砂漠渡りと長月
新巻へもん
古代の悪霊
「飛べない鳥に勇気は要るか?」
あざ笑うような声が頭の中に蘇った。その声を聞いてからというもの、忘れたくても忘れられない。頭を一振りすると四脚獣の腹を両脚で強く締め上げ、手綱を引いて歩みを止めさせる。茫漠として目印もない場所だったが、僕にはここでいいと分かっていた。僕に続いて、お客さん達の四脚獣も足を止め、両者が背中からさっと降りる。
「チーヒロ!」
跳ねるような声でお客の一人がもう一人に体ごとぶつかっていた。シンディさんという名のエルフの女性。金色の繊細な髪が月の光を浴びて煌めく。長い耳が少し垂れ下がり、端正な顔を緩ませて、黒髪の女性にしなだれかかっていた。
「どうしたの?」
体重を預けられたチヒロさんが困惑したように問う。僕は自分の乗ってきた四脚獣アイラアンの背中から必要な荷物を降ろし始めた。四脚獣は足を器用に折り曲げ、砂の上で寛いでいる。チラリとお客さんの様子を見て、先に小さな軽い木の箱を取り出し、二人の所に持っていく。
「どうぞ」
砂の上に置くとチヒロさんがニコリと笑った。
「ありがとう」
木の箱の表面には詰め物をした羅紗が貼ってある。少々すり切れてはいるが座り心地は悪くないはずだ。
砂に直接座ってもいいのだけれど、いつの間にか下着の中まで忍び込んだ砂粒に後悔することになる。早速チヒロさんが座り、その横にシンディさんが並んでもたれかかった。幸せそうに眼を閉じて、シンディさんはチヒロさんの肩に頭を預けている。
「疲れたあ」
僕は黙々と仕事を続けた。お客さんを中心にして四方に小さな杭を打つ。それぞれ定められた手順で護符を結び付けた。こんな月が冴えわたる夜は古代の悪霊が寄ってくる。亡都サーラカーンは1日の距離だ。本当はあんまり近寄りたくない。でも、僕は砂漠渡りのガイド。そしてお金が必要だったし、こうするしか無かった。
僕の住む町で砂漠の道案内を探していたチヒロさんとシンディさんに会ったのが十日前。この時期の砂漠渡りに誰もが尻込みする中で僕は報酬に釣られて案内を引き受ける。今までも物好きが秋の砂漠を通ろうとして、多くが戻って来なかった。まともにしゃべることも出来なくなった先輩ガイドが町まで戻って遺した言葉がある。
「悪霊が……。月。うう、やめろ……」
うわ言のように繰り返されたたどたどしい音の連なり。それ以来、この時期の道案内は誰もやりたがらない。そもそも、この若い女性二人を除けば、お客さんだっていなかった。
カサという音がして僕の心臓は跳ね上がる。月明かりで周囲を見回すが怪しい影はなかった。歯が鳴りそうになるのをこらえながら、二人の側に戻って火を起こし、お茶をいれ始める。失礼にならないようにしながら二人の様子を伺うと、チヒロさんは夜空を見上げていた。その肩のところではシンディさんが気持ちよさそうに寝ている。
チヒロさんはもぞもぞと体を動かすけれどもシンディさんの頭が落ちないように気遣っていた。シンディさんは鼻をチヒロさんの首筋に押し付けるようにして笑みを漏らす。なんだか僕は見てはいけないものを見てしまったような気がして、お茶をいれることに専念した。
出来上がったものをマグに注いで二人に運んで行く。
「どうぞ」
「ありがとう」
またも柔らかな笑顔でチヒロさんが言う。
「ちょっと待ってね」
チヒロさんはシンディさんの腕をそっと揺らした。
「ねえ。お茶だよ。起きて」
「ううーん」
シンディさんはぐらぐらしながらも目を覚まさない。
「しょうがないなあ」
チヒロさんは今度はシンディさんの頭に手をかけて押し上げた。
「起きろー。オキャクサンシュウテンデスヨ」
後半は良く分からない。何かのおまじないだろうか?
ようやくシンディさんは目を開けて大きく伸びをする。少し乱れた髪の毛を手櫛で整えながら、頬をぷっと膨らませた。
「せっかくいい夢見てたのに」
「アージオさんがお茶をいれてくれたからさ」
シンディさんは僕を睨むような目をする。僕は気づかないふりをしながらマグを二つともチヒロさんに渡した。エルフというのは気位が高くてあまり人間と関りをもたないと聞いている。しかも、こんなカラカラに乾いた土地は好きじゃないはずだ。チヒロさんはマグをシンディさんに渡し、自分の分に口を付ける。
ほっと白い息を空に向かって吐き出しながら、チヒロさんは目を細めて月を見た。
「いい月だね。向こうなら長月なのかな?」
「なに? そのナガツキって?」
「んー。季節の名前。夜が長くなって月が冴えわたる時期って意味かな」
「そっか」
シンディさんの顔に影が差す。
「チヒロ。やっぱり、向こうが恋しい?」
チヒロさんはにっこりと笑う。
「ぜんっぜん。というのは言い過ぎだけど、あんまり気にならないかな。天地のいずこにても人の営みは変わらない。アンディさんもそう言ってたよね」
「あの飲んだくれ神官? 適当なこと言ってるだけじゃない」
「そうかなあ。時々本質を突いたことを言う気がするけど」
チヒロさんはマグを持っていない手をシンディさんの同じく空いている手に重ねる。
「それに、シンディが側にいるしね。だから私は平気だよ」
二人の視線が交差する。シンディさんの顔がまた緩んだ。
さりげなく様子を観察していたつもりだった僕をシンディさんが呼ぶ。
「ガイドさん」
「何でしょうか?」
「さっき心の中で恐怖が大きくなっていた。何を恐れているんだ?」
「いえ、そんなことは……」
「嘘をつくな。私は精霊が見える。お前に恐怖の感情を司る闇の精霊がとりついていたぞ」
僕は亡都サーラカーンが近いので悪霊が側に来ているんじゃないかという懸念を口にした。
「ということは、ガイド代を吊り上げるための作り話じゃなかったのか?」
僕は抗議の声を上げる。
「そんな。本当の話だ」
だって、僕は……。
「そのようね」
マグを置いて二人が立ち上がり身構える。それと同時に四方の護符が弾けとんで燃え上がった。
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