Episode110.5 side 白鴎 佳月② “奏多”との出会い

 その声が耳に届いた瞬間。

 心のどこか――頭の奥がスッとした。


 何故かその瞬間だけグルグルが晴れて、すっきりとした視界で彼をその目に映すことができた。


「百合宮さま!」

「楽しそうなところごめんね。彼と少し話したいことがあって。借りても良い?」


 学院で見る姿声そのままに、やはり“百合宮の長男”の顔を張りつけて対応するのを呆けて見ていれば、いつの間にやら女子たちの輪から抜け出させられて、人の少ない方へと腕を引かれていた。


 ……あれ? え、なにこの状況?

 俺ってばあの百合宮 奏多に腕引かれて、どっか連れてかれてる!


「えっ。ゆ、百合宮くん!?」


 問答無用で連れて行かれた先、何で知っているのかホスト側の休憩室へと入ってソファへと座らされた。見上げると、彼は眉間に少し皺を寄せて俺を見下ろしている。


 ……あらビックリ。そんな顔、初めて見た。


「顔色が悪い。いつも倒れているんだから、自分が倒れそうなのくらい分かるだろう。彼女たちも何で分からないのか、僕には分からないな」


 なに。何か怒られてる?

 心配じゃなくて、え、怒られ……? 顔色??


 備え付けの鏡台の方へと顔を向けて自分の顔を見るも、何ら変化が見られない。


 え、顔色? どこか変わった?


 自分でも分からない顔色を鏡と彼とを交互に見ると、「まさか分からないのか?」と言われた。


「や、倒れそうなのは分かっていたけど。顔色って何か違う?」

「違うだろう。ちょっと青い」

「ちょっと青い!?」


 本人でも全然分からないんだけど!?

 ちょっとって、どのくらいのちょっと!?


「え、というか何でホスト側の休憩室知って」

「封筒の中に招待状と一緒に、案内も入っていたし。覚えてくるのは当然のことかと」


 表情も当たり前、言葉も当たり前と当たり前を前面に押し出してきて、頭パンクしそう。

 

 当たり前じゃない。

 当たり前じゃないおかしなことが、いま俺の目の前で起こっている!


 俺の態度に不思議そうな顔をしているが、お前の俺に話し掛けて来てからの一連が俺には不思議なんだけど!?

 なに“百合宮の長男”の顔取っ払ってんの!? 何でいま素の百合宮 奏多になってんの!? ねぇ!??


「大丈夫? 寝っ転がれば?」

「俺の今の状態の半分は、君のせいだって自覚してる?」

「何で僕」


 納得いかない顔も初めて見るんですけど。

 一体どうなってんの。


 ホント目の前グルグル……グルグル…………してない。あれ?

 手を目に当てて今一度反芻しても、あの妙な不快感のあるグルグルを感じなかった。んん?


「あの」

「ん?」

「俺の顔色いまどうなってる?」

「どうって……ん? あれ? 元に戻ってるよ。変だな」


 変言うな。え、思ったよりズケズケ言ってくる。

 本当なんなの百合宮 奏多。


「……どうして、声掛けてきたんだ?」



 ――いつも、どうでもよさそうな顔で人を見ていたくせに



 聞くと彼はハッとしたかと思えば、途端に戸惑うような、落ち着かないような表情で視線を彷徨さまよわせた。


「……僕の、妹が……」

「妹?」


 何を言いにくそうにしているのか、彼の口から出てきた意外な単語につい聞き返してしまった。


 妹って、母もさっき言っていた。

 本当にいるんだ……。


「妹が変で……だから、倒れたら、頭打つだろう? おかしくならないかと……」

「え? 何て?」

「ほら、君よく倒れてるじゃないか。倒れ慣れてるから大丈夫かもしれないけど、万が一打ち所が悪くておかしくなったら大変だろう?」

「待って俺いま大分失礼なこと言われている気がする」


 倒れ慣れてるから大丈夫かもって何だ。 


 ちょっと待て。学院で百合の貴公子とか言われているくせに、この物言いは何なんだ。


 素なのか。これが素なのか!?


「普段倒れてばかりの白鴎くんが、まさか会場に来ているなんて思わなかった。妹のことがあるから白鴎くんまでそうなるかもって、何か危機感があって。だからずっと見ていたら、いつの間にか女子に取り囲まれてるし。良かった顔色も青褪めてきていたから。だから倒れて、頭打つ前にと思って」

「ねぇ何で倒れたら頭打つこと前提なの? 必ず俺は頭を打つの?」


 心配はされていたようだが、何か心配の種類が違う気がする。


 というか……俺のこと、見てたんだ。

 いつもは俺が見ているのに。


 そう思ったら何か、体からブワアッと沸きたったような、ビビッとくるような衝撃を感じた。


 どうでもよさそうな顔ではない。

 “俺”のことを感情を込めて見ている。話している。


 それは何と表現したらいいのか、言葉には表せない感情のたぐい


 嬉しい。歓喜。

 ……いや、それよりももっと、もの。


「白鴎くん?」


 声に戸惑いと驚きが滲んでいる。

 困ったような表情をしている。


 一体何が、彼にこんな感情を出させているのか。


「あー……。これは男子にも有効なのか?」


 そんなことを呟いたかと思ったら、不意にあたたかな温もりに包まれた。


「……え?」

「いや、泣いてるから。泣いた時の対応、僕これしか知らないし」

「え、俺、泣い……?」


 正面から軽く抱きしめられたことに戸惑っていると、そう指摘されたので手を動かして目元を擦れば、確かに濡れた感触がある。


 何で俺泣いてるんだ。

 体調も悪くない、グルグルもしていない。


 ――ああでも、気持ちがグルグルしている。


 何だこれ?

 ていうか、泣いたからこうしたのか。


「泣いたからって、普通は同じ歳の男子慰めるのに、抱きしめたりしない」

「……あっそう」


 素っ気ない言葉を返してきたのに、その腕は解かれない。それは多分、俺が泣き止むどころか、嗚咽がひどくなるばかりだから。


 だから何でこんなに泣いてるんだよ、俺。


 悲しいんじゃない。気持ち悪くもない。

 俺は一体どうしたんだ。頭打ってないのにおかしくなったのか。



 何で――――『やっと逢えた』


 そう、思う……?





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





 あのパーティでの出来事以降、俺は自分から彼に会いに行くことが多くなった。彼も彼で俺が来た時には顔を上げて、素の百合宮 奏多で話をする。


 ……それからだろうか、倒れる回数も目に見えて急激に減ってきたのは。


 やっぱり俺の体調不良は、心因性のものだったのか? 母の見立ては正しかったのか。


 しかしながら彼――奏多と話すようになって、パーティの時に思った彼に対する印象が固定されるのに、そう時間は掛からなかった。



「――それで妹が自分の部屋で変な踊りを踊ったり、でんぐり返しで、壁に思いっきりお尻からぶつかっていたんだ。僕はそれを目撃しても何も言えなかった。何て言えばいいのか、どう注意したらいいのかが分からない。佳月、普通に注意すればいいのか? それは令嬢として失格だって」

「奏多言い方」


 百合宮 奏多。

 彼は“百合宮の長男”の顔をしていれば普通に対応できるのに、いざ素になるとてんで対人能力がポンコツ化する。


 泣いた小五男子を抱きしめて泣き止ませようとしたのも、おかしいと思った。

 何でそうなるに至ったのかを後日聞いたら、泣いた妹が母に抱きしめられて泣き止んだからって、何だそれ。俺はお前の妹ではないのだが。


「あと本を積み重ねて、何か叫ぶのもどう思う? 僕は本を積み重ねて遊んだことなんてないから、分からない。積み重ねたら叫びたくなるようなものなんだろうか? どういう心理だ。お前の行動は奇天烈きてれつ過ぎて理解不能って言えばいいのか」

「だから奏多言い方」


 妹俺の弟と同い年なんだから、そんな辛辣な言葉吐いたら絶対ギャン泣きするぞ。今までどうやってその妹と過ごしてきたんだ。


 妹のことばかり話して相談してくる奏多は、どう見てもシスコン。誰が何と言おうと完全なるシスコン。……俺も人のことは言えない。


 けれど奏多が妹との対応に悩んでいるのに対し、俺と弟の関係はすこぶる良好。俺なりに考えてアドバイスすれば、瞳を輝かせて頷きながら「分かった。そうしてみる」と言ってくれる。


 そして俺はこうも思う。


 こうして人は一つずつ覚えて成長していくんだな、と。

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