Episode78 心に残っていた言葉 ※

※注意喚起! 主人公が襲われる描写があります。苦手・地雷な方は要注意!

 


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 普通、迷路が初めてで可愛いとか、水に映るのを見て可愛いとか言う? さすがのスケコマシな裏エースくんでも、そんなことで可愛いとか言ったりしないと思う。アハハ。


 脳内でそんな茶々を入れて乾いた笑いを上げてみたりしたが、一度覚えた違和感は消えたりしなかった。


 なに。なにこの感じ。

 待って、落ち着こう。


「ふふふ。でもすごく揺れていますよ? こんなにグニャグニャなのに、可愛いですか?」

「はは。そんな返し方されたの、初めてだな」


 アハハ、嫌だなぁ。

 とても嫌な感じだなぁ。


 すっくと姿勢を戻し、くるりと方向転換する。


 大丈夫。私は百合宮 花蓮。

 そんじょそこらの令息令嬢は恐れおののく、高位家格のご令嬢である!


「水島さま。そろそろ戻りましょう?」

「戻るの?」

「ふふふ。戻らないと父が心配します」


 言外にお父様がここまで探しに来るぞ、その前に帰らせろと言ってみたが、彼はニコリと笑うだけだった。


「挨拶した時に分かったと思うけど、ウチのおじいさんって押しが強くてね。後で話そうって言っていたからおじいさんに捕まっていると、話が長くて中々終わらないと思うよ」

「……ここまでありがとうございました。では、私だけで戻ります」

「花蓮ちゃんって、本当に可愛いなぁ」


 ここまで来ると、もう話が通じないどころの次元じゃない。分かっていて、ここまで連れてきたんだ。


 とにかく早くこの場所から離れようと、一人で戻る旨を告げて足を動かそうとしたところで。

 可愛いと言われながら頭に手を乗せられて、流れるように髪ごと耳まで撫でられた。


「やっ!?  何するんですか、やめて下さい!」


 突如として与えられた知らない手の温度と感触に、怖気おぞけが立つ。顔を思いきり振って逃れ、触られた耳を庇うように手を当てる。


 ドキドキと、心臓が嫌な鼓動を響かせる。


 手の甲を撫でられた、あの親指の感触が蘇る。

 最早淑女の微笑みなんて保っていられない。


 信じられないものを見るような目で水島兄を見つめると、彼はとても楽しそうに笑った。


「はははっ! 花蓮ちゃんはそんな声を出すんだ。びっくりした顔も可愛いなんて、こんなに可愛い女の子、初めてだ」


 何を言っている。

 言っていることの意味が分からない。


 花蓮ちゃんって、なに? 初めてって。


 すぐに走って逃げれば良かったのに、どこか現実離れして混乱する頭ではそんなことにも思い至らない。


「わ、悪ふざけはやめて下さい! こんな、こんなこと、紳士のされることではありません!」

「そうかな? ほら、外国人の挨拶みたいなものって思わない?」

「全然違います!!」

「ほら、ハグしようよ」


 両手を広げて迫ってくる姿に、否定しても笑ってなかったことにするその態度に、得体の知れない恐怖が足元から這い上がってきた。


 震える足を叱咤しったしてどうにか走り出し、入ってきた迷路の道へと戻る。


「一人で戻れるのかなぁ~?」


 後ろの方でそんなわらい声が聞こえてきたが、構う間も惜しい。


 なにあれ。

 なにあの人頭おかしいんじゃないの……っ!?


 どうして、何であんなこと。

 だって、だって私小学一年生だよ!? 向こうだってまだ小学三年生なのに……!


 目に映る景色はどれも同じ生垣ばかりで、本当に合っているのかなんて考えられなかった。とにかくあそこから、彼から離れなきゃという思いで長い迷路の道を走り続ける。


 怖い。怖い……っ。


 息が切れるまで走り続け、やっと生垣の切れ目が見えた。

 出入り口は来た道も含めて四か所あるのだから、そのどれか、どこでもいい!


 そうしてやっとの思いで辿り着き出た先で、広がる光景に絶句する。


「……え?」


 広がるその光景。

 必死の思いで離れたかった、噴水のある広場。


 な、何で。どうして……!?


「あーあ。やっぱりね」

「っ!? きゃ、やだっ!」


 腕に何かが触れたかと思ったら、横から引っ張られて抱きつかれる。必死にもがこうとしても、腕ごと抱き込まれているため逃れられない。


「言ったでしょ? 焦れば焦るほど道に迷っちゃうって。皆走って逃げていくんだけど、この道から結局ここに戻ってきちゃうんだよね」


 耳の傍近くで聞こえる声に、ジワリと目に涙が滲む。


 こいつ、こんなことしてるの、私だけじゃない……っ! 皆、ここに来た女の子に同じことやってるんだ!

 好きでもない人にこんなことされて、喜ぶ女の子なんているわけない!!



『ごめっ、ごめんなさい……!!』



 知ってたんだ。

 自分の兄がしていること、あの子知っていて……!


 自分の能天気さとお気楽さに、こんな時なのに笑い出したくなる。裏エースくんだって言っていたじゃないか、警戒しろって。


「離してっ!」

「った!」


 腕は封じられていたが足は動かせた。

 思いっきり蹴ることはできなかったが力の限り足を踏みつけ、拘束が緩んだ瞬間に突き飛ばす。


 恐怖に震えて腕に力が入らなくてそこまで強く押せなかったが逃れることはでき、固まりそうな足を必死に動かして噴水の向こう側へと走ろうとしたけれど。


 すぐに追いつかれて、噴水近くで腕を取られてしまう。


「花蓮ちゃん、意外にお転婆だね。まさか百合宮のご令嬢に足を踏まれるなんて思わなかったなぁ。迷路から出られないってなったら、大抵動けなくなっちゃうんだけど」

「こんな、こんなことして、許されると思っているんですか!?」

「どうして? 僕は女の子を可愛がっているだけなのに」


 何を言っても暖簾に腕押し豆腐に鎹。

 水島少女の時とは違う意味で返される反応に、絶望しか感じない。


「犬や猫は撫でると喜んでくれるのに、何で女の子は泣くんだろうね。でも泣きそうな顔をしていても、可愛いって思ったのは花蓮ちゃんだけだよ」


 もう嫌だ! 聞きたくない!!


 頑張って何か言っても、悪いことだなんて微塵も思っていないことが分かってしまう。口許が震えて、何を言っても無駄だと、言葉が喉から出せなくなる。


 皆、そんな絶望に負けて泣き寝入りしたんだ。

 だってこんなこと、こんなことされたなんて言えるわけがない。



『イヤだと少しでも感じたら、それはお前にとってイヤなことだ。お前は我慢するな。いつもみたいにぶーぶー言え。分かったな』



 太刀川くん……っ!!



 恐怖と絶望に負けそうになった時、そんな言葉が心に浮かんだ。



「……や、いやですっ。私は嬉しくない! 触らないで! いやっ。いやっ! いやなの!!」


 腕を振って、感情のままに叫ぶ。

 急に暴れ出したことで掴まれる力が強まってしまっても、絶対にやめたりしなかった。


 涙がポロポロ落ちて散る。


「バカ! やだきらい!! 離してよっ。離して!」

「落ち着こうよ、花蓮ちゃん。ほら」

「ひっ! やだやだやめて!!」


 おもむろに近づいてくる顔に空いている手で遠ざけようと振り回すが、パシッと受け止められて、両手が彼の手で拘束されてしまった。足なんてガタガタで何の役にも立たない。


 正面に向かい合う形に引き寄せられ、生温かい息が顔にかかる。


「やだ! いやっ。助けて! 誰か!!」

「分かってるでしょ。誰も来ないよ」

「ぃや……!」


 ちゅ、と頬に口づけられる。

 一切を遮断するようにギュッと目をつむる。


 気持ち悪い、気持ち悪い!!

 もうやだ、いやだ、いやいやいや!!!


「やだあぁ!!!」

「可愛い……、っ!?」


 ドッ、と鈍い音がしたと思ったら拘束がフッとなくなって、けれど衝撃で芝生の上に転ぶのとバシャンッて水が跳ね上がる音がしたのは、同時だった。



「……っにしてんだお前!!」



 怒りに満ちた声にハッと目を開ければ、違う方を向いて睨みつけている裏エースくんがそこに立っていた。


「たっ、たち、太刀川くん……っ」


 立てず、呼ぶだけで精一杯の私を見てギュッと眉を寄せ、噴水の方を遮るように背を向けて庇うように移動する。

 多分、状況からして水が跳ねたあの音は、水島兄が噴水に落ちた音だ。


 何がどうなってこうなったのか分からないが、知っている存在が身近にいることにホッとして、またポロポロと涙がこぼれ落ちる。


「……あー、冷たい。蹴られたのも、噴水に落とされたのも初めてだ」


 呑気にそんなことを呟いている声が聞こえ、ビクリとする。


 他に人が来たのに、そんなことを言える神経が信じられない。正気じゃない。


「自分が何したのか、分かってるのかよ」

「何って。花蓮ちゃんを可愛がっていただけだよ」

「泣いてんだろうが!! いやだって言ってんのも聞こえてたぞ!!」


 低い声で威嚇するように言うことにも平然と返し、それに裏エースくんが吠えた。


 ……聞こえてたんだ。私の言葉、ちゃんと。


「うーん。挨拶の後、ずっと一緒にいるから仲良しなんだろうなって思っていたけど、ここまで探しに来るなんてね。……ん? でも、たちかわ?」

「俺のこと、分かってんだったらもうコイツに近づくな! ……分かるだろ」

「……そうだね。やっぱり百合宮の令嬢ともなると、強い騎士がついているのか。君に出てこられたら、さすがにちょっと困るね。のことも苦手だし」


 降参、と言ってバシャリと立ち上がる音に息を詰める。


「服も濡れちゃったし、僕は先に戻るよ。迷路の出口は分かる?」

「ふざけんな! さっさと帰れよ!!」

「わかったわかった」


 まるで仕方がない子を宥めるような口調で言った後、濡れた足音が少しずつ遠のいていく音に耳を澄ます。

 そうして聞こえなくなった瞬間、堪えていた嗚咽が漏れた。


「うっ、うぅー……」

「……花蓮」


 膝を抱え込んで、顔を伏せて腕で囲む。

 裏エースくんが傍にしゃがんだ気配がするが、顔なんて上げられなかった。

 

 今すごく、酷い顔をしている。


「ばかですっ私……。ひっく、いろ、色々考えて、頑張って、さそ、誘ってくれたんだか、らって。ひっ、だか、だから、ひっく、入っちゃダメって、言わ、一緒にっ、入った」

「喋るな。喋らなくていいから。いまは、いいから」

「ひうぅーー……っ」


 こんなことになるなんて思わなかった。

 あんなことされるなんて、考えもしなかった。


 いやだって何回も言ったのに。

 全然、全然聞いてくれなかった。


 なんで。なんで。なんで。

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