Episode108.5 side 百合宮 奏多⑪ 今後を決めるもの 前編
「花蓮」
「……お兄様?」
スイミングスクールのため今日は妹の方が帰りは遅く、恒例の弾丸タックルを受けずにのんびりと過ごしていた。学院からの宿題なんて、遠山くんの勉強を見る合間に終わらせている。
そして帰宅した妹を今回は僕が迎えれば最初にキョトンとした顔をし、けれどその一瞬後にはパッと表情を輝かせて、僕に向かって猛ダッシュしてきた。
「お兄様ただいま帰りましたああぁぁぁ!!!」
「え。ちょっとまっ……ぐふっ!」
タックルを受け、しかも水を吸って重たい水着一式を抱えての暴挙に耐えきれず、僕の尻は床とこんにちはした。そしてまたもや、妹に押し倒されるという。
そうか。迎えられても迎えても、妹には関係なかったか……。
「お兄様聞いて下さい! あのクソ鬼……いえ緋凰さまが!」
「お帰り。令嬢がクソとか言わない。あと重い。どいて」
「重くないです!!」
プクっと頬を膨らまして、コロンと転がって僕の上から退いた妹。
どういう退き方だ、まったく。部屋でコロコロ転がっているから、癖になっているな。
「また何か言われたの?」
起き上がりながら聞けば、頬を膨らませたまま目を吊り上げた。
「そうなんです! 今日はクロールで初めて三メートル泳げたんです! 夫人と春日井さまは喜んで下さいましたが、緋凰さま!! 『三メートル泳ぐのに何で三分もかかってんだ! 名前に亀入ってんのに、亀に失礼だろうが!!』って! 確かにちょっと時間はかかったかもしれませんが、そこはタイムよりも泳げたことが大事じゃないですか!? それなのに、鬼だけムチばっかり! 鬼! 桃太郎にやられてしまうがいいです!!」
遂に訂正せず、鬼と言い切り出した。
三メートルで三分か。確かにどう考えなくてもかかり過ぎだとは思うけど、運動会の時のことを考えれば、妹の能力的には頑張ったんだろう。
うーん。緋凰くん、天才肌っぽいからな……。
「そう言えば、何で名前に亀?」
「ニックネームで亀子って呼ばれています」
「ふーん」
どういう経緯で亀子。
泳ぎを覚えるスピードが遅いからか?
プンプンしていても嫌とか辞めたいとか言い出さないあたり、何だかんだでボロカス言っても言われても、緋凰くんのことは嫌いではないのだろう。
お世話になっているみたいだし、挨拶した方がいい?と前に聞いたら、
『いいですいいです! 絶対にしないで下さい!!』
って拒否はされたが。
夕紀くんとも上手くやっているようだし。
上手く……。
そっと息を吐くと、「お兄様?」と首を傾げられたので、何でもないと返しておく。
「手洗いとうがいをしておいで。あと夕食後に渡すものがあるから、自分の部屋にいてくれる?」
「分かりました!」
プレゼントか何かと勘違いしたのか、とっても嬉しそうな顔で返事をして、タタッと洗面所の方へと駆けて行った。廊下を走って、母に見つかったらお説教だということを忘れているな、アレは。
しかしこういう時に限って母には見つからず、僕だけしか目撃者がいないということは多々ある。自分の部屋でコロコロカーペットの上を転がっているのもそうだろう。
……家の中でくらい好きにさせてやろうとか、僕も妹に関しては大概だな。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
「ぎゃあああぁぁっ!!!」
「……」
かの有名な絵画・ムンクの叫びような顔で、令嬢にあるまじき叫び声を上げた妹。
夕食後、帰宅した妹に伝えた件で彼女の部屋を訪れ、例の詩月くん……リーフさんからの手紙を渡して「これ何ですか?」と聞かれたので、「リーフさんからだよ」と言った瞬間に起こった出来事である。
まるで熱いものを触ったかのような反射速度で手紙を離した。可哀想にカーペットの上へと落ちたそれは、妹から信じられないものを見る眼差しを注がれている。
「それはちょっと失礼じゃないかな」
「……!」
言ったら目で何か訴えてきた。
そんなに見つめられても全然分からないから、ちゃんと口でものを言え。
「はい」
拾って手に握らせたら、首がとれそうなほどブンブン横に振ってくる。
「花蓮」
「まだ答えを出していません! それにリーフさんの番でもありません! 何なんですかこれは!? ……ハッ! まさかお兄様!!」
やっぱり気づいたようで、眉間に皺を寄せて怒りの表情で見上げてくる妹に白状する。
「僕がやらかした結果だね。一応目的としては探るだけのつもりだったんだけど、リーフくんすごい反応返してきたよ。まぁ言いたいことは色々あると思うけど、その手紙にリーフくんの思いが全部書かれている。それを読んでから、今後どうするかを決めてもいいんじゃないかな」
「そんな。え、でも、お兄様」
パッと立ち上がって辞そうとする僕に、縋るような声で呼び掛けてきた妹を振り返る。
「リーフくん、言っていたよ。天さんのことを考えて手紙を書くのは、俺の数少ない楽しみになっていますって」
「……」
そう言うと途端妹は眉を下げて、手にある手紙へと視線を落とした。
それを最後に扉を静かに閉め、僕は自室へと向かった。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
コン……コン……と一定のリズムで叩かれ続ける扉を前に、立ち尽くすこと時間にして約一分ちょい。
どうぞと声を掛けたのに、一向に入ってくる気配のない様子に暫く放っておいたが、さすがに集中できないし気になるので仕方なく自ら向かうと、ノブへと伸びていた手が外から聞こえてくる声にピタリと止まった。
「ひっく……ぐすっ……うぅっ……」
「……」
「バカ……お兄様……ひどい……ひっく」
「……」
「ぐす……ひくっ……ぐすっ…」
泣きながら罵られている僕は、一体どうすれば。
いや、扉を開けなきゃいけないことは言われなくても分かっているが、元は自分のやらかしのせいなので、もの凄く居たたまれなくなっているだけで。
一度深呼吸してカチャリ……と静かに開ければ、そこには泣きながら手に何かを持った妹がいた。
「お兄様……居留守……」
「僕はちゃんとどうぞって言ったよ。……ほら、入って」
「ぐすっ」
鼻を鳴らして返事をし、最早定位置になっているベッドへと座る。クローゼットの引き出しからハンカチを出して妹へと渡した後、デスクチェアに腰をかけた。
取りあえず泣き止むのを待っている間、妹が訪ねてきた用件を考える。
僕への文句か、文通に関する返答か。
はたまた別件か。……何で泣いてたんだ。
僕が居留守使って(使ってないが)待たされるくらいで、泣くようなタマじゃないだろう。
「……お兄様、これ」
「えっ? あ」
頭でブツブツ考えていたら、目元を赤くした妹がいつの間にか僕に向かって、手に持っていた何かを差し出していた。見れば、白いシンプルな封筒。
……うわぁ。
「文通の返事、かな?」
コクッと頷いたので、恐る恐る受け取る。
いつもは封筒を留めるシールも、てんとう虫やら葉っぱの可愛らしいシールを使っているのに、今回に限りセロハンテープで留めてある。
もうヤダこれ。
こんなの、これ見ただけで良くないことが書いてあるようなものじゃないか。
「……ちなみに、続けるか続けないかの答えも決めた?」
「決めました。私の気持ち全部そこに書いてます」
「そう」
あー……、これでダメだったら詩月くん本当ごめん。埋め合わせはどこかで必ずする。
封筒を鞄にしまって振り向くと、妹はまだ同じ場所に留まっていた。他にも何かあるのだろうか?
僅かに首を傾げた時、妹は何かを決めたような、強い眼差しを向けてきた。
「リーフさんと、どんなお話をされたんですか?」
あ、事情聴取だった。
「どんな。……まぁ、用事があるって言って話をしたかな。順番としては花蓮の番だったから、てっきり返事だと思われてそう聞かれたよ。あとは文通を始めた理由の振り返りとか、やってみて今はどうかとか、そんな感じかな?」
「リーフさんがあんな手紙を書くに至った、具体的なお話をお願いします」
「……天さんが文通やめたいって言い出したらどうする?って言いました」
目を細めて聞かれたので、言った言葉そのまま全部白状した。組んでいた足は、まっすぐに整えた。
「お兄様、探るだけのつもりだったって先程仰られていましたよね? 今お聞きした言葉のどこが探っているんですか? それ、直球で聞いていますよね?」
「はい」
「リーフさん、突然で驚いたと思います。自分が悪かったのかとか、そんなこともお手紙には書いてありました。元はと言えば私の気持ちがブレてしまったことが原因なのに、リーフさんは全然悪くありません」
「はい」
「……何もお兄様にお話しできなかった私にも責任はあります。でも、答えを出す前にあんなお手紙もらって、私もびっくりしました。私……私も、色々考えていました。やめるやめないじゃなくて、リーフさんとの、これまでのことです」
目をパチパチと瞬かせて、まつげに付いた水滴が照明の反射でキラキラと光る。
「文通ってただの文字のやり取りです。相手の顔とか見えないので、内容とか字の書き方とかで感じるしかありません。最初はヘンテコな内容で書いてしまったお手紙にも、リーフさんはちゃんと丁寧に返してくれました。それが同じ年なのにすごい!って感動して。でも、それはリーフさんにとってはただの義務でした。したい、じゃなくて、しなくちゃいけない、だったんです。だから抗議文を書いて、あれから本気のやり取りになっていって。お兄様、私思ったんです。それって、会って話すのと同じだなって」
「会って話すのと同じ?」
「はい。色んな話をして、意見を言ったり相談したりケンカしたり仲直りしたり。会って話すのと書いて話すの、方法が違うだけでやってる中身は一緒です。だから、誰が誰だとかじゃなくて、私とリーフさんがお互いを友達って思えば、それは友達です。誰かなんて関係ありませんでした。私は、リーフさんと、お友達なんです」
しっかり目を合わせて話す口調は、
『天さんは、相手の気持ちをちゃんと汲んで受け取ってくれる人です』
……そうだね。詩月くん、君はちゃんと“天さん”のことを解っていた。
「じゃああの手紙、そう言うことなんだね?」
微笑んで聞けば、妹も吹っ切れたように笑った。
「はい!」
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