第20話 大人は全然正しくない

小さな頃は、大人は完璧で正しいことを知っている人だと思っていた。自分が大人と言われる年齢になって、大人ってもっと大人だと思っていたのに、と焦りを感じたりした。でも、世の中には全然大人じゃない大人がたくさんいる。

正しくない大人もたくさんいるし、そもそも何が正しいか決まっていないこともたくさんあるのだということも知った。宇宙の果てに何があるのかまだわからないということではなくて、人の幸せがどこから来るのかひとつに決められないということではなくて、歴史や政治の世界でも何が正しいかをめぐって論争が続いているだなんて、学校の勉強で用語を覚えていたときには想像もしていなかったんだ。


だから、正しい情報を伝える、という話も、簡単ではない。

私が見ていて、「これは正しい情報を伝えていない」という報道も、他の誰かから見たら正しいものなのかもしれない。当然、私が見ていて問題を感じないものが、本当に正しい保証はない。

正しい情報を見抜くことは、さらにさらに難しい。親が教えてくれることやテレビで言っていることは無条件に正しいと思っていたときもあるけれど、今は、そうじゃないということはわかっている。


正しい情報を見分けるために気をつけていることは、まず、あまり情報に飛びつかないようにすることだ。ネットで調べていたりして、ちょっとおもしろそうな情報に出会うと、これって知ってる?みたいに拡散してしまうことがあった。でもそれで、後から訂正の情報が流れてくることとかもあったので、少し待つこととか、一度調べてみることとか、批判している人を探してみることとかを心がけている。

論文やレポートを書くときに、「一次情報にあたる」ように言われるのも、これに近い発想なのかなと思う。wikipediaは知らないことを簡単に把握する上では便利だし、内容がかなり充実しているものも多いけれど、今見たその瞬間に間違いや悪意による嘘が載っていないとは保証できない。

目新しい情報は、海外の論文を日本語に訳している人が発信源になっていることも多い。この場合、悪意はなくても語学力と読解力が不十分で嘘になっていることもあるみたい。まったく英語が読めないわけではないのだけど、全体ではなく自分に都合のいい部分だけにひっかかって訳して拡散しちゃうみたいな。

そういう意味では、なんだかんだいって外国語を読める能力も情報化社会では必要なんだろうなと思う。

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