Episode82 今日という日は〇〇記念日

「麗花~! 瑠璃ちゃ~ん!」

「ええいどうしましたの! 暑いのに鬱陶うっとうしいですわね!」

「花蓮ちゃん、危ないよ」


 皆聞いた!?

 麗花と瑠璃ちゃんの、私への対応のこの寒暖差よ!


 縄とびをする二人に三輪車で向かって行ったらのこの発言である。


「麗花冷たい! ひどい! 優しさが欲しい!!」

「これで何回目だと思っていますの! 最初はちゃんと何かありますの?って、優しく聞いていたでしょう!?」

「だって、私だけずっと三輪車……。この訓練中、ずっと私だけ仲間外れだもん!」

「貴女の運動神経が想像を絶したからですわよ!!」


 邪険にしているように見えて手を止めて話すあたり、やっぱり麗花は少し優しかった。瑠璃ちゃんはニコッと笑って傍まで来てくれた。


「花蓮ちゃん。今日は甘えたさんだね」

「瑠璃ちゃん!」


 優しさ溢れる彼女に抱きつき、その体の柔らかさを堪能する。


 うぅ、暑くてもポヨポヨが心の傷に優しい……。


「……花蓮ちゃん、暑い」

「セクハラですわよ。奏多さまに訴えますわよ」

「そんな殺生な!」


 瑠璃ちゃんの本音と麗花の絶対零度の眼差しに負けて、渋々離れる。


 催会参加禁止令を出されてはいるが、友達の家に遊びに行くことは禁止されていない。

 友達と楽しく遊ぶことで嫌な記憶も薄れていくだろうし、何より拒否反応が歳上の少年にだけ発症するようなので、麗花たちの家に行っても大丈夫なのだ。


 けどあの出来事も百合宮家の闇を垣間見た衝撃で、そっちの方が自分の中で比重が傾いていて、何か昔すごく嫌なことがあったくらいのこととして処理されている。

 それにお兄様と触れ合いたいって強い想いで拒否反応を克服したせいか、拒否対象を車窓から見てしまっても取り乱すことはなかった。


 まぁこれで学校に行っても、高学年を見て怯える心配はないだろう。精神年齢が実年齢より高かったのも幸いしたようで、気持ちの整理をつけるのは早かった。……うん、触られない限りは大丈夫だと思う。


 しかしそんな驚異的な精神力を発揮している私でも、傷ついた心に癒しは必要だ。


 海に行くことがきっかけで始まった瑠璃ちゃんのダイエット訓練だが、実は海に行ったその後も継続していた。結果として少し(微か?)の運動量で大量の汗を流す彼女の体重は、三、四キロ程減量することに成功した。


 本人は見た目に変化が起きていないことがショックな様子だったが、一応数字として結果を残したわけであるし、これで一旦終了となったのだが。


「私、夏休みの間は頑張りたいの!」


 ペッカー!と、そんなやる気溢れる瑠璃ちゃんの宣言に麗花が感化され、ダイエット特訓は継続されることとなった。

 ちなみに米河原家の商品化計画は保留中である。


 そして引き続き、道づれで私も継続して参加することになっているわけであるが、癒しの存在が必要な私にとっては正に僥倖ぎょうこうな話なのであった。


 しかし……。


「三輪車はもうヤダ! 飽きた! 一緒に縄とびしたい!」

「試しにやってみて一発目で足引っ掛けて、顔面から転んだ貴女にもうさせられるわけがないでしょう! 鼻の絆創膏ばんそうこう以外に傷を増やしたくなかったら、大人しく三輪車で我慢しなさい!」

「でも最初だけだもん! たまたま足引っ掛けちゃったけど、次は大丈夫かもしれないし。練習しないと上手くならないんだよ!?」

「うっ、正論かましてきましたわ……!」


 麗花がひるみ、私の正当性が勝利を掴もうとしていたところ、思わぬ方向から反論が上がる。


「でも、柚子島くん言っていたわ。花蓮ちゃんの運動関係のたまたまは、信用しない方がいいって。やる気はあるんだけど、そういう体質なんだと思うって」


 たっくん……!!


「あれ待って。瑠璃ちゃんまでいつ聞いたの?」

「麗花ちゃんと電話で話している時、代わってもらってお話ししたの」

「三輪車で決定ですわ」


 その話を聞いて麗花が即断した。

 くっ、たっくんからの情報提供が私を敗北へと導く……!


 縄とびを再開させた二人を横目に、キコキコキコ!と怒りの爆走をする。


 ずっと三輪車を乗り回していた私は、最早体の一部のように三輪車を使いこなしていた。スピードを出しても、もう田所さんの足や他の器具に衝突することもない。


 体育の授業に三輪車を使う種目があったら、絶対に羨望の的なのに!


 怒りのままにルーム内を三周したところでスピードを緩め、改めて縄とび中の二人を観察する。


 タンッタンッタンッタンッタンッ。

 ぽてっ……ぽてっ……ぽてっ……。


 お分かりだろうか。

 上が麗花、下が瑠璃ちゃん。この音の違いを。


 何だか既視感のある比較説明だが、私は言いたい。

 どういうことだと。


 一定のリズムで軽やかに跳ぶ麗花は、汗一つ息一つ乱すことなく余裕でこなしているのに対し、そんな彼女の隣で一定のリズムではあるが、重そうに跳ぶ瑠璃ちゃん。彼女だけ地球の重力が二倍なんだろうか?


 しかもまたもや滝のような汗が噴き出て、跳ぶ度に床を濡らし、水たまりならぬ汗たまりを作り出す。


 私は三輪車を方向転換させて、田所さんのところへ向かった。


「田所さん、田所さん。床があのままじゃ瑠璃ちゃん滑って転んじゃいます。私の二の舞にならないためにも、早めに拭いた方が良いのではないでしょうか」


 既に通り汗の惨状は見慣れていると言っても過言ではないが、どうも田所さんは未だ不思議なようで、しきりに首を傾げて見ている。


 伝えるとハッとしたようで、「そ、そうですね。瑠璃子お嬢さま!」とタオルと雑巾ぞうきんとドリンクを持って瑠璃ちゃんのところへ走って行く。

 同じようにほがらかな顔をしながら、西松さんも麗花へとタオルとドリンクを渡しに行った。


 ……それにしても、前は汗をかくのと脂肪の燃焼は別物とか考えたけど、いくら何でもあんなに尋常じゃないほどの量の汗をかいたら、体重は減りそうなものなのになぁ。


 家でもちゃんと合間にしているようだし、スロモ走りと同様に無減量の謎にも手を伸ばさなければならないだろうか……?


「麗花、麗花~」


 手をこまねいて呼び、ドリンクを飲んでいた彼女は訝しげな顔をしたものの、ちゃんとこっちに来た。


「何ですの。三輪車への文句はもう聞きませんわよ」

「違う。瑠璃ちゃんのダイエットのことだよ。あんなに汗流していて体重減らないの、おかしくない?」

「それは、まぁ。私も考えていたことですけれど。けれど米河原夫人に確認しても、お食事はローカロリーメニューでお菓子も食べていないということですし。全く謎ですわね」

「あ、確認したんだ」

「瑠璃子を疑うわけではありませんけど、念には念をですわ」


 なるほど、さすがしっかり者の麗花さんである。

 三輪車にまたがったままうーんと唸る私と、ドリンク片手に腕を組む麗花。


「花蓮と同じように、それが瑠璃子の体質?」

「私のはたまたま起こったことで体質じゃないよ。練習すれば大丈夫だもん」


 水泳だって少しずつだけど、ちゃんと段階は進んでいるんだ。ボールキャッチだって、夏休みに入る前は最初に比べてすこ~~し投げるスピードは加速したもん!


「あの走るスピードの謎も分かりませんし。……何か、私ばっかり体重が減ってどうしたらいいのかしら」

「うん、麗花は逆にデブエットしなきゃだよね。ガリガリだよ、ガリガリ」


 子どもらしい丸みを帯びていた頬は、この特訓ですっかりシュッと細くなってしまっている。


 瑠璃ちゃんに合わせて同じ時に休憩を取っている麗花だが、汗もかいていないのにこの差は一体何なのだろう?

 ちなみに三輪車をブイブイ言わせている私は、足が細くなったような気がする。


「……」

「……」

「麗花ちゃん、花蓮ちゃ~ん」


 顔を見合わせて、このダイエット訓練の意義を見出せなくなり無言になってしまった私達二人に、瑠璃ちゃんがタオルを首にかけた状態でにこやかに駆け寄ってきた。もちろん、ぽてっ、ぽてっ、ぽてっ、と大変可愛らしい音を立てている。


「あのね。跳ぶ回数を数えてたんだけど、前回よりも記録を更新できたの! あんまり体重減らないけど、こうして何かを達成できるって、とっても嬉しいことなのね!」

「……良かったですわ。また記録更新に向けて頑張りましょう」

「……私も瑠璃ちゃんに負けていられないなぁ」


 意義はあったようである。


 ペッカーと太陽の日差しにも負けないまぶし過ぎる笑顔の前では、ダイエット訓練の中止を言い出す勇気など私達にはなかったのだった。


「あ、そういえば瑠璃子。おめでとうございますわ」


 何やらふと思い出したように、麗花が瑠璃ちゃんに祝いの言葉を言い始めた。

 言われた瑠璃ちゃんといえば最初はコテンと首を傾げたものの、すぐに思い当たったようではにかんだ微笑みを見せる。


「麗花ちゃん知っているのね。ありがとう!」

「え、なに? 何の話?」


 またもや一人だけ仲間外れ状態にされて聞くと、頬を染めて瑠璃ちゃんが教えてくれる。


「あのね、来年赤ちゃんが生まれるの」

「え? 赤ちゃん?」

「この間電話した時に夫人からお聞きしましたの。瑠璃子に弟か妹ができるのですわ」

「えっ、そうなの!?」


 もたらされた突然の話にびっくり仰天する。

 うわぁ。うわぁ! すごい!!


「おめでとう、瑠璃ちゃん!」

「ふふ、ありがとう!」

「えーどっちかなぁ? 瑠璃ちゃんは弟と妹、どっちだと思う!?」

「えっと、まだどっちかは分からないけど。でも妹だったら一緒にお出掛けしたり、可愛いお洋服を一緒に選んであげたりしたいかな」

「そっかぁ。うわー楽しみ!」


 はしゃぐ私に麗花が噴き出す。


「まるで自分に弟か妹ができたみたいな喜びようですわね」

「だって瑠璃ちゃんの弟か妹でしょ? 私達だってその子にとっては、お姉さんになるんだよ! よく家に遊びに行くし、第二のお姉さんでしょ」

「第二のお姉さん……。そうですわね。瑠璃子の弟か妹は、私達にとっても弟か妹ですわ!」


 麗花の瞳がキラキラと輝き、話を聞いていた瑠璃ちゃんもうんうんと大きく首を振って頷いている。


「お姉さんがたくさんいて、赤ちゃんもきっと嬉しいと思うわ」

「今度お会いしに行ってもよろしいかしら?」

「うん! お母さんに言ったら喜ぶわ。お母さんもお父さんも、二人のこと大好きだもの」

「大好きってそんな。えへへ」


 素直に照れる私に対し麗花と言えば、少し染めた頬に両手を当てて静かに照れている。


 もぅ~か~わ~い~い~!!


「……ちょっと。私を見て何ニヤニヤしているんですの」

「麗花ってば、すぐ可愛いことになるの可愛いなって思って」

「言っている意味が分かりませんわ! 瑠璃子、この子どうにかして下さいませ!」

「習性だから諦めようよ、麗花ちゃん」

「そんな!」

「ねぇ私すごい言われよう」


 そうして米河原家のおめでたい話に盛り上がり、「来年、赤ちゃんに痩せた姿で会いたいから頑張るわ……!」と更にやる気に溢れマックスの瑠璃ちゃんのダイエット継続宣言を受けて、本日の訓練は終了した。


 ちなみにその訓練の継続に、私の三輪車が含まれているのかは謎である。しかしもし呼ばれるとするのであれば、私にも意地というものがある。


 その時は麗花には断固として二輪車(自転車補助なし)での参加を推したいと思っている。

 あれだけ三輪車を我が身のように扱えるまでに至ったのだ、二輪車(自転車補助なし)だってやってみればきっと乗りこなせるに違いない!


 ……と、そんなことを帰りの車の中で考えていた私だったが。





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「え? い、いま何て?」


 帰宅後の一家揃っての夕食時。


 お母様が少女のように恥じらいながら告げた報告に、思わずスプーンが手から滑り落ちてカン!と高い音がお皿から鳴った。

 行儀の注意をする者は誰もおらず、お母様を除いて皆その場でシーンと固まっている。


 お兄様はコップの水を飲む直前の体勢で目を瞬かせ、お父様は私と同じようにスープスプーンを落としてすぐに拾ったものの、逆さまである。どうやって飲むんだそれで。


「うふふ、びっくりさせちゃったかしら? 赤ちゃんできちゃったの!」


 お母様のそんな少女のような笑い声が、ダイニングに広がった直後。


「る、瑠璃ちゃんばかりでなく、私にも弟か妹が……!!」

「僕に似るか花蓮に似るか、それが問題……いや僕に似てもアレだし、花蓮に似てもアレだな……」

「成長アルバムに私も載るチャンスが遂に」


 三者三様の反応が広がった。


 目を輝かせ溢れる笑顔を隠せない私、コップを置いて何やら思案顔のお兄様、逆さまのスプーンを力強く握り締めるお父様。


「お母様! 赤ちゃんはいつ生まれるんですか!?」

「今三ヶ月目だから、来年の春頃ね」

「春頃! 瑠璃ちゃん家と一緒!」


 何てことだ。私達の弟か妹が二人になったぞ!!


 夕食後、薔之院家と米河原家に「聞いて聞いて! 今日という日はダブルベビー記念日ー!!」とすぐさま電話しに行ったのは言うまでもない。

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