第18話 手に負えない契約書

契約書を読む、というのはメディアリテラシーに含まれる能力だろうか。そして、契約書を読むにはどんな能力が必要なんだろう。

具体的なものが契約書であるかどうかはわからないけれど、契約書を読む能力とメディアリテラシーは重なるものが多いと思う。ある事柄を伝えたい文章を読んで、自分にとっての意味を理解して、必要な判断をする、という点では新聞やウェブメディアの文章を読むのと同じだろう。契約書自体もネット上で出会うことが多かったりするし。

文章を読む、というのは、単に音読できるかどうかではなくて、どの単語とどの単語が主語と述語で対応しているかとか、その述語に関係しているものはどれで関係していないものがどれかとかを把握できること、かな。もちろん、文章の全体を読んでそれができる必要がほんとはあると思う。

自分にとっての意味を理解、というところでは、自分が必要とする効果が得られるのかとか、自分にとって不都合が起こらないかとか、この話を進める上で気を付けなければいけないことがわかるかとか、そんなところ。契約書の場合には、お金とか商品の量とか数字が絡む情報も入ってくるだろうから、それが適切かどうかを読み解くところまで含むのかな。

そして必要な判断をする、というのは、曖昧なことを確認したり、自分にとって不利な条件の部分があれば調整を要求したり、場合によっては契約に至らないという結論を出すこと、だと思う。


今、多くの人は、ネット上で何か会員登録とかするときに、「〇〇についての説明事項」という見出しくらいは読んでいるだろうけれど、細かいところは確認せずに、よきにはからえ、みたいな感じで承諾をしてしまっていると思う。基本的には相手のことを信頼して、あと、他の人たちも契約をしているからそんなおかしなことは書いていないはずだ、という判断をして、チェックさえすればそのサービスが使える、と思っているはずだ。

たまに、ちゃんと読んだ人が「このアプリが取得する個人情報はおかしい」とか「この契約だとこの権利についても相手に譲渡することになるがその必要はあるのか」とか指摘をしていることもある。そういうのを見ると、ちゃんと読まなきゃいけないんだな、とは思うんだけど。


機械や法律を扱うのに専門家がいるように、このままだと契約書とか説明書とかにも専門家のお墨付きや解説が必要になるんじゃないかと思っている。もうすでに現時点で、一般の人々の手に負えないものになっていると思うのだけど、今のところは大きな問題にはなっていない。でも例えば、高齢者が携帯電話を契約するときに必要のないサービスまで契約していた、みたいな事例はたくさんある。高齢者だけじゃなくて若い人たちでも、文章を読まないとか説明を聞かないとかで、気付かないうちに損をしていることってあるんじゃないかな。

契約書の全体を読むか、全体を読まずに確認が必要そうなポイントだけは最低限確認して、理解して決断する、という能力がこれからの世の中を生きていく上で必要なリテラシーと言われると、ちょっと要求が大きすぎる気がする。

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