第7話 学校というメディア
前期の成績が出る時期だからか、「大学は勉強ではなく研究をするところだ」とか「大学は高校までとは違って努力は評価されない」とかいう文字を目にする。自分自身の経験を振り返ってみて、そういえば高校と大学でマナビカタの違いみたいなものは教えてもらっていない気がするなと思った。
高校生になるときに、義務教育じゃないから留年があるよとか、授業ごとに単位という仕組みがあって、テストができないと単位をとれないよとか、そういうことは習った気がする。だから、大学生になったら授業ごとに単位をとる、ということもその延長で理解をしていた。必修の授業とか、選択必修の授業とかの説明はどこかで受けたんだろうか。まあ、卒業論文を書かないと卒業にたどり着けないのも難しい話ではない。
自分の大学生活が優秀なものとは言えないけれど、大学という仕組みに沿ってどう生活するかで苦労をした記憶はない。周りで留年をしている人にしたって、何を頑張らなければいけないかはわかっていたけれど、何らかの理由でやりきれなかった、という感じだろう。でも世の中には、「なぜ自分が単位を落としたかわかりません」という人がいるということを、今年初めて認識した。
まだうまく考えがまとまっていないのだけれど、学校や会社もメディアなのだと考えている。そのコミュニティに所属することで手にできる情報があり、人と人とがつながり、そしてコミュニティが形作られていく。肩書きを手にした人は、そこにふさわしい振る舞いを求められ、何がふさわしいかは様々な情報から判断をしていかなければならない。基本的にはそこに所属できる人にならわかるような形で伝えられているが、入口の選抜が機能していなかったり、レディネスの問題だったり、認識の齟齬があったりすると、零れ落ちる人も出てしまう、ということ、かな。
半年ほど前は、メディアって具体的には?と聞かれたら、新聞・テレビ・ラジオ・雑誌・インターネット、くらいをあげていたと思う。映画や音楽や本は当てはまらないと考えていたような気がする。インターネットはネット全体を言おうとしているわけではなくて、新聞やテレビがネット上で展開されているような部分のことをイメージしていた。
データを運ぶものをメディアと呼ぶという知識はあった。でもそれとマスメディアが同じ言葉でつながるとは考えていなかった。ソーシャルメディアという言葉についても同じ。
メディアという言葉を見つめ直したとき、情報を運ぶもの、情報を伝える手段、情報が伝わる場のことを広く指しているんだろうなと理解した。となると、必ずしもそれは情報空間で行われるとは限らないんだと思う。
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