第11話 伝えることの方法と影響
活版印刷術が発明され、歴史は大きく変わったという。一人の人が持っている情報を周りの人に伝えることを考えた時、口伝えだけと、手紙のようなものも併用するのとでも伝えられる相手の数は何倍にもなるだろう。それが印刷して伝えられるようになればさらに広げやすくなる。本が流通するには他にも必要な技術はあるだろうけど、印刷術が社会に大きな影響を与えるのはわかる。
最近では、文字ではなく映像で情報に触れる機会が増えている。テレビ放送の出始めは速報性がポイントだったのかな。スポーツ観戦や観劇をその場に行かず入場料を支払わずに見られるのも衝撃だったと思う。そこからドラマやバラエティやいろいろな情報番組が発達し、今では一日に生み出される映像の量もとてつもないものになっている。
オンライン授業なども行われるようになって、勉強的な内容を伝えるために動画教材を活用することにもさまざまな知見が生まれている。でも今のところ、動画だから伝えらえる情報の量や質が劇的に変わる、というような動きにはなっていない気がする。とはいえ、今まで文字だけで発信されていたときにはその情報に触れていなかった層にまで情報が届く、という一面はある気がするので、そのあたりをちゃんと見ると社会への影響もあるのかもしれない。
リテラシーの下りの中で、「識字率」という言葉がどう使われているのかが気になった。日本は識字率がほぼ100%と言われるわけだけれど、これは小中学校で習うレベルで文字が読めるかどうか、という意味だろう。社会で生活を送るうえでは、実は文字が読めるだけではその内容を理解して行動できるかということが大事になる。そしてたぶん、中学校レベルまでの漢字しか使っていないとしても、何行もわたる文章を読めない人は結構いる。
「リテラシー」という言葉は、新しい時代の「識字率」なのかもしれないと思ったりもする。一文字ずつの文字が読めるかどうかではなく、ある程度わかりやすく書かれている書類全体の内容を把握し必要なアクションをとれるかどうか、といったような。
わかりにくいものを伝えるために、特に若い人たち向けには漫画の活用も検討されているという。大人向けのビジネス書なんかでも、漫画と解説文の併用のような形のものがはやっていたりもする。
文字の文章だけで伝えようとすることは、相手に理解するためのコストをかけているのだということを改めて感じる。読んでもらわないと話にならないし、読んでくれたとして伝えたいことが100のうちどれだけ伝わるのかはわからないし、さらに、情報が抜け落ちるだけではなくて、伝えたいと思ったことと違うことが伝わってしまったりもする。人にものを伝えるって本当に難しい。
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