Episode108.5 side 百合宮 奏多⑫ 今後を決めるもの 後編
目の前で緊張したように固まる詩月くんに、思わず苦笑してしまう。
多分気になって仕方がないと思ったから、登校した白鴎兄弟を朝一番に駐車場で待ち伏せて、本人に直接渡そうと思ったのだが……。
――僕の姿を認識した彼はすぐに緊張で強張った顔になって、あと弟からは何も聞いていないのか、そんな彼の様子に首を傾げる佳月が向かってくるのを僕も向かい、挨拶を交わす。
「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう。どうした奏多? こんな所で誰かと待ち合わせ?」
「いや、待ち合わせじゃなくて待ち伏せ。詩月くんに用事があって」
「!」
そうして固まっている、というわけである。
鞄から昨日妹から渡された封筒を取り出し、詩月くんへと差し出す。封筒を目にした彼はやはり僕と同じことを考えたのか、顔色が悪くなった。
「はい。天さんからの返信だよ」
「……詩月?」
受け取る素振りを見せない彼に、佳月が訝しげな表情で声を掛ければゆっくりと、けれどしっかり掴んで手紙を受け取った。
一面真っ白な封筒をジッと見つめて唇を噛みしめる様子に、やらかしを終息すべく口を開く。
「一応、先伝えになるかな? 『私とリーフさんがお互いを友達って思えば、それは友達です』って言っていたよ」
「えっ」
目を見開いて僕を見、次いで封筒を見、再度僕を見ても耳にした言葉がうまく飲み込めないのか、呆然としている。
佳月が何か言いたそうに、けれど見守る姿勢を貫いていれば、ようやく詩月くんの顔の強張りが取れた。
「あの、それって……そういうこと、何でしょうか」
「うーん。それは僕に聞くより手紙を見て、詩月くんが判断した方がいいんじゃないかな?」
微笑んで言うと彼は天使ちゃんの話をした時と同じような、柔らかな笑みを浮かべて。
「はい。そうします」
そう頷いて口にした。
その後は途中まで白鴎兄弟と一緒に校舎へと入って、階が分かれるところで詩月くんと別れ、佳月とともに階段を上っていく。
すれ違う低学年、同学年と皆から挨拶をされ、にこやかに返すいつもの朝。
低学年の時には高学年の方からも先んじて挨拶をされていたので、最早誰にも彼にも挨拶を返すのは僕にとって息をするのと同義である。
と、六学年の階まで来たところで。
「奏多」
呼ばれ、まあ呼ばれると思ったので何も言わず頷いて、もう一段と上がっていく。
六学年の階の一つ上は休憩スペースとなっており、ファヴォリはサロンを利用するのでこちらにはあまり来ることはない。
朝だからかあまり人はおらず、佳月は人目につかなさそうな手前角の席へと進んだ。
大人しくついて行き椅子に腰かけたところで、にこやかな佳月から尋問が始まる。
「それで? さっきのアレ、どういうこと?」
「どういうことかと言われても、いつもの文通のやり取りだよ。今回はこっちの番だっただろ。だから返信を渡しただけ」
「今回だけ奏多からわざわざ直接? 詩月も昨日帰って来てから様子おかしかったし、さっきだって奏多見た途端、固まったけど?」
「……こっちの方で文通のやり取りについて、やめるやめない問題が発生した。だから昨日、詩月くんに聞いたんだよ。天さんが文通やめたいって言い出したらどうする?って」
「は?」
こちらもにこやかに返したら突っ込まれたので、仕方なく事情を話せば、佳月は目を丸くしパカッと口を開けた。
おい佳月。いくら人が少ないからって、間抜け面はよせ。ファヴォリの威厳が下がるだろう。
「あー、だからあの落ち込みよう。なるほどね。また詩月がやらかした?」
「いや違う。僕も理由自体は、はっきり分からなくてね。ただ……あの子にとってそれが負担になるのなら、やめるのも一つかと思ったんだよ。詩月くんには申し訳ないけど」
「そっか。けど、大丈夫になったんだ?」
頷いて返すと、彼は安堵して椅子に深く腰掛けた。
「なら良かった。アイツ、天ちゃんからの手紙いつもすっごく楽しみにしているから。まだかって催促してくる時だってあるんだから、本当に最初の頃と比べて変わったよ」
「あ、そうだ。聞きたかったんだけど、文通の意図、詩月くんと僕とじゃ違うみたいだけど? 僕が聞いてたのは女の子に素っ気なくて慣れさせたいって話だったのに、昨日聞いたら人と接する時の態度を改善するためって言われたんだけど」
「別に意味一緒じゃないか?」
「女の子より対象範囲が広い、人って言い方、かなり違うと僕は思う」
コテンと首を傾げて、ポヤンとした顔をされて言われても誤魔化されないぞ。
「んーでも天ちゃんが女の子っていうのは、詩月も分かってるよ? それに催会に出ても泣かせることとかなくなったし、話も聞くようになったし。文通効果絶大! 全部天ちゃんからのアドバイスのおかげだってさ」
「詩月くんがそう言ってたの?」
「言ってた」
嬉しそうに話す佳月に、僕も自然と頬が緩む。
そうなのか。……佳月の名字を聞くまでは妹も楽しそうに、色々やり取りをしていた。
本当に何が妹の琴線にあの時触れたのか不明だけど、文通自体は続けることになって、どちらにとっても良かったと思う。
……そう。何にも脅かされることなく、楽しく過ごしていればいい。
「佳月」
「ん?」
初等部六学年。来年の春には中等部へと上がる。
もう、僕は初等部にいることができなくなる。
「敢えて今まで聞かなかったけど、佳月は中等部へ進むの?」
――変化を感じ取った。
目の前に座っている彼は先程までの嬉しそうな顔から、“白鴎家の長男”の顔で笑っている。
「皆過保護でさ。本当に奏多と直接知り合ってから、かなり体調回復しているんだ。知ってると思うけど前はよく倒れていたのに、それも全然ない。だからアメリカには絶対に行かない。進むよ、中等部」
「そう」
不思議だと思う。パーティで倒れそうだったのを僕が助け、それが縁で話すようになってから、本当に彼は体調が良くなっているらしい。
余程僕と何らかの波長が合っているんだろうか?
何だそのオカルトっぽいの。
「突っ込んで聞くけどその場合、後継ってどうなる?」
「後継ぎは変わらず。いつ元に戻るか分からないから。俺はそれでいいと思っている。詩月には負担かけて、悪いとは思っている」
「……聞いた僕もアレだけど、よく話せるな」
内容が内容なので周囲には聞こえないように小声に落としてはいるが、普通そこは濁すだろう。
嫌な顔ひとつしないとは、やはりどこかポヤンとしているな。
「奏多だから話したって思わない?」
「僕だから? ……将来的に“白鴎”は、“百合宮”と何か事業提携したいってこと?」
言った瞬間、ぶっは!と笑われた。
間違ったらしい。おいそこまで笑うな失礼だぞ。
「あっはは! ほんと奏多って奏多!! あー、もしかしたら可能性あるかもだけど、俺に関しては違うね。で? どこまで“俺”に白鴎の権限があるかって?」
おい直球すぎるぞ佳月。これでも事態がこんなことにならなければ、絶対に聞くことはなかったんだからな。
小さく息を吐いて、素直に謝る。
「ごめん」
「謝るなよ。俺はあの奏多に頼られてるって思って、嬉しいけど」
「? 僕、結構佳月には頼っていると思う。妹のこととか、あと
「本当に最後小さい話だったな。で、本題」
正面の佳月を見据え、背筋を伸ばした。
「中等部。僕は、――――を捨てる」
本題の結論から言えば、確実に聞こえただろうに何の反応も返ってこなかった。
まぁいいか、そのまま続ける。
「だから佳月は」
「待て何そのまま続けようとしている。え、待ってさっき何て言った? ――――捨てるとか聞こえたけど、俺の空耳しか有り得ないよな?」
「言葉が変だぞ佳月。ちゃんと聞こえてたんなら反応してくれないと、そのまま話すだろう」
「有り得ないこと言った奏多の方がおかしいって!」
被っていた“白鴎家の長男”の顔なんて遠く彼方へと飛ばし、素の表情で慌てて僕をおかしいと言う佳月に思わず笑う。
「なに笑ってんの!? 頭どっか打った!?」
「打ってない。他の人間からすれば神童とか呼ばれる僕は、“普通ではない”んだろう」
「!? そういう意味じゃ」
「分かってる。……真面目な話、親交行事や運動会。普段の生活の中においても、今の聖天学院生の考え方や行動は目に余る」
言うと佳月は口を閉ざし、続きを促すようにテーブルを指でトンと叩いた。
「親交行事は言わなくても分かるだろう。運動会、佳月は見ていてどうだった?」
「……最後の選抜リレーでのアレのことなら、同学年、薔之院さん以外誰も行かないんだなって思ったね」
「仲の良い子くらいはいた筈。それなのに、その友達さえ助けに行かない。大して関わりのない薔之院さんしか規律違反しても、迷わずに助けに行った。あまりにも富裕家格の意識レベルに格差があり過ぎる。そしてそれに見合う生徒があまりにも少なすぎる。問題を起こしたことが問題だということにさえ、気づきもしない。嘆かわしいことだね、本当に」
以前の僕なら認識はしても関係ないどうでもいいと、気に留めさえもしなかっただろう、それ。
そう考えると僕も大概だが、こうなってくると妹が別の学校に通っていて良かったとさえ思う。
「卒業してしまえば、更に初等部は混沌とするだろう。まだ一年生には男子は四家の彼等が、女子は薔之院さんがいるからマシだが、他の学年となるとファヴォリの意識をしっかりとさせ、他を律してもらう必要がある。そのためにだからこそ、それが活きてくる」
「……俺とどう関係が?」
とっても嫌そうな顔で言ってくるが、解っているからこその嫌そうな顔とその発言だろうに。
「だから佳月、よろしくね?」
「よろしくねじゃなくて。えーちょっと俺すごい負担じゃん! 面倒くさい! 俺一人で面倒見るのやだー。体調回復したの悪化したらどうすんの!?」
「別に転校するってわけじゃないんだから、大げさだな」
「大げさ! そもそもそれできんの!? 学院絶対反対するって!」
「運動会。あの規律に関してウチの両親が直談判して、ファヴォリ関係なく生徒同士助け合っても可って改定させたんだから、その血を受け継いでいる僕がそうしても不思議じゃないよね?」
「奏多、ほんっと奏多……!!」
遂に頭を抱え出した佳月。
まぁ言い出しっぺの僕よりかは負担少ない筈だから、頑張ってほしい。
「ヤダもー。……あのさ、それってもしかしなくても花蓮ちゃん……妹ちゃん起因?」
「よく分かるね?」
「だってそれしかないじゃん。でも妹ちゃんのためだったら、何でそれ関係あるわけ?」
「意識改革には必要だろ。僕で慣れておけば問題ない。高校は絶対に“こっち”受けるから」
「……えっ、未来投資? 怖っ! 奏多怖っ! シスコン怖い!!」
「お前だって大概なブラコンだろ。それに在校時――――を捨てた僕が、その時の在校生に対して何も動かないとでも?」
深く微笑んでそう告げると、佳月は目を見開いて椅子ごと後ずさった。
僕が決めた聖天学院での、僕の役割。
それは妹がこちら側に来る時、どういう効果をもたらしているのか。トップが動かなければ、周りなんて変わりはしない。
真摯に反省するよう促し慈悲を与えるか、無用の長物で即座に切り捨てるかは、その時次第だろう。
――――願わくばあの子が笑顔のまま、健やかに過ごせるように――……
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