Episode79 2つの約束

 どれくらい泣いていたのか。

 涙が枯れ果て、スン……スン……と鼻をすする段階になって、水の流れる音しか聞こえないことに急に不安になる。


「太刀川くん」

「うん」


 すぐに返事があったことにホッとする。

 ホッとしたら、あれだけ泣いたのにまた目尻からポロっと涙がこぼれた。


「どうして、ここにいるって、分かったの?」

「……水島の令嬢と一緒にいたのに、一人だけなの見て別れたんだって思った。ベンチに行っても花蓮いないし、どこウロチョロしてんだって思って。けど探してもいなくて、そうしたら会場にいなきゃいけないヤツもいないことに気づいて、何か嫌な予感がした。水島の令嬢にお前のこと聞いたら、泣き出してさ。庭園の方指差して何も喋んないから、ヤバいこと起きてんだって分かった。お前迷路気にしてたし、入ってんのかと思って探してたら、悲鳴が、聞こえてきて」


 そこで言葉を切ったが、もうそこから先は説明がなくても分かる。入っちゃいけないって言われていた迷路に入ってくれてまで、探してくれた。


 裏エースくんが探してくれなかったら、きっともっと酷いことされていた。


「太刀川くんが、言ったから」


 鼻声で聞き取れないかもって思ったから、酷い顔をしていてもちゃんと顔を上げて彼を見た。眉を下げて、彼も泣きそうな顔をしている。


 何で君もそんな顔をするの。


「太刀川くんが言ったの。イヤなことはイヤなことだって。我慢するなって。いつもみたいにぶーぶー言えって。だからずっと言ったの、いやって。何回も。あの人は聞いてくれなかったけど、でも太刀川くんには聞こえてた。来てくれた。助けて、くれた」

「か、れん」

「ありがとう。助けてくれて、ありがとう……っ」


 笑えただろうか?

 何とか笑顔で言おうと頑張ったけど、多分不細工になっちゃってるだろうな。


「……笑うなよ。そんな顔で笑うな!」

「へぁっ」


 間抜けな声が出たけど、仕方ないと思う。

 グシャリと顔を歪めて抱きつかれて、パチパチと瞬きする。


 あれ、どうなってるのこれ。


「太刀川くん?」

「当たり前だろっ。友達なんだから、助けるに決まってる。お前ただでさえどっか抜けてて運動音痴なのに、変なことに巻き込まれんなよ! 顔だって可愛いんだから、ほいほいどっか付いていくなよ!」

「ごめんなさい」

「……つっこめよ」

「……ごめんね」


 心配かけて。


 震える声に、自然に言葉が滑り落ちる。

 抱きつかれても、可愛いって言われても感じることはまったく違う。温かくて、優しくて。ホッとする。


 しばらくそのまま温もりを享受していたら、ビクッと揺れてパッと離れられた。


「わ、悪い! あんなことあったのに無神経だった!」

「え? ううん。全然違うから逆に安心したよ? えへへ」

「えへへってお前。……本当はそんな喋り方なんだな」

「ん? あっ。気が緩んじゃったらつい。また令嬢らしくないって言う?」

「いや。花蓮らしいよ。……もう、立てそうか?」


 すっかり涙も止まって落ち着いている。

 言われて普通に立ち上がれたことに裏エースくんもホッとし、「じゃ、親父さんのところに帰るぞ」と言ってゆっくり歩き出す。


「あっ、太刀川くん!」


 普通に歩き出されてしまい、慌てて彼の手を取って繋ぐ。


「え」

「もう、置いていくなんてひどいです。一緒に戻ります!」

「は。置いてくつもりないけどって、手……繋いで大丈夫か?」

「太刀川くんなら大丈夫です!」


 にっこり笑って言うと「そっか」と微笑まれ、そうしてまたゆっくりと歩き出した。

 二人で一緒に歩いていると、景色も何だか違って見える。生垣の葉っぱもキラキラ輝いているよう。


 口数はいつもより少なくて会話もなかったけれど、それでも楽しいと思った。


 ゆっくりだったから結構時間が掛かった筈なのだけれど、迷路の切れ目が見えて意外に短かったなと感じるほど行きと帰りの感覚が違った。


 出た先は入った場所と同じ庭園で、人っ子一人いないのも同じ。


「そういえば一度も止まらなかったですけど、迷いませんでしたね」

「来る時と同じ道通ったからな。そりゃ迷わないだろ」

「えっ。一度で覚えられたんですか?」

「おう」


 裏エースくんのポテンシャルどんだけ。

 出来過ぎくん改め、出来過ぎ大魔王に改名を重ねてもいいだろうか?


 庭園から会場までをまた歩く。

 柔らかな芝生の上を歩き、風が涼しさとともに会場の方から聞こえてくる、人の声を運んできた。


 その瞬間。


「……」

「花蓮?」


 ピタリと足を止めた私を、裏エースくんも足を止めて呼び掛けてくる。


「どうし……、花蓮!?」

「……えっと、ひっ、なん、なんででしょ。なんかっ、勝手に、ひっく、出てきて……っ」


 枯れ果てたと思った涙が、会場からの笑い声が聞こえてきた瞬間にあふれて出てくる。手がプルプル震える。


 落ち着いた筈なのに。裏エースくんと一緒なのに。

 目の前がぐるぐるする。笑い声が気持ち悪い。


「……あっち行くぞ。歩けるか?」


 会場の方じゃないところに体を向けさせられ、どこか見えなかったけどコクンと頷く。

 目をくしくし擦りながら歩き、「座れ」って言われてベンチに座らせられる。その間もポロポロと涙が溢れて止まらない。


「俺、親父さん呼んでくる。ここから動くなよ」


 その言葉に一人にさせられる恐怖が突如として湧き、衝動のまま、繋いだままの手をギュッと握りしめた。


「や! やだ行かないで!」

「でも。ほら、目を閉じて。そう。何もない。何も見なくていい。すぐ戻ってくるから」

「うぅ~……っ」


 それでも手を離せない。

 裏エースくんが困惑していることくらい分かる。


 でも、でもっ……!



「何かあったのか?」



 ベンチの後ろから掛けられた声に、ビクリと肩が跳ね上がる。だれ。いやだ、怖い……!


「あ、いやちょっと体調が悪くなったんだ。だからコイツの親父さん、呼んでこようと思ってんだけど」

「そうなのか」


 裏エースくんが見知らぬ誰かに説明する間も、ずっと目を閉じて顔を伏せていた。何も考えられない。


 行っちゃやだ! 一人にしないで!!


 そんなことばっかりが頭の中を巡って、どうしようもない。


「俺が代わりに付いていても良いが」

「え。いやでも」

「また会おうって、約束しただろう」

「!」


 また会おう。


 それは、私に向けて言った言葉。



『ふふっ、ありがとうございます。またお会いできるといいですね!』

『……ああ。楽しみにしてる』



 じわ、とまた新たに涙が滲む。

 震える手が、ようやく裏エースくんの手から離せられた。


「わ、私、この子なら、大丈夫です。お父様、呼んできて」

「大丈夫か?」


 コクっと頷くと、少し迷ったような間を置いて「分かった」と言って、足音が離れていく。入れ替わりに別の気配が少し距離を空けて、隣に座ってきた。


「ごめん、なさい。ちょっと、顔上げられません」

「いい。体調が悪いのなら無理はしない方がいい。今は、無理なんだろう?」


 無理だった。

 前に面識があったから裏エースくんの手を離せたけど、そうじゃなかったら絶対拒否していた。


 涙声なのとグスッと鼻を鳴らすせいで、泣いていることはバレバレだと思う。この子とも、こんな再会になる筈じゃなかったのに。


「……?」


 サラッて、腕に布地のような感触が触れた。

 顔を動かして僅かな隙間からそっと窺うと、見覚えのある明るい水色のハンカチが腕に当てられていた。


「使えばいい。こんな時のために使うものだ。遠慮するな」

「……あり、がとうございます」


 一度返却し、また帰ってきたそれを受け取り顔に押し当てる。


 良い匂いがする。優しい……。


「また、会えますか?」

「会えるよ。会えただろう?」

「約束。守れなくて、ごめんなさい」


 顔が上げられない時点で、自己紹介なんて出来っこなかった。


 次、いつ会えるかなんて分からないのに。

 当分こういう場の参加は、多分ダメそうだ。


「約束しなくても、大丈夫だと思う。アンタとはまた会える気がする」


 どこから湧いてくるんだその自信は。

 でも、何故だろう? 私もそんな気がする。


「四度目の正直、ですか?」

「あぁ。三度もあれば四度目もあるだろう」

「ふふっ」


 思わず笑ってしまう。

 お母様じゃないけれど。



「四度目。本当に会えたら、それって運命みたい」



 息を飲む音に、何か変なことを言っただろうかと思った時。


「待たせた!」


 後ろからのその声が、裏エースくんのものだと分かる。近づいてくる足音が止まって、隣の気配がフッと離れる。


「戻ってきたのなら、俺はもう行く」

「付いていてくれて、ありがとな」

「いや。……じゃあな」


 静かに立ち去る音に恐る恐る顔を上げて見れば、艶やかな黒髪を揺らしながら背を向けて歩いていく、堂々とした後ろ姿があった。


 手に持つ水色のハンカチを見つめ、そっと撫でる。

 また借りちゃった。次、返せるかな?


「さっきの、会ったことあるのか?」


 そう言って隣に腰を降ろしてきた裏エースくんに、今までのことを思い出して思わず苦笑してしまった。


「想像もしていない場所で、二回ほどお会いしました。社交の場じゃなかったのでお互い自己紹介せずに別れたんですけど、本当は今日会って自己紹介する筈だったんです。でも、顔も上げられなくて、無理でした」

「そっか。また会えるといいな」

「はい。……そういえば、お父様は?」


 呼びに行ってくれた筈なのに、どこにも姿がないことを不思議に思って聞いたら彼は、「あー……」と言って気まずそうに頬をかいた。


「おじさん集団の中に突っ込んでったんだけどさ、本当のこと言えないだろ? さっきみたいに体調悪くなったって言ったんだけど、何か、しつこいおじさんに捕まってて。もうちょっと待っていてほしいって」

「……」


 信じられない。

 愛娘の一大事にすぐに駆けつけないとは何事だ。最早神の鉄槌は免れられないことだろう……!


「本当のこと、言えるか?」

「……言わないと、でもまた同じことが起きてしまいます。私だけにあったことじゃないんです」

「!! アイツ……! ……分かった。でも、無理するなよ」

「はい」


 無理はするなと、あの子と同じことを言う裏エースくんに微笑み返したところで、ようやくお父様が走ってくるのが視界に入ってきた。


「花蓮! どうし、そんなに体調が悪いのか!?」


 泣き過ぎて目が真っ赤になって、れているのだろう。そんな私の顔を見たお父様が大慌てで聞いてくるのに、ジトっとした視線を返す。


「……すぐに来てくれないお父様なんて、お母様に言いつけてやります」

「すまなかった! すぐに病院に…」

「あの! 病院じゃなくて、家の方が良いと思います。早く連れて帰ってあげて下さい」

「私も、その方がいいです」


 裏エースくんの提案に最初は怪訝そうにしていたものの、私も同意したことで何かあったことに気づいたのか、途端難しそうな顔をして「分かった」と頷く。


 ベンチから抱え上げて私を抱っこしたお父様が、裏エースくんを見つめる。


「太刀川くん。報せてくれてありがとう」

「いいえ。友達なんで」


 何でもないことのように言う彼に、私も心残りを口にする。


「最後まで、一緒にいれなくてごめんなさい」

「気にすんなそんなこと。また、学校で会おうな」

「……はい!」


 ニカッと笑う彼に私も笑顔で返し、その場を後にした。


 何も説明していないのに、敢えて人気のない道を通って建物を出て車に乗った時も、お父様は何も言わずにずっと隣に座って手を握っていてくれた。裏エースくんよりも大きなその手は、やはり私を安心させるもので。


 今はただ、そんな心地良い温もりを感じていたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る