第2話 メディアの意味と発展と

新しい言葉については、特にカタカナの単語については、語源を調べるべし、と言われた。イメージで語っちゃうと、針がついているけどデジタルな時計がある、なんて理解できないもんな。


デジタルとアナログは、まだわかりやすい。デジタルは離散的、アナログは連続的。だから、何時何分という示し方をして、58、59、00、と進んでいくのがデジタル時計のデジタルたる所以。というわけで、針が連続的に動くんじゃなくて、カチッカチッと動くタイプはデジタル表示と言えるんだって。あと、アナログが古くてデジタルが新しいみたいなイメージが間違い、というのもおもしろいと思った。そろばんがデジタルというのも笑える。

リテラシーはよくわからない。「読み書き」と訳されることもあるけれど、金融リテラシーって?みたいなことになる。


で、メディア。

もともとはラテン語のメディウムだという。ミディアムレアのミディアムと同じ。中間であり、物と物を介在するもの、ということらしい。ミディウムの複数形がメディア。

最初は神と人をつなぐシャーマンとか巫女とかがメディアだったそうで、それが新聞、ラジオや映画に広がっていった、とのこと。

神託をもたらすものとしてのメディアというのは、自分のイメージ的にしっくりきた。お触書が新聞になっていくのもわかる一方、バラエティ番組がいっぱいのテレビがマスメディアというのはよくわからないな、となった。もちろん、娯楽が悪いとか言いたいわけではないのだけれど。


娯楽だけのテレビ番組が、子育てに悪影響などと言われるように、最近ではYouTubeを子どもに見せない家庭があると思う。どんな内容だかよくわからないけれど、なんだかいかがわしい物とか、違法コピーとか、脱法的な情報を手に入れるところだと思っていたり、内容は知っていても、下品なお笑いとゲーム実況くらいしか知らなかったり。

私も最初はそれに近いことを思っていた。でも、このところYouTubeをよく見るようになって、それだけじゃないということがわかってきた。たぶん今では、YouTubeのカバーする範囲はテレビのカバーする範囲とほとんど変わらなくて、ニュースや世界の情報、教育番組など、いわゆる有用な情報もたくさんある。


インターネットは本や新聞やテレビの果たしてきた役割をすべて果たそうとしている。大きな違いは、誰もが情報発信をできる、ということ。それは今まで出会えなかった情報に触れられるという意味ではメリットだけれど、情報が玉石混淆になるという意味ではデメリットが大きいなと感じている。

ネットで問題が起こると、ネットを使うのを免許制にした方がいいとか実名制にするのがいいとか言われるけれど、それはそれでどうなの、とも思うんだよな。


情報がとにかく溢れている世の中で、どの情報を取り入れるかはどうやって選んでいったらいいんだろう。きちんと調べれば正解がわかるというわけではなくて、今は何が正しいかわからない、みたいなときに何を信じるかって、結局人とかその仲間とかを見ることになっている気がする。積み上げて来た実績と言えば聞こえはいいけど、派閥を作ったもの勝ちみたいになっているのはなんだか納得いかない。

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