第8話 技術の発展においていかれること

メディアとは少し離れて情報の話なのだけれど、どのように情報に触れるかによって、社会の中に埋められない溝のようなものができていると感じる。インターネットが自由に使える環境があるか、そのインターネットでどういう情報にアクセスしているか、得た情報から行動を起こすための手段をどれくらい持っているか、という違い。昔はそれがどれくらい文化的な物に触れて育つかと金銭的な豊かさで緩い相関があって、くらいだったのではないかと思うけれど、今はお金を持っているかとか、都会に住んでいるかとかと違う、何か見えない壁があるんじゃないかと思う。


例えばワクチンの話。ワクチンが有効かどうか、うつべきかどうか、という論争の部分ではなくて、ワクチンをうつつもりだけど予約ができない人たちがいる。ツイッターとかLINEとかを使っていないわけではないけれど、そこから接種予約につながる情報を手に入れられることができなくて、予約が空いている会場がある一方で、渋谷の予約不要の会場に行列ができたりする。高齢者がネット予約ができないのは想定内としても、年齢の問題だけじゃないよなーと。

学校のオンライン授業のこととか、数年前だったらもっと状況は大変なことになっていただろうなと思うけど、そんな風に思えるのは自分がある程度ちゃんと使えている側だからこそなのかもしれない。


今後を考えていくときに、時間がたてばみんなが同じように使えるようになるかというと、そうではないと思っている。電話やテレビは一部の人からサービスがはじまって、でも100%に近い人たちに普及し、誰でも使えるものだけれど、ラジオが同じくらい使われているかというとそうではないと思う。同じように、インターネット上のサービスも、自分には必要ないと触れないままの人もいるんだろうな。

難しいなと思うのは、初期の頃は様子見だとかで触れずにいたら、いつの間にかそれが世の中の普通になって使えないと置いていかれることもありそう、ということ。LINEを使いたくないという人がいて、友達同士で連絡をとるツールだった場合は自分で判断できる範囲の選択だろうけど、LINEを使えないとワクチンの予約ができない、となったら話は別だと思う。サービスを広めたい側としては、そういうところに食い込もうとするのかもしれないけれど、まあ新しいアプリを作ってくれるのが丁寧なのかなとは。で、それを使うか使わないかに関しては、自分から積極的に情報を取りに行くタイプと、友達から知らされたものに触れるタイプと、新しいものはなるべく回避するタイプに大きく分かれそう。

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