Episode69 瑠璃ちゃんのお悩み相談

 今日は瑠璃ちゃん家に、麗花と遊びに来ております。


 目の前にはケーキスタンドに鎮座する、煌びやかな一口大ケーキとアイスピーチティー。

 白桃とミントで抽出されし甘さと爽やかさは、今まさにこの夏という季節にぴったりの味わい深さと言っても過言ではないだろう。


「えっと、そこまで褒められると恥ずかしいよ……」


 何やら頬を染めた瑠璃ちゃんが片手を頬に当てて、潤んだ瞳で私を上目遣いに見る。


 ぐっは!

 今日も瑠璃ちゃんの可愛さが私を襲う!


 そして身悶える私に、麗花の冷ややかな眼差しが突き刺さる。


「瑠璃子の可愛さにやられているのはいいですけど、感想が口から駄々漏れてましてよ」

「えっ。うそ」


 パッと手をお口に当てる。

 わ、私、遂に顔だけじゃなく、口までゆっるゆるに……!?


「ふぅ。遂に花蓮の恥ずかし発言が瑠璃子にまで浸食し始めましたわ……」

「麗花ちゃん助けて」

「諦めなさい。習性ですのでどうにもなりませんわ」

「そんな!」

「私すごい言われよう」


 たっくんに自重しろって言われてから、一応気をつけているつもりなんだけど。

 ムニムニと唇をつまんでいると、麗花からお行儀が悪いと注意された。すみません。


「それで今日の女子会ですが。瑠璃子、私達に相談ってなんですの?」

「電話じゃ言いにくいことなんだよね?」


 気を取り直した麗花から切り出された内容に、私も瑠璃ちゃんへと顔を向けて首を傾げる。


 そうなのだ。

 今日の女子会は、瑠璃ちゃんのお悩み相談という名目で集まっている。そしてホストだから最初に手をつけないのかなと思って二十分は経ったが、彼女は未だにケーキを一口も食べていない。


 異常である。これは深刻な悩みに違いない。


 ジッと瑠璃ちゃんへと視線を外さない私と麗花に、彼女は少し目を伏せた。


「……あのね。二人とも、今年の夏ってどこかに行く予定ってある?」


 夏の予定?


 悩みを聞く体勢だったのに意外なことを言われて、揃って目を見合わせる。


「私は八月の催会一つと、あと家族で国内旅行くらいかな。他には予定が合えば、学校のお友達と遊んだり?」

「私は両親にフランスに誘われておりますの。今年一年はお二人ともフランスでお仕事だそうですわ」

「え。それって夏休みの間だけ?」

「もちろんですわ」


 何だびっくりした。

 ずっとフランスに行くのかと思った。


 そして私達の話を聞いた瑠璃ちゃんは、くっと唇を引き締める。


「私もね、家族で海に行くの」

「そうなの? いいなぁ。私はダメって言われちゃって」


 春日井夫人からスイミングの進捗しんちょくを受けたお母様から、「泳げるようになったらね」って言われてしまったのだ。やれやれ、私が夏に海に行けるのは当分先の話である。


「それでね。お願いと言うか、協力してほしいことがあって」

「なになに?」

「私達の仲ですわ。遠慮なくおっしゃって」

「……あのね。あの……」


 目をつむり、覚悟を決めた様に力強く開いたと思ったら、私達を見つめて。


「――ダイエット、したいの」

「……」

「……」


 五秒後、揃って目を見合わせる私達ライバル令嬢ズ。

 お互いの認識を短い瞬間に擦り合わせ、再び揃って相談者へと顔を向ける。


「瑠璃子。誰かに何か言われましたの?」

「もし何か言われたのなら言われたこと、一字一句覚えていること全部言って」

「えっ。ち、違うわ! 私、前から自分のこの体型のこと気にしていて、だから良い機会かなって思ったの。お菓子も海の話が決まってからは食べないようにしていて。他にも、ダイエットで何かできることがあったら教えてもらいたくて」


 どうやら私と麗花の心配は杞憂だったらしい。


 なるほど、目の前のケーキを食べていないのはそういう理由だったわけか。

 ダイエットか。前世でも私は細身のガリ子ちゃんだったから、そういうのとは無縁だったんだよなぁ。今も細いし麗花も細いし。


「でも瑠璃ちゃん。無理な食事制限は健康にも良くないって聞くよ? 食べたいの我慢するのも体に毒だし」

「花蓮の言う通りですわ。今はお菓子だけなんですの?」

「うん。食事はしっかり出されるものを食べてはいるけど」

「そうですわね……。食事を野菜中心に、高タンパク質低カロリーメニューに見直してみるのはどうかしら? あと、そういうのは適度な運動も必要というのも聞いたことありますわ」

「食事メニューの見直しと、適度な運動。メニューはシェフに相談してみるとして、運動かぁ……」


 途端に暗い顔になる瑠璃ちゃん。


「体育の授業とかどうなの?」

「私自身は苦手で。クラスでも下の方なの」


 走る速度がスローモーションの瑠璃ちゃんにとっては、まさに苦行の授業である。


 そっかぁ。

 私はやる気だけはピカイチなんだけどなぁ。


「私もね、体育の授業では失敗続きなの。お友達にも特訓に付き合ってもらっていて」

「特訓? 初めて聞きますわね」

「えっとね、スイミングスクールにも一応通い始めていて、今はお昼休憩にクラスの皆でボールキャッチ特訓をしているの!」

「ボールキャッチ特訓? どんな感じなの?」

「ドッジボール苦手な子を集めて始めたの。自分で壁に向かって投げて、それを取ったり。投げるのにもフォームとかあったりするから、出来る子を参考に真似してるんだ。上達速い子はもう指導側にいるんだけど、すごいよね」

「それで貴女は今どこら辺ですの」

「……お友達と緩く投げ合いっこです」


 うふふ。普通と言われる速度で投げたら、裏エースくんじゃないところに飛んで行っちゃったの。不思議だよね。


「ということで、ボールを使った適度な運動は私じゃ参考にならないよ」

「ならないよ、じゃありませんわよ。ならないならならないで、他の運動案はありませんの?」

「えーと……。だったらやっぱりランニングぐらいしかなくない? 反復横とび? 縄とび?」

「やるんだったら、ランニングか縄とびかな」

「でしたら、週に何回か家に来て一緒にやりませんこと? 我が家でしたら、お父様が趣味で造られたトレーニングルームがありますし。本格的に取り組むのが我が家、空いた時間にするのが自分の家という感じで区切ってはどうかしら? 海に行くのはいつですの?」


 麗花の提案に、しかし瑠璃ちゃんは戸惑いをあらわにした。


「八月に入ってからだけど。でも週に何回かって、それじゃ麗花ちゃんフランスどうするの? 久しぶりにご両親と過ごせる時間でしょう?」


 海外を飛び回っている麗花の両親は、ほとんど国内にいる時期がない。夏休みとか冬休みとか長期でまとまった休みの間くらい、離れている両親と過ごしたい気持ちは誰よりも強い筈だ。


 けれどそんな心配をよそに、麗花は何でもないというように笑った。


「普段モニターでお話ししますし、冬休みまで待てばいいだけですわ。それにせっかくの長い休みですのよ? 瑠璃子と花蓮とたくさん遊んで、楽しい思い出を作りたいですわ!」

「麗花ちゃん」

「麗花」


 くぅっ! 麗花の健気可愛いが私を襲う……!

 何なんだ二人とも。可愛いにまみれたこの夏を、私は生き永らえることができるのだろうか!?


「自重する気のない花蓮は放っておいて。瑠璃子、どうしますの?」

「うん。二人がせっかく協力してくれるんだもの。私、頑張るわ!」

「その意気ですわ! では早速米河原夫人に話を通して、シェフにメニュー変更をお願いしましょう! ほら行きますわよ、花蓮!」


 えっ、なに?

 麗花の可愛さに悶えている間に、何か話進んだ!?





◇+◇+◇+◇+◇+◇+





「まずはランニングから始めましょう。操作はこう、こう……合ってますの? 西松」

「はい。大丈夫ですよ、お嬢さま」

「良かったですわ。瑠璃子も覚えました?」

「うん。難しいのかなって思ってたけど、意外と簡単なのね。スローから始める、と」


 ところ変わって in 薔之院家。


 瑠璃ちゃんの食事メニューに関しては、あっさりと変更が効いた。

 三人揃って米河原夫人に説明をしに行ったら、瑠璃ちゃんのダイエットへの熱意に加え、成功した暁には新たな健康惣菜そうざいメニューとして売り出すということで、米河原家にとっては試作の一環となった。


 そして本格的を体験してからの方が家でどの程度やればいいのかが分かるのではないか、ということで午後始め、早速取りかかる運びとなったのである。


 上下ジャージという格好の私達三人と、ピシッとスーツを着こなしている執事長の西松さんと、ラフな格好の運転手の田所さん。


 子どもだけだと何かあったらいけないということで、西松さんと田所さんが見ていてくれる。皆が和気あいあいとランニングマシンを操作する中、私は一人ポツンとそれを見つめていた。


「なぜ私だけ三輪車」


 ところ変わって私 ride a 三輪車。


 間違いがないように言っておくが、トレーニングルームに三輪車があらかじめ置いてあったわけではなく、薔之院家に向かう途中でどういうわけか私用にわざわざ購入されたのだ。意味不明である。


「麗花ー! これどういうことー!?」


 少し離れたランニングマシンにて呼ばれた彼女は、この時ばかりは一つにまとめた縦ロールポニーテールを揺らして、スンとした表情で振り返った。


「あら、私はそれが正解だと思いますわよ」

「理由を述べよ!」

「失敗続きというのが気になって、柚子島書店に連絡して体育のことを柚子島さまに確認しましたの。色々とお聞きできて良かったですわ」

「なっ。た、拓也くんに!? え、いつ!?」

「貴女が瑠璃子の家でお手洗いに行っている間ですわ」


 私がいない間にコソコソと何をしているんだ!

 これじゃろくに安心してトイレも行けないよ!

 そしてたっくんに情報提供されたんじゃ、私に反論の余地なし!!


 私が大人しく三輪車をキコキコ漕ぎ始めたのを見届け、麗花と瑠璃ちゃんもランニングマシンのゆっくりペースで走り始めた。

 キーコキーコとルーム内を周回する中、走る二人を見る。


 さすが将来スポーツに重きを置く、紅霧学院に進学予定の麗花。彼女が呼吸を乱すことなく平然と走っているのに対し、瑠璃ちゃんはどうかというと。


「ふぅっ、ふぅっ、ふぅっ」


 ……うん。

 頑張っている。頑張ってはいるんだけど。


 タッタッタッタッタッタ。

 ぽてっ。ぽてっ。ぽてっ。


 お分かりだろうか。

 上が麗花、下が瑠璃ちゃん。この音の違いを。


 走り始めて三分くらいだろうか。丸いほっぺに流れ落ちていく、大量の汗。

 まるで通り雨に降られたかのような惨状である。


 おっと、よそ見していたら三輪車が田所さんの足に衝突してしまった。


「田所さん。あのままじゃ瑠璃ちゃん干からびちゃいます。何か飲み物とタオルを渡してあげて下さいませんか?」

「そ、そうですね。瑠璃子お嬢さま!」


 瑠璃ちゃんの惨事を田所さんも呆気に取られて見つめていたので、取りあえず解凍させる。


 必死に走って……走り……いやあれは競歩とも言えぬ……何だあの足の動きは!?

 いつも走る時はスローモーションなのも、あの独自の足の運び方故そうなるのか……?


 私のビート板すべりの謎とともに、瑠璃ちゃんにもスロモ走りの謎ができてしまった。


 この案件を裏エース先生に相談するか否かを熟考している間に、田所さんが瑠璃ちゃんに声を掛けて一旦中断させてドリンク飲料と白いタオルを渡している。


 こきゅこきゅとゆっくり飲んだ後に輝く笑顔は、まさに風呂上がりのコーヒー牛乳のそれだった。

 隣がそんな感じなものだから、ダイエット訓練に付き合っている麗花も微妙な表情をしている。汗一つかいていない彼女にも、西松さんからドリンク飲料とタオルが渡された。


 あんな惨事を目の当たりにしてしまえば、もっと頑張ろうねなんて誰も言えない。


 うーん。汗をかくのと脂肪の燃焼は別物だよなぁ。どうしたものか。

 ランニングより前に競歩の方が……あれ。待て。スロモ走り……えっ。


「麗花、麗花!」


 手をこまねいて呼び、こっちに来た麗花に三輪車にまたがったまま、気づいてしまった世にも恐ろしい事実を告げる。


「何ですの?」

「あのね。気づいちゃったんだけど、瑠璃ちゃんって歩くのは普通の速さなの。でも走る時だけスローモーションになっちゃってるの!」

「え、逆に? まさか。そんなことあるはずが……」


 一息つき終わった瑠璃ちゃんが、再度ランニングマシンの上でぽてっ、ぽてっ、ぽてっ、と走り出す。本人の体感としても、外野で見ている私達にも彼女は走っているのだろうと認識はできる。速さは別として。


 そして数分もしない内に通り汗の惨状再び。

 数分前と同じことを繰り返し、ジッと見つめている私達に気づいた彼女が、苦笑いしてこちらへと歩いてくる。――トコトコトコと、普通の速度で。


 チラッと見た麗花の顔は、青かった。


「ごめんね、一緒にやってくれているのに。私、すぐ汗かいちゃって」

「い、いえっ。る、瑠璃子は頑張っていますわ!」

「そうだよ! たくさん汗かいたらきっと痩せるよ!」


 アハハとぎこちなく笑う私達の様子は、瑠璃ちゃんの目にはおかしく映らなかったようで、彼女はふふふと笑う。


「うん! 何か私、痩せられるような気がする!」


 ペカーとやる気溢れる笑顔の前で、恐ろしい事実を告げることは不可能。


 瑠璃ちゃんがルンルンと再びランニングマシンへと向かって行った後で、私と麗花は揃って顔を見合わせ、瞬時にお互いの認識を擦り合わせた。


「ダイエットには関係ありませんわよね?」

「多分。運動量と汗の比率が合ってないけど、痩せれる?」

「縄とびに切り替えた方がいいのでは?」

「でも本人ランニングにやる気マックス」

「……」

「……」

「夏の課題ですわね」

「どっちもだね」


 コクン、と同時に頷く。

 瑠璃ちゃんのダイエットと、歩いた方が走るよりも速い謎の解明。


 私達の夏休みは、まだ始まったばかりである。

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