第14話 自分の力の高め方
メディア論はマスメディアに関する論ではないと意識しているのに、批判的なことを考えているとついついマスメディア批判にもっていってしまいがちだ。メディアにはこういう役割がある、なのにマスメディアは役割を果たさずこんなことばかりしている、みたいな感じで、主語がずれていってしまう。
自分の頭の中だけですらこうなんだから、人と人との間で物事が伝わるって、きっととても難しいことなんだろうな。
「あなたは自分自身にどれぐらいメディアリテラシーが備わっていると思いますか?」という質問をされたとする。この結果はどのようになるだろうか。例えば最終学歴で、例えば年収で分類して分析すると、どういう結果が出るだろうか。
私はこのアンケートの結果にはほとんど意味がないと思っている。「メディアリテラシー」というものの定義が曖昧なこともあるし、仮に求める能力が明示されていたとしても、それが「できている」「できていない」を自分自身で判断する段階でそれは能力の調査ではなく自己認識の調査になってしまうだろう。もし能力を測る基準があるのであれば、それは別でチェックしたうえで、「能力と自己認識の相関は強くない」とか「能力と親の年収に相関がある」とか分析をすることができるのだと思う。
ちなみに自己認識については、能力もありそれを周りからも認められていて自分でもできていると答える人々、能力はあるが周りとの比較から不十分だと感じている人々、平均程度にはできていて自分で自信を持っている人、頑張って平均に追いつこうとしていて不十分だと感じている人、どのような能力が必要かわからないが自分のやりたいことには困っておらず自信がある人、苦手意識があり能力も自信もない人、といった感じで、自己認識はミルフィーユのように層になっているんじゃないかと思っている。何か授業をするとして、自己認識でグレード分けをしたとしたら、それぞれのクラスの真ん中に位置する人たちのレベルはほとんど変わらないんじゃないかな。
であるからこそ、他の事柄でもそうかもしれないけれど取り敢えずリテラシーについて、まずは「自分には不足している知識がある前提で情報を入手し続ける」姿勢が必要なのではないかと思う。ここまでできればもう十分、と言える段階に達することができる人は、きっとほんの一握りのはずなんだ。あと、分野を絞って、この部分は他人に教える上でほとんど困らない、というレベルを目指すのも有効だと思う。広い分野では自分に何が足りないか理解するのが難しいが、分野を絞ってもそれでもわからないことがたくさんあるということを理解することならまだ可能性がある。そのうえで、この分野とこの分野は世の中の標準レベルには追い付いている、この分野は専門家に準ずるくらいにはできているがこういう点でさらに改善ができそう、といった分析ができるといいと思う。
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