空は花を見つける～貴方が私の運命～

Episode80 抱えてしまった傷

　家に帰れば間の悪いことに、お母様とお兄様が揃って玄関で出迎えてくれようとしたようで、玄関扉をお父様が開けてくれてすぐに見えたその顔ぶれに、ヤバいと固まる。

　そしてお父様と私を出迎えてくれたお母様の、「おかえ……」で止まった言葉と唖然とした表情をしているお兄様に、ああ催会で何かあったことが家族に一発でバレてしまったと、意識が遠のきそうになってしまった。

　どうしたのかと慌てたお母様をお父様が、「今はちょっと」と宥（なだ）め、お兄様が私の元へと来ようとして。

「……っ！」

「花蓮？」

　ビクッと体を揺らし、青褪める私の反応にお兄様の足が止まる。そしてそんな自分がした反応に、私自身がびっくりした。

「お、お兄様」

　ただいま帰りましたと挨拶をしようとして、声も震えて出た。ポタッと何かが落ちた音に何だろうと足元を見れば、水滴が床を濡らしている。

　今日、雨なんて降っていないのに。

「花蓮ちゃん……？」

　お母様の困惑に満ちた声が聞こえる。

　顔を上げてその顔を見て、次に心配そうな顔のお兄様を見て。

「ひっ。ひっく、うっ、ひぅ、うぅーっ」

　涙が次から次へと溢れて、頬を流れ落ちていく。

　突然泣き始めた私にお母様とお兄様がギョッとすると同時に、一連の私の反応に何が原因なのか察してしまったのだろう。

「奏多、花蓮から離れるんだ！」

　厳しい声で告げるお父様に戸惑いながらも、お兄様は後ろへと下がっていった。

　けれどそれが私から見て、お父様がお兄様を怒ったように見えて。

「ちがっ、違うんです！　うっ、おに、お兄様はっ、違う、違う……！」

「分かっている。大丈夫だ。ここはお前の家だ。もう、何も怖いものはない」

「こわっ、おにい、さま、こわく、ないっ！」

　言葉を詰まらせながらも首を振って必死に訴える私を抱き上げ、顔をその肩に押し付ける。

　視界が遮られてどうしてホッとした気持ちになるのか、ショックで今度は別の意味で涙が出てくる。

「花蓮を部屋に連れていく。咲子は洗面桶に湯とタオルの準備を。奏多は……リビングで待っていなさい」

「わ、わかったわ。行きましょう、奏多さん」

「……」

　お父様からの有無を言わさぬ言葉に、お母様がお兄様を連れて歩いていく音が聞こえる。抱き抱えられたまま、私はお父様に自室へと運ばれてベッドの上に降ろされた。

　履いたままだった靴を脱がされた後、そっと手を両手で握られる。

「花蓮、私は大丈夫か？」

「……はい」

　質問された内容に、その意味が解ってギュッと眉間に皺が寄った。それに気づいたお父様が、手から片手を離して私の頭を撫でる。

「花蓮は悪くない。だから大丈夫だ」

「……」

　しばらくそのままの状態でいると、コンコンとノックがあった後に、お父様から言われた一式を持ったお母様が部屋に入ってきた。

「貴方」

「私より、君の方がいいだろう」

　そう言うとお父様は私から手を離して、けれど近くに控えるようにするのと入れ替わりに、お母様がその場にしゃがんで湯にタオルを浸し、絞って涙で濡れた私の顔を優しく拭く。

　温かなぬくもりが心地良く、鼻を鳴らしながら大人しく拭かれていながらも、さっきの自分の態度がずっと気になってしまう。

「お母様。お兄様は……？」

　声も震えず落ち着いていたものの、気遣わしげな表情を見せながら、ゆっくりとした話し方で説明してくれる。

「大丈夫よ。怒ってなんていないわ。ずっと、花蓮ちゃんのことを心配しているわ」

「私、お兄様にひどい態度、して……」

「大丈夫よ、大丈夫」

　お父様と同じように手を握って、にっこりと微笑んでくれるお母様。そんな優しさと温かさが嬉しくて、でも同時に悲しかった。

　お兄様は厳しい時もたまにあるけど、でもいつだって優しかった。

　泣いてしまったり落ち込んでいる時は、そっと真綿（まわた）に包み込むように抱きしめてくれる。

　いつだって大事で大切な妹だって言って守ってくれる、安心してその胸に飛び込める人。

　なのに。

　そんな人が近づいてきただけで、顔を見ただけで。

　――怖い、と思うなんて

「……花蓮。何があったか、話せそうか？」

　静かに問い掛けられた言葉に、そっと目を伏せる。

　裏エースくんにも言った。

　ちゃんと、言わなきゃ。

「太刀川くんと、一緒にいたんです。でも彼のお父様に呼ばれて、一度別れました。太刀川くんはベンチで待ってろって言ってましたが、でも、会おうって約束した子と会いたいって思って。庭園から会場に戻った時に……」

　白鴎がいるって、聞いて。

　あそこから判断が鈍った。

「水島さまの、ご令嬢に一緒に庭園へ行きましょうって誘われて。主催者のご家族ですし、お断りするのもどうかなって思いました。だからお話ししながら一緒に歩いていて、それで、迷路にも一緒に入ろうってなって。それで……」

　あの人が、現れて。

　ヒュッ……と、喉から変な空気が漏れた。

　ガタガタと体が震え出す。

「花蓮ちゃん！？」

「花蓮いい、もういい！！　息をしなさい！　ゆっくり、そう、吸って、吐いて」

　お母様が背中を擦り、お父様の声を聞きながら何とか言う通りにする。

　何回か呼吸を繰り返した後、それでも言わなきゃという、焦燥にも似た感情が突き上げて。

「わ、私、ここで止まっちゃ。だって、じゃないと、また他の子が……っ！」

「落ち着いて花蓮ちゃん！　焦っても何もならないわ。今は忘れましょう？　ほら、横になって」

「でも、でも」

「ゆっくり休みなさい。目を閉じて眠ったら、また話をしよう。約束だ」

「やくそく……」

　差し出される小指を見つめる。

「お話、してもいいですか？」

「花蓮が話せることだけで十分だ。ちゃんと聞こう」

　話さなくていいって言われなかった。

　私の話を、聞いてくれるって。

　この約束だけは、絶対に守りたい。

「やくそくです」

「うむ」

　きゅっと小指を絡めて約束を交わし、ベッドに横になってお母様が布団を掛けてくれる。

　ポン……ポン……、と軽く叩かれる一定のリズムを聞く内に、とろんと瞼（まぶた）が落ちてきた。

　起きたら、言わなきゃ。されたこと。

　あんなこと、もう誰もされないように。

『ごめっ、ごめんなさい……！！』

　眠りに落ちる間際、目尻から涙が一滴流れ落ちる。

　――あんな悲しい言葉を、もう、言うことのないように

◇+◇+◇+◇+◇+◇+

　目覚めは衝撃と同時にやってきた。

「！　な、なん、なに！？」

　何かもの凄い大きな音が下の方で鳴った！

　眠りを妨げるくらいの音に驚いて体を起こし、少し迷って布団から抜け出る。

　あんな大きな音気になり過ぎてもう眠れないと思い、下に降りても大丈夫かと室内をウロウロしている内に妙案を思いついて、早速それを出して装着する。

「あ、そういえば何時だろ？」

　装着したそれを一旦外して時計を見れば、何と夜の八時過ぎだった。

　帰って来たのが丁度お昼くらいだったから……うっわー、すごい寝てたな。え、待って。お昼も夕ご飯も抜き？

　そう思ったら現金なお腹の虫がぐーと鳴った。

　音の確認と一緒にご飯をねだるため再び防具を装着し、恐る恐る部屋を出て階段を降りる。

　おにぎりくらいはあるだろうか？と、そんなことを考えながら一階に到着し、明りが点いているリビングへと向かう。

　リビングの扉は中が見える仕様のため、一応こっそり様子を外から窺えば、お父様とお母様、そしてお兄様の私を除いた家族が勢ぞろいしていた。

　お母様とお兄様は私に背を向けて座っているため頭しか見えないが、背伸びして正面に座っているお父様の表情を確認してギョッとする。

　うわ、なにあれ。

　すっごい鬼の形相なんですけど……！

　何があったらあんな顔をお父様がするのか、最近ドヤ顔と冷や汗を垂らす顔が印象深いため、まさかという思いである。原因、というと最早一つしか心当たりがないが、まだ説明してないし。

　あれ、まさか寝言で言っちゃった！？

　いやまさかそんな。

「……」

　有り得る。だって最近私のお口、緩々だもの。

　意識のないところで漏らしている可能性大だ。

　やったのか、やってしまったのかと一人で勝手に焦っていると、急にソファから立ち上がったお父様と目が合った。

「あ」

　ビクッと跳ね上がって仰け反られた。

　ちょっと。愛娘を見てその反応はどういうことだ。

　お父様の口が動いてお母様も立ち上がり、パッとこちらを見てお母様もビクッと肩を跳ねさせはしたものの、すぐにこちらへ来てリビングの扉を開けた。

「か、花蓮ちゃん起きたのね。……それ、何？」

「これですか？　水泳のゴーグルです！　これなら大丈夫かなって思って着（つ）けてきました」

　直に見るからダメなのだ、そう思って浮かんだ妙案がこれだ。王者オーラを出す緋凰の美顔を見ても見惚れなかったのは、このゴーグルという防御を装備していたからに他ならない！

　自信満々にフンスと鼻を鳴らす私にもの凄く困惑しているお母様だが、それよりも座ってピクリとも動かない人物のところへとトコトコ向かう。

「あ、花蓮ちゃん！」

「花蓮！」

「お兄様」

　頭だけだけど、見ても固まらなかったし震えもしなかった。それに一度寝たら頭もすっきりしていて、何かいけそうな気がした。

　顔を思いっきり背けていて、顔だけ見えない。

「お兄様。私、これなら近づけます。ちゃんと話せていますし、声だって震えていません。ね、だからこっち向いて下さい」

「……」

「もうお兄様見て泣きません。あ、怒られたら泣くかもしれません」

「……」

「お兄様。お兄様、こっち向いて」

　膝に置いてある手を見る。

　うん、大丈夫。

　私はやれば出来る子って春日井も言っていた！

　一瞬、ちょっと震えてしまったけど、でも手を伸ばしてそっと触れる。ビクッと揺れたけど、離されないようにキュッと掴んだ。

「ほら、触れました！」

　嬉しくなって笑顔でそう言うと、手が軽く握り返される。

「……大丈夫なの？」

　小さいけれどちゃんと聞こえた。

　震えて出されたその声に、手に力を込めることで答えを返す。ゆっくりと頭が動いて、合わせた顔を見て、自然と顔が笑みの形を作り出した。

「ただいま帰りました！　えへへ、ご挨拶できてなかったので」

「何そのゴーグル。本当に、変なことばっかり思いついて……っ」

　私の妙案を変なこと扱いされて抗議しようとしたものの、顔を下に向けて震え出す姿に、目に涙の膜が張る。

「お兄様、抱っこして。お兄様のお日さまの匂い、大好きなんです」

　抱っこ、抱っことコールしてせがむと、向き合うようにではなく、お兄様を椅子にするような体勢で抱え込まれた。これじゃ直に匂い嗅げない……。

「お兄様」

「我慢して」

　言いたいことを言う前に返され、仕方なく背中をお兄様の胸に預ける。匂いは嗅げなくても、温もりは感じられるからいっか。

　プラプラと足を揺らして寛いでいたら、お母様が顔を覆って泣いているのと、その肩をお父様が撫でているのが見えた。

　……皆に、すっごく心配かけちゃったな。

　しかしその時、しんみりする空気をブチ壊すように私のお腹の虫が再度、「飯はまだか！」と訴えるように先程よりも大きな音でぐーッと鳴った。

　視界がゴーグルに一枚隔てられていて良かった。それでも顔は真っ赤になっているだろうが。

「……ふっ」

　後ろからのそんな声を皮きりに、皆が笑い出した。

「そ、そうよねっ。花蓮ちゃん、何も食べてないものね！」

「はっはっは！　れ、冷蔵庫に取っておいてあるだろう。持ってこよう！」

「花蓮は花蓮だなぁ」

「もう、笑わないで下さい！」

　プンプン丸で膨らました頬を、お兄様が指で突いてプスッと空気が抜ける。そんなことにも笑われてブスッとしていたら、お父様が湯気を立たせた何かをコーヒーテーブルに置いてくれた。

「おにぎり……」

　いや、おにぎりくらいはあるだろうかと思ったけども。

　本当におにぎりだけを出されて地味にショックを受ける私に、お母様が説明してくれる。

「もうこんな時間だし、それに多くは食べられないだろうと思ったの。サンドウィッチよりも腹もちするし。ね？」

　ね？って言われても。

　しかし私を気遣ってのメニューに文句なんて言える筈もなく、「いただきます」と手を合わせておにぎりを食べる。

　うーん、お米の甘さと具材の柴漬けが食欲をそそる……。でも柴漬けが具材にされてしまった……。

　お米と合う定番の味と言えば違いないだろうが、おにぎりにするのはどうなのだろう？

　そんなことをモシャモシャと口を動かしながら考えていたら、二個あったそれをあっという間に平らげてしまった。

「二つとも柴漬けでした……」

　何気なく感想を言うと、「おにぎりに柴漬け？」とお父様の疑問の声が上がった。ですよねー。

「あら。でもお米と合うじゃない。そうよね、奏多さん」

「合うけど、でも定番じゃないよね」

　ですよねー。

　どうもお手伝いさんじゃなくてお母様が握ったらしく、具材チョイスの不評にお母様の頬も膨らんだ。いつまでも若々しいお母様がしても、全く違和感がない。

　お腹が満たされたことと、お兄様との触れ合いに安心していると、もう一つのことが気になった。

「あの、さっき大きな物音しましたよね？　私、それで目が覚めて起きたんですけど」

　聞いてみると、途端それまで緩んでいた空気が一気に固くなった。……当たりかなぁ。

「寝言でしょうか」

「「「え？」」」

「寝言で言っちゃったんでしょうか。言わなきゃ言わなきゃってずっと思っていたので、意識のない内にこう、ポロっと」

「……いや。すまない、花蓮」

　どうして謝ってくるんだ。

　疑問はすぐに明かされる。

「寝る前のお前の様子と状態から、難しいのではないかと思った。約束を破ってしまって、すまない」

　難しい顔をして目の前にしゃがんでくるお父様の言葉に、まさかと思う。

「太刀川くんに、聞いたんですか……？」

　返答がないことが何よりの答えだった。

　だって、被害を受けた私以外に事情を知る人なんて、彼以外にいない。

「どうして。だってやく、約束したじゃないですか。起きたら私の話、聞いてくれるって。話せるところまででいいからって！」

「花蓮」

「太刀川くんだって、太刀川くんだって辛かったです！　私がされたこと見て、太刀川くんだって……っ！」

「ごめんね。ごめんなさい、花蓮ちゃん」

「迷路で、逃げたのに同じ場所に戻っちゃって！　抱きつかれて足踏んだけど、それでもダメで、何回もいやだって言いました！　でも全然聞いてくれなくて、ほ、ほっぺにキスされて、そしたら、そしたら太刀川くんが」

「花蓮！」

　ふぐっと後ろから手で口を塞がれる。

　何で、何で言わせてくれないの。

　ちゃんと聞くって言ってくれたのに。

　裏エースくんとも、あの子との約束も守れなかった。だからこの約束だけは守りたかったのに。

「ひひょい。ひひょいれふ……」

　どうしようもなくなって、ボロボロ落ちる涙がゴーグルの淵に溜まっていく。

　全部言い切った。

　それなのに、何でこんなにやりきれない。

　あれだけずっと眠っていたのに、それでも私は、いつの間にか眠りに落ちてしまっていた。