Episode9 文通を始める
とある初夏の日のこと。
私は初等部から帰宅したお兄様に、とある相談を持ちかけられた。
「お手紙、ですか?」
「うん。文通っていうのかな。やってみない?」
「お兄様とですか?」
「毎日会うのに僕としてどうするの。相手は僕の友達の弟となんだけど」
とても爽やかな微笑みとともに
私は基本催会には出席しない出不精だということはお分かり頂けているだろう。
麗花の時のことはイレギュラーであり、以降特に乙女ゲー関係の罠に気を張り巡らせているため、全く外出はしていない。
と、いうことはだ。
現状私には同じ年頃のお友達が麗花しかいないという、寂しい交友関係なのである。
うわ、
友達作りを何とかしようとしている麗花の方が、外出を拒否っている私よりも遥かにリードしている。
「お兄様のお友達の弟さま?」
首を傾げて問えば、経緯は至ってなるほどと頷けるものだった。
曰く、お兄様のお友達の弟は人嫌いなところがあるらしく積極的に関わって行こうとしないため、お友達は弟の対人関係を常々心配していることのこと。
特に女の子に対してはそれが酷く、素っ気ない態度で言葉も一言ばっさり切るため泣かせている女の子は星の数ほど。
お友達さんはどうにかしなければと親しい友人であるお兄様に相談したところ、「だったらウチの妹で慣れさせたらいいんじゃね?」ということで現状に至ると。
「会うのはハードルが高いから、まずは手紙のやり取りから始めてみようってね。花蓮も会って直接話すよりは手紙の方がいいだろう?」
それはそうなんだけど、いやしかし。
「その弟さま、そんなに女の子が寄ってくるのですか……?」
泣かせている女の子が星の数とかどんだけ。
そんなにイケメンなお坊ちゃんなのか。女の子泣かせるとか、世の男の恨みを買う行いだぞ!
「うーん。確かに色々魅力的な子だから。そうなっちゃったのも分かるし経緯が経緯だからその子ばかりが悪いっていう訳でもないんだよ。返事はすぐじゃなくてもいいから、考えてみてくれる?」
そう言って部屋を辞したお兄様の背を見送って、私は一人考える。
文通かぁ。私も昔は友達と手紙のやり取りをしていたなぁ。
その友達とは例の不良で乙女ゲーに嵌ってしまった友人のことを指すのだが、小学校の途中で転校していき中学の途中で再び越してくるという、不思議な経緯の持ち主だった。
その離れていた期間で何度か文通をして近況を報告し合い、友人が戻って来ても何だか離れていた気がしないと感じていたものだ。
なので私自身文通という手段に関しては特に面倒くさいという気持ちもなく、むしろやってみてもいいかなと考えている。
文通相手の子だってお兄様のお友達の弟さんという、身元もはっきりしている子とだし。
お兄様の交友関係はそこまで把握していないが、偶に誘われて行ったりしているようで中々進んでいらっしゃる。
少し腹黒疑惑のあるお兄様のお友達というくらいなのだから、家格も百合宮と同等の家だろう。
ならば迷うことはない。これは私にしても麗花以外の友達を作る絶好のチャンス!
早速嬉々としてお兄様に是の返事をしに行けば、お兄様は「わかった」と顔を
「友達にも了解と返事しておくよ。あ、でも話自体は弟くんにもしていると思うけど相手が花蓮っていうことは伝えてないから。知り合いの子に相談してみるとしか言ってないから、くれぐれも僕の妹っていうことはバレないようにね?」
「え」
「その子を女の子に慣れさせるためだけの話だからね?」
「……あ、はい」
何故か念を押されて了承させられた。
と、友達作りのチャンス……。
お互い相手の素性は一切明かされないまま話が纏まった文通だが、記念すべき一通目は私から出すことになった。
便箋は今の季節にちなんで、余白部分に薄ら緑の葉が描かれその上にてんとう虫が乗っかった、程ほどに可愛らしいものを使用。
男の子だからあまり柄を気にして読むとは思えなかったが、何より女の子を苦手としているのだろうから、女の子を全面に押し出すような絵柄は却下した。
ちなみに書いた手紙はお兄様に渡すだけでいいらしい。
「うーん。どうしよっかなぁ」
まぁ初めだし、シンプルに挨拶だけでいいかな?
<はじめまして。私は>
「……素性」
ヤバい。出だしで
えっと、百合宮 花蓮ってバレちゃダメなんだよね。何これ無理ゲー!?
そして必死に頭を働かせて考えたら、結局手紙の内容はこうなった。
<はじめまして。私は名無し。
名前はまだありません。
なので、お近づきのしるしに私の今後の呼び名……書き名?を決めてもらえませんか?
あなたの書き名もそえてもらえるととても嬉しいです。お返事お待ちしております>
戦法は秘儀・相手に丸投げ。
「うっわああーっ、読み返してみても何て馬鹿丸出しな文章! こんなんで返事返ってきたら奇跡だわ!」
過去文通をしていたとは思えない、頭の悪い内容である。
というか自己紹介もまともにできない条件がついた文通なんて難し過ぎる!
しかしこれ以上どうすることもできなかった私は、これを浮かない顔をしてお兄様の元へ届けに行った。
「不甲斐ない妹をどうかお許しください……」
「は?」
怪訝そうな表情を向けるお兄様だが、私は項垂れたまま部屋を後にした。
人選してくださったお兄様の顔に泥を塗るような不出来な妹のことは、そっとしておいてください……。
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
それから数日後。
提案があった日と同じく学校から帰宅したお兄様が、水色の封筒を手に持って私に渡して来た。
「あの、これは?」
「ん? 花蓮が書いた手紙の返事が返ってきたんだよ」
「え!? 本当に!? あの内容で?!」
「お前一体なに書いたの」
何と奇跡は起きた。
てっきり返事は来ないものと思っていただけに感動も一塩だ。
微妙な顔をするお兄様から手紙を受け取った私は、早速自室で手紙を開封して読む。
便箋は青空の背景が写されたシンプルなもので、その筆跡は同じ歳の子がここまで綺麗に書けるものなのか、と驚くくらい達筆だった。
<はじめまして、名無しさん。
書き名を決めてくれとのことだったので、返事を出すまでに時間がかかったことをおゆるしください。
考えたのですが、あなたがくださった便せんのてんとう虫にちなんで、『天(そら)』はどうですか?
気に入ってもらえると嬉しいです。
僕のことはリーフと呼んでください。お返事をお待ちしています>
「何かすっごい、すっごいよこの子。こんな文章書ける子が人嫌いとか信じられないんだけど!」
てんとう虫にちなんで『天(そら)』って表現が、とても同じ歳の子とは思えない。
いや気に入ったけどね!
思うに手紙だからこんな風に話せるのであって、やっぱり会って話すのとでは違うんだろうなぁ。
よし、私も頑張って返事書こう!
せっかく呼び名を便せんにちなんで決めてくれたことだし、同じものを使用する。
<呼び名を決めてくれてありがとう。天って呼び名、とても嬉しいです!
ところでリーフさんの名前はどうやって決めたのですか? 次に書いてくれる時はぜひ教えてくださいね。
あ、ちなみに私お花が好きなんですけど、リーフさんは何か好きなものってありますか?
せっかくこうしてお手紙でお話するので、いろいろなことをお話したいです>
うん、最初より全然マシな出来だ。
お兄様に届けに行けば、「え、もう書いたの!?」と驚かれた。
ふふん、気分が乗れば筆が進むのは早いのですよ私は。
それから三日に一度のペースで文通を行っていれば、ある程度相手のリーフさんのことを把握できるようになった。
和食が好きで、洋食はあまり好きではないこと。
外に出るよりも家の中で本を読む方が好きなこと。
最近はお兄さんの体調が良くて構って貰える時間も増えて嬉しいけど、無理してほしくないこと。
どうやらリーフさんのお兄さん…お兄様のお友達さんは、あまり健康面がよろしくはないらしい。
それとなくお兄様に聞けば、「本人は大丈夫だって言い張るんだけどね。まだ低学年の頃は確かに学校を休みがちだったよ」と言われた。
「お兄さんを心配する優しい弟さんみたいなんだけどなぁ」
多分お兄さんに交友関係のことで心配をかけているということは、本人も感じてはいるのだろう。
リーフさんの書く手紙は基本的に文章量が少なめだ。
私の方が問い掛けてそれに返事を返す、それに何かしら続けるような終わり方で手紙を締めくくっているため文通自体は続いているのだが、何か書かなければいけないというような義務っぽさを感じる。
文通してますよーアピールで、お兄さんの心配を払拭させようと利用されているだけのような気がしないこともない。
いや別にいいんだけどさ、女の子に慣れさせるって話で始まった文通だし。……本当にいいんだけどさ。
「でも気づいちゃったんだよねぇ」
頬杖をついてリーフさんが書いた手紙を見下ろす。
前世で友人と文通をしていたから分かる。
友人の書いた手紙は読んでいて、とてもワクワクした。次に来る内容が楽しみだった。
でも、リーフさんの手紙にはワクワクしない。丁寧で読みやすいけど、ただそれだけだ。
何か空いた時間に思い出したように書いただけの内容っていうか。
最初は確かに綺麗な文章だと感動したが、器械的なそれが続くと却って味気なさが目立つ。
これでは返事を出す方のやる気も削げるというものだ。初めて返事が返ってきた、私のあの感動とやる気を返せと言いたくなる。
「……言っちゃおうか。私だって書くなら楽しく書きたいし、ワクワクしながら読みたいもん!」
うし、やってやる!
直接顔を合わせて言うのなら恐らく無理だったが、これは手紙なのだ。
私はシンプルな白い便箋を机に広げ、鉛筆を手に手紙を書き進める。
要約すると、「本当に文通やる気あるの? ないんだったらその気が起きるまでもう書いてくんな!」という喧嘩腰の内容を、丁寧に三つ折りして飾り気のない白い封筒に入れてお兄様に渡した。
「……何か随分楽しそうな顔をしているね?」
「はい。次にどのようなお返事が来るか私、とおっっっっっても楽しみです! 次はお返事が来るまでに日が開くと思いますが、気にしないでくださいね」
「……お前一体なに何書いたの」
あら、そんな手紙と私を交互に見るような怪しい内容ではありませんよ?
◇+◇+◇+◇+◇+◇+
私がリーフさんへの喧嘩状を送ってから、宣言した通り三日に一度のペースだったものが、あれからぱったり途絶えた。
それ見たことか、私の文通経験値を舐めてはいけない。
お兄様からは一回だけあの時書いた内容を聞かれたが、「相手が嫌々で書いたものの返事を書く気が起きなくなっただけです」と言うと、何やら納得されてそれ以上は言われなくなった。
私だってこれでも小学校に上がるまでの家庭教師やら麗花の相手やら、外出のお断りで忙しいのだ。あんな器械的な感情のこもっていない手紙の返事をのうのうと書いている暇はないのだよ。
そうして私なりに閉鎖的だが充実とした日々を過ごしていると、文通が途絶えてからきっかり三週間後、またもやお兄様が見覚えのある水色の封筒を手に私の部屋へとやってきた。
「……なんですか、それ」
私の纏う嫌そうな雰囲気を見て取り、苦笑するお兄様。
「受け取ってあげて。いつもは友達から受け取るんだけど、今回は本人がわざわざ直接学校まで持って来たんだよ」
「え?」
封筒を睨みつけていた視線をお兄様へと戻す。
「花蓮の手紙、結構ショックだったみたいだよ? どうして花蓮が怒ったのかも理解して、今度はちゃんと文通したいんだって。どうする?」
ヒラヒラとさせられている水色の封筒。
少しの間逡巡した後、私はそっと封筒へと手を差し出した。
「受け取ります、お兄様」
「ん」
封筒を渡したお兄様は静かに部屋を出ていき、私は渡された封筒を開封して中身を検める。
その内容は、リーフさんがくれた手紙の中で一番文章量が多いものだった。
<天さんへ。
久しぶりにこうして書き始めると、何を書いたらいいのか分からないものですね。天さんからもらった手紙を読んで、反省しました。確かに天さんが書いた通り、僕は兄に言われたまま心配をかけまいとして楽しく書いていた訳ではありません。むしろ面倒だと思っていました。
けれどそんな気持ちは字に出るものなんですね。今まで書いてくれた天さんの手紙をすべて読み返して、僕の物とは違って何を書こうかという悩む天さんの姿が頭に思い浮かびました。不愉快な思いをさせてごめんなさい。
僕と文通するのはイヤになってしまったかもしれませんが、もう一度返事を書いてはもらえないでしょうか?
今度はちゃんと、天さんとお話をしたいです>
手紙を読み終え、その筆跡が達筆で丁寧なものなのは同じだったが、何度も消して書き直したような跡があったのは初めてのことだった。
そのせいか便箋の表面はちょっとよれていて皺がある。
「ぷっ。むしろ面倒だと思っていたって、正直すぎ。リーフさん潔いなぁ……、あれ?」
手紙を封筒の中に仕舞おうとして、何かに引っ掛かる。
中を取り出して見れば、少しだけ目を見開いた。
「これ、栞?」
上質な紙に植物の絵が描かれたものを綺麗にラミネートされて、穴があいた部分に白いリボンが結ばれている。
どうみても手作りのそれに少し驚いたが、描かれた植物が何か分かった瞬間あっと思う。
あまり絵は得意ではないのか、けれど特徴をどことなく掴んでいるそれは、確かにあの植物だと思った。
「これってアイビー? リーフさんがわざわざ?」
手作りと思わしき栞を片手に手紙と交互に見比べ、どうしてだろうと考える。
確かリーフさんは読書が好きって前の手紙に書いてあったけど、本を読む時に良かったら私にもこれ使ってってことなのか。
「ん? 前の手紙……あっ」
好きなものと言えば、私も確か前に花が好きだと書いた。
思い至って本棚から花言葉辞典を手にとって調べてみれば、アイビーの花言葉は――“友情”。
この手紙にもすべてを読み返してって書いてあるから間違いない。
「……もう。こんなことされたら許すしかないじゃん」
今までリーフさんに抱いていた嫌な気持ちが、さっと晴れていく。
本当に反省しているのと、仲直りしたいという気持ちを受け取った私は心穏やかに筆を執った。
今度使うのは背景に青い花があしらってある、可愛さよりも上品さが勝る便箋。
とてもよく筆が走った私は、書き終えた手紙をお兄様へと届けに行く。
お兄様は私の表情を見て、ふっと微笑んだ。
「随分楽しそうな顔をしているね?」
「――はい! 次にどのようなお返事が来るか私、とっても楽しみです!」
百合宮 花蓮六歳、初めての文通友達ができました。
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