第19話 伝えることとわかること

政府が出している文章なんかも、読まれないものの代表だ。それを人々に伝える役割を期待されているのが、マスメディアなのだと思う。でもマスメディアが情報を正しく伝えようとしているかというと、どうもそうではないんじゃないかなと思えてくる。

ひとつには、単に言葉をわかりやすくしただけでは伝わらないという理由があるだろう。何か行動を変えてほしいとして、変えてくださいということが伝わっただけでは行動の変化にまで至らないということが想像できる。そのため、内容を誇張してみたり、理由を感情に訴えるものにしてみたり、どうにかして行動を変えようと煽ってしまうことがあるだろう。それから、全体を伝えることを諦めているという理由もあると思う。多くの人にとっては、興味がない内容について話を聞くのは数分が限度だろう。その中で伝えられることには限りがある。結果、少しでも興味をひきそうな内容をおもしろおかしく伝えることになる。少なくとも、そのニュースを取り扱ったというアリバイは成立するんだ。


ネットを見ていると、いろいろなまとめ記事や解説記事が溢れている。本屋さんに行っても、図解でわかるとか、一目でわかるとかのタイトルがついた本がたくさんあって、そんなに簡単にわかるものなんて限られてるだろうなぁ、なんて思ったのだけれど。もしかすると、人は普通の物事については、別にちゃんと理解したいとも理解できるとも思っていないのかもしれない。


学校で何かの授業を受けるとき、100点満点で60点より低いと単位がとれない、というのはよくある基準だと思う。テストの100点の場合もあるし、提出さえすればいい課題を含んでの場合もあると思う。数学のテストであれば、満点はとても難しいと思うし、半分だとちょっとできない部分が多すぎる気がするから、60点という基準はなんとなく納得できる。でも現代文の60パーセントというのは、かなり低い数字のように感じる。

なにか業務で必要なことを紙に書いて文章で伝えた時、それが60パーセントしか伝わらないとしたら、結構おそろしいことなんじゃないかな。しかも多くの場合には、こちらの文章も完璧ではないわけで。ということは、文章では物事は半分くらいしか伝わらないということなのかもしれない。

文章では、と書いたけれど、それが口頭で伝えられるのだとしたら、単純にはさらに物事は伝わらなくなるはずだ。紙は何度も読み返せるが、音声は一度で聞けなくなってしまう。口頭の方がよく伝わるとしたら、会話の中でわからないことを確認できたり、伝える側が相手の様子を見ながら説明の仕方を変えることができるのが理由だろう。あとはもしかすると、情報を一度に渡せないことが何か作用しているかもしれない。このあたりは研究とかされているのかな。

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