り寄せて近くに座った。


「上手くしていたのに、感づかれてしまって。咲子ったら幼馴染の私の説明を聞こうともせず、あの微笑みを張りつけて徐々に遠ざかってしまったわ。ずっと傍にいた私ではなく、あんなトロい後輩にばかり目を掛けていて。雅も、後から来たくせに咲子の関心を奪っていった。だから遠ざけようとしたのに、美麗と樹里……。本当、爪が甘かったわ」

「……消そうと、したのですか?」

「ええ。だって邪魔でしょう? 私は咲子だけがいればいいのに。咲子の隣には私だけが在ればいいのに。貴方も、そう思っているでしょう?」


 答えられなかった。

 同じだった。母と、自分の思考が。


 そんな自分を置いて外側から見ると、狂っていると自覚している。おかしいと。

 俺って面倒くさい人間だったんだなーって、軽く誤魔化した裏側で――――本当は。


「佳月」


 母の細く白い手が、膝の上で固く握られた拳の上へと重ねて包んでくる。


「白鴎の血筋の者は、百合宮の者に惹かれるの」

「え……」

「おかしなことじゃない。私達は、それが


 どういうことだ、それは。


「外から入ってきた人間は呪いと言うけれど、私達にとっては、運命」

「運、命」

「先祖を辿れば皆そう。普通の友人同士で納まる者も、密かに愛を育てる者もいた。そして私達が運命と口にするのは、それ相応の理由があるわ」

「理由って、何ですか」

「これよ」


 そう言って母がもう片方の手で押さえたそこに、目を向ける。


 ――それはぽっこりと膨らんだ、もうじき俺と詩月の“妹”が産まれる、腹で。



「咲子も、もうじき産むの」

「!?」

「同い年になるわね?」



 お母さんと、百合宮夫人。


 俺と、奏多。


 詩月と、花蓮ちゃん。



「まさか、そんな」


 皆、同学年。同じ歳。

 呪い。言い得て妙。いや、これは、なのか。


「白鴎と百合宮は対。けれど同性だから情を抱いても結ばれることはない。友人で留まるか、愛を勝ち取るか。私は前者だけれど、独占欲は強かったから。我慢できなかったの。私以外の者が咲子の隣にいるだなんて。だから貴方の顔を見てすぐに分かったわ。私と同じことを考えているって」

「どうすれば、いいんですか。奏多は俺以外を、見始めている……っ」


 苦しくて、想いを共有できる存在へと吐露すると、母は小さく溜息を吐いた。


「本当に、百合宮の者には困ったものね。あの仮面ポンコツたらし一族は」

「……えっ」


 母の口から絶対出そうもない名称が飛び出たことに、一瞬目を丸くしポカンとする。母は悩ましげに眉を寄せ、愚痴るように言い始めた。


「ポンコツなのよ、あの人達。ポンコツのくせに人を誑すのは人一倍上手くて、それで人があの人達を取り囲んでしまう。咲子だってポンコツのくせに頑張って令嬢ぶって。小さい頃なんて、外をよく走って転んでいたのよ? 彼女のお父様に令嬢らしくなるまで家に入るなって言われて、ずっと外に出されて、それから日差し嫌いになって。ポンコツなのを隠すために、高い教養を身につけることを教えられる。ポンコツのくせに優秀だから、すぐに身につけちゃうのよね。ああもう、嫌になるったら!」


 分かる。


 対人能力ポンコツのくせに、素を見せ始めても人に囲まれている。……百合宮の長男の顔、あれはポンコツを隠すための仮面か!


「だからあの子の娘……花蓮さんが仮面をつける前に、詩月と会わせたかったのに。咲子ったら、本当にやってくれて」


 母が漏らした悔しげな呟きに、パチリと瞬く。


「詩月? え、でもアイツ、好きな子いますよ?」

「好きな子? 花蓮さん以外に? 有り得ないわ」

「有り得ないって。というかそもそもどうして、そんなに幼い時に会うことにこだわるんです。それに俺だって奏多と話すまでは、彼のことちょっと苦手に思ってましたし」

「……私は出会った頃から、素のままだった。父は微笑みの仮面をつけた後だった。取り外した仮面の彼の人と接して初めて、強く惹かれたんですって。だから自分の対が“対らしさ”を見せない限り、惹かれることはないの。ただ、気になるだけで」


 そうだった。ずっと、見ていた。


 “百合宮の長男”の顔を取っ払った姿を見て、接して、涙が溢れて止まらなくなるほどに感情が高ぶった。


「貴方の場合は、顕著だった。対の存在は感じ取っても、あの長男の被る仮面は完璧すぎて、隙がなく見出せなかった。私のように独占欲が強ければ、なおさら。求める反動が大きくて、心が耐えられなかったのね」

「……そう、言われると納得する部分も、あります。けど、詩月は?」


 可愛い俺の弟。

 あの子にまで、俺や母のようなドロドロとしたものが巣食っているのか?


「詩月……。私も、貴方も、対は同性。お父様も、お祖母様も、近年何代遡っても同性。けれど、詩月の対は異性。男と、女なのよ。同性でさえこんな感情を持つのに、異性であればどうなるかなんて、想像がつくでしょう?」

「それは」

「ただでさえ貴方がなのに、あの子がじゃないとは限らないでしょう? ……詩月が生まれて、向こうに娘が生まれたと知った時に調べたの。先祖に誰かいなかったかと」


 そこで母は視線を落とした。

 ――それはとても、静かな眼差しだった。



「いたわ。家系図に、その名を黒く塗りつぶされて」



 どういう反応を返せばいいのか、分からない。

 

 白鴎の家だって歴史ある古き家だ。

 それなのに名を消された。末梢、された。


「必死に探して、当時の手記を見つけたの。ところどころ字がにじみ穴が空いていて読み辛かったけれど、解ったわ。そして名を潰したのにどうして手記が残されていたのか。同じことを、繰り返させないためだと」

「何とあったのですか。その手記には」


「……彼の人の、日記。つづられる百合宮への想いと、叶わぬ恋への慟哭どうこく


『どうしてあの人は私を見ないのか。私はこんなにも、あの人への想いで狂ってしまいそうなのに』。


 そんなことばかりが綴られた文章。そして、彼の人の弟が書いたものでしょう。


『兄は遂に狂ってしまった。してはならないことを兄は犯してしまった。愚鈍であれば救いはあったのに、優秀な頭脳を持ったばかりに念密な計画を立て、実行してしまった。兄は幼馴染として彼女と接していた。彼女も頼りになる幼馴染として兄を信頼していた。だから、周囲には駆け落ちと認識される。――本当は、』」


「……本当、は?」

「字が滲みきっていて読めなかったわ。でも、解るでしょう? 彼が何をして、対の彼女をどうしたのか」

「……」

「救いなんてそこになかったから、消されたのよ。なかったことにされた。あれほどまでの想いを抱いた人間をいなかったことに。詩月まで、そうさせるわけにはいかないの」


 衝撃的なことばかり聞かされて、明かされて、脳が全然働かない。それでも俺に向ける弟の笑った顔ばかりが、その時頭の中に浮かんでいて。


「幼馴染として、いて、間違ってしまったのなら。どうして、あのパーティで、会わせようと」

「貴方が完璧な仮面をつけている長男のせいで、体調を悪化させるほどの想いを抱える人間だということが、分かったから」


 俺の。


「私も貴方も想いは強く根深い。だから詩月もきっとそう。だからせめて仮面をつけ始める前に会わせたかったの。成長して、仮面をつけた状態で会わせたらきっと歪になる。それならまだ幼い時に会わせた方がマシだわ」


 でも、それじゃ何なんだ。詩月はハロウィンパーティで出会った天使ちゃんのことを、頬を淡く染めて、どんな子か楽しそうに話していた。


 初めて会った時も運動会でも、は仮面なんてつけていなかった。変わるのか? 花蓮ちゃんと出会った瞬間に。その天使ちゃんへの気持ちも。


「……伯父さんは? 琉星りゅうせいさんと晃星の父親に、対はいないでしょう」


 彼は、母の兄。穏やかな気質の。


「……産まれる前に亡くなったの。本当なら兄がいたと咲子がとても悲しんでいたから、よく覚えているわ。対のいない、出会うことさえもなかった静夜しずや兄さまには、確かに百合宮への想いはなかった。けれど恋した人への執着は、まるで対へのそれのようだったわ。継ぐ筈だった家督を躊躇ためらいなく放り出すほどの」

「っ!」

「佳月。考えなさい。どうすれば百合宮の長男の隣にいられるのかを。排除するのではなく、別の方法を」


 そう最後に言って、母は部屋を出ていった。

 

 考える。荒らぶる感情を抑え、理性的に。

 どうすれば奏多の隣に、『俺』という存在が在れるのか。



『お医者さまの言うことは絶対です! 私のあのケガも、本当に二週間できっちり治りましたもの!』



 グッと両の拳を握って、自信満々にそう言っていた彼の妹のことを思い出す。

 力任せにグシャリと前髪を乱して、両目を閉じる。


 母の話を理解することで精一杯で、のだと覚えのある詩月に関する“それ”を、とてもではないが口にすることはできなかった。



 ――詩月は、彼が可愛くてしょうがない俺のところによく来る。


 勉強が終わった休憩時間とか、学院から帰宅してすぐとか、お風呂から上がって寝る前とか。


 夜中、悪夢を見て怯えた時とか。


 それはまだ詩月が二、三歳の頃の話。

 今ではもう、夜中に弟が俺のところに来ることはないけれど。


 顔を青くして、おおきくなりたくない、と言った。

 どうして、と俺は聞いた。


 詩月は。



『ぼくのまえではいつもおなじかお。わらったとか、ないたりとか、おこったかおとかみたいのに、ぜんぶ、ぜんぶおなじかおしてるの』


『おんなのこ。ぼくあのこのことだいすきなのに、あのこはぼくじゃないだれかをみてわらってる。あのこはいつも、ぼくじゃないひとをえらんでる』


『ぼくはそれがいやで、すごくいやで、ひろいけどくらい、なにかのなかにそのこをとじこめてた。あのこはくるしそうなかおしていて、それをみてぼくは……わらってたの』


『こわかった。おおきくなってあんなことするなら、ぼくはおおきくなんてなりたくない』



 ――――そう、確かに言っていたのだ。

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