第4話 自分が伝えることの意味

人に何かを伝えるということを考えた時、私はしゃべるより文字にする方が安心できる。実際に会ったり電話をするより、手紙で気持ちを伝えたいタイプ。

でもどうやって人に伝えるのが得意かというと、たぶん実際に会うのが一番ちゃんと伝えられると思う。相手の反応を見ながらどこの説明を丁寧にするかとか調整することができるから。電話はリアルタイムなのに反応が見えにくいから苦手だなと思う。特に内容のない話で相手の声を聞いているのはすごく好きだけれど。


たくさんの人に物を伝えようとなったら、そこに「メディア」が関係してくる。媒介するものとして、何を伝えるのか、どこに広めるのか、それぞれの性質があるということだろう。たくさんの人に伝えたいからメディアを活用したい、というのは素直に理解できるけれど、メディアを使ってたくさんの人に伝える、ということにはもしかしたら少し抵抗があるかもしれない。それは、伝える相手の個々の反応を気にできなくなることを意味すると考えるから。しかも、多くの人にとっては、実際にたくさんの人に伝えられる環境を手に入れられるかは運に左右されている気がする。努力で変えられるものはあるけれど、努力だけでは叶わないんじゃないかという意味で。


しかもそうやって伝えるものが、本当に伝える意味があるのか、ということも考えてしまう。ネットで検索をすれば、同じような内容のたくさんのページが出てくる。検索結果の上位にあるものはより見られやすく、上位に来られなければ、内容が良いものがあっても見つけてもらえないままのこともある。いくつもの記事を調べて自分なりにわかりやすくまとめたとして、誰かのために、と思ってもそもそも見てもらえないとしたらどうしたらいいのだろう。

他ならぬあなたでなければ表現できないことは?といったことを問われ続けるのは過酷だなと思う。自分にしかできないことを形にしたとして、誰にも届かないとしたら存在を否定されたように感じるだろうな。実際は、単に、道端の草のように、目に留まっていないだけなのだろうけど。


誰かのために、ということも、誰かに認めてもらいたい、ということも、それだけなら素朴な感情で済むのだろう。でも、それが情報技術や資本主義と関わって、ネット上のコミュニティでどう生きていくか、となったとき、もう個人ではコントロールできない欲望になってしまっている気がして、そういう人たちとは住む世界が違うんだな、と思ってしまう。

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