第3話 届ける手段が増えたこと
音楽や美術とほとんど縁がない生活を送ってきた。テレビで耳にする程度の情報は、教養なんて言えないレベルのものだろう。ドラマの主題歌は歌詞で好みかどうかを決めていたし、曲はカラオケで歌えるかどうかくらいの判断基準しかなかった。
クラシックの良さはわからないし、美術作品も何を見ればいいかわからなかったけれど、解説を頭で理解するんじゃなくても、ここのパーツが好き、みたいに自由に感じていい、と言われてそう見られるようになったのが大人になってから。
世界史にもほとんど触れていなかったので、宗教画の意味もわかってなかった。それが、神の教えを伝えるために画家に描かせたもの、ということがわかり、さらに、印刷技術の発明が宗教改革に影響を与えた、ということも知った。それまで、情報を伝えるのは言葉だけだと思っていたけれど、情報を伝えるメディアとしての芸術というものを知った気がする。
芸術がわからないものとして自分の中にあったからこそ、メディアのふわっとした線引きをそのままふわっと受け止められている気もするんだよな。
「メディアはメッセージ」という言葉は、メディア論の超有名人物であるマクルーハンの言葉だそう。最近これに近いことを感じているのが、お店とかのSNSでの発信の使い分けについて。ちょっと前までは、登録してくれている人が違うから、届ける相手が違う、でも内容はどこも同じ、って使い方をしている人が多かったと思うけれど、最近は、届ける相手に合わせて届ける内容も変化させてる人が増えたと思う。どれかひとつで宣伝していればいいわけではなくて、それぞれに合ったプレゼンの仕方を考えるって大変だなって思うけれど、不特定多数じゃなくて見てくれてるあなたに届ける、って意味では楽しいのかもしれない。
インターネットは双方向メディアである、それまでのメディアとは違う、なんてことを言われることもあるけれど、私自身はあまり、自分が情報を発信する立場であることを意識することはない。それでも、情報を受け止める側として新聞やテレビと違うことは良くわかる。あと、情報の発信者と受信者、受信者から発信者、って双方向の流れより、受信者同士の横の関係が作られていることは大きな違いだと思う。同じテレビ見ながらネットで盛り上がるのって昔はなかったよね。たぶん、SNSが出てきてリアルタイム視聴の視聴率って上がっている気がする。
技術の発達で人は見たい番組を録画して自由な時間に見られるようになったはずなのに、技術の発達でまた時間に縛られてるのっておもしろいなと思う。あと、多くの人はそうやって社会の中にいる自分を感じたがっているんだろうな、ということも。
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