第5話 論と学

「論」と「学」の違いが気になって調べてみた。というのは、「知識ギャップ仮説」とか「培養理論」とかの言葉を初めて聞いて、そうか、この領域は何かはっきりと決まった真理があってそれを解明していくというわけではなく、自分たちで正しいかもしれない考えを出し合って検証していくのか、ということに改めて気づいたからなんだけど。

数学とか物理学とかは、人知を超えたところに真実があって、人間の測定能力とか、何かを想定する力とかが足りないから今のところはわからないことがあるだけという認識でいる。でも、人文学系はきっと、人を解明しようとすると人が変わったりしちゃうし、理想状態みたいなものが意味ないんだろうな。


「論」は幅広く議論や主張のことを指し、「学」は専門家によって体系化されたひとまとまりの知識、というのが簡単な理解らしい。素直にとると、論が集まって取捨選択されて学になるのかな、と思う。その一方で、「学」と名のつくものに胡散臭さを感じることもある。これはたぶん、本当は専門家でない人が自分理論に学と名付けていたりするからなのかな。


で、メディア論。

どうも、「メディア論」と「メディア学」が別の範囲を対象にしているような気がしている。学問として比較的新しいが故に、「メディア論」は「論」なのだと思う。ニューメディアが次々に現れていく中、人がどのように影響を受け、影響を与えているのかを扱っているのだと思っている。だから、新しめのメディアが多く取り上げられるのであっても、媒介としてのメディアという意味で範囲は広めなんじゃないか。一方で、「メディア学」が対象にしているのは、マスメディア、ソーシャルメディアといったデジタルメディアのように見える。メディア学部とかそういうことだよね。もちろん、テレビ業界で働くための知識を学びたくてメディア学部に行って、その中で歴史を学んでメディア論に触れる、ということはあると思う。ただ、なんというか、学問の名前として気持ち悪いなと思ってしまった。


もしかするとこれは日本語特有で起こってしまっている問題とかだったりするのかもしれない。他の学問でも、訳語がおかしかったけど定着してしまったからそのまま、みたいなことはあるわけだし。けれど、言葉を、名前を、しっかり認識しましょう、ということは言われるのに、少し外の世界の言葉との齟齬には無頓着なように見えるのが、ちょっとだけ納得いかないなー、と。

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