調査報告・諸星邸
そして、時は元に戻る――。
三月四日 早朝
先程の黒スーツの男が、徐に口を開く。
「お疲れ様です、雨水さん。先に現地で情報を集めてました」
「ああ。ご苦労だ、カナタ。首尾はどうだ?」
「はい、歩きながらですが報告します」
頼んだ、と白コートの男である雨水が告げる。カナタと呼ばれた男は小さめの手帳を広げ、忙しく捲りながら話し始めた。
「被害者はこの先に住んでいる諸星さん一家です。昨夜襲われたようで、一階のリビングで五十代男女二人、七十代男女二人が死亡しているのを確認。
遺体は顔の判別が困難な程荒れていましたが、医療班の報告から、祖父母と両親であると断定していいでしょう」
昨夜の殺人事件。なぜ起こったのかは不明。そして異常な殺され方から見て、犯人の特定は困難だろう。雨水は毒づく。
「被害者の状況と部屋の貴重品に手が付けられていないため、怨恨の線と見て捜査を続けています」
ここまでは警察が判断した大まかな流れだ。というか、そうするしか無かったのだ。被害者に恨みを抱いていなければ、あそこまで過剰に手を加える必要は無い。怨恨の路線は間違いではないだろう。
だが捜査はいくつか大きな問題に当たる。
一つ目、被害者一家は特に恨まれるような人間性ではない点。近所の聞き込みの結果としてわかった事である。
第三者の目線での意見ではないが、話を聞く限り被害者一家に特に人間的異常性は見受けられなかった。
この時点で捜査は大きく行き詰まる。そして。
「もう一つ。敷地内の離れに生存者を発見。諸星一家の長男、諸星玄と確認できました。
発見当時は血塗れで、骨董品の日本刀を握ったまま体育座りでうわ言を繰り返す重度の錯乱状態であったそうです。駆けつけた木村が触れると発狂したかのような言動で逃げようとしました」
「何か恐ろしい物でも見たのか?」
「……」
見るからに不機嫌そうなカナタ。雨水は彼の性格を思い出し、上辺だけでも謝罪する。
「あぁ、悪い。最後まで聞かせてくれ」
「はい。捜査は当初、血塗れで獲物を所持している諸星玄が容疑者として見なされていましたが、被害者の傷と刀の形状が一致しない、刃から諸星源以外の血液反応が現れなかったため、犯人に襲われて離れに逃げた後にそこにあった刀で防衛したと推理しています。報告は以上です。ご質問はありますか?」
「生存者の詳しい情報は?」
「忘れてました。すみません。生存者は
聞いた限り、内定した会社が例の事件と関わりがあって倒産して、現在進路に困っている様子」
「ふむ……」
状況はある程度理解出来たが、不鮮明なことが多い。いや、多分カナタもそれはわかっているのだろう。自分を呼ぶということは、つまりはそういう事だ。
奴はもう、この事件を霊によるものだと確信している。奴では通らない状況も、自分ならば通るという事か。
「今朝方、警察の操作状況を確認した政府からウチに正式依頼が来ました。ハトの連中にもまだ来ていないため、独占で解決まで持ち込めます。……雨水さんのアレがあれば」
「よし。カナタ、離れに行く。薄緑を準備しておけ」
仏頂面に少し笑みを浮かべ、了解。とカナタが言った。
*
「まぁ、リビングよりはマシだな」
「そうですね」
離れは荒れていたが、血に塗れている程ではなかった。
「んじゃあやるか。カナタ、薄緑を寄越せ」
カナタが背負っていた細長い筒を渡す。遠目で見るとバットのケースにしか見えないが、中を開けると無骨な太刀が姿を現す。
――薄緑。源氏が使った伝家の宝刀。源頼光を病に侵した蜘蛛を退治したとされる刀でもある。
そしてそれは、人ならざる者を切った伝承から、霊狩りにおいて最高峰の威力を持つ武器、「御神刀」の一本として現代に残っている。今の所持者は雨水ゲンジである。
「カナタ。わかっていると思うが一応確認する。俺がこいつで残響を使う間、俺は完全に無防備になる」
「わかってます。雨水さんが固有能力で過去を一頻り見終わるまで、貴方を護ればいいんですよね。しかし、犯行の時間が合わないのでは?」
「そうだ、そして残響にはその辺の雑魚の幽霊を呼び寄せるデメリットがある。それらを蹴散らしてくれ。
そして犯行時刻を思い出せ。真昼間から犯人は活動してただろうが」
「了解です。武装許可を」
「許す。銃の使用もな」
天堂カナタは持っていた二つ目のケースから自分の愛刀を取り出す。それは柄から直剣が三つ着いている刀、「変則刀三枚刃」であった。
三枚刃は柄部分のジョイントを操作することで、三枚の刃を一枚に束ねて大剣とすることもできる武器である。雑魚狩りにはこちらの方が都合がいい。
そして、スーツの内ポケットから拳銃を取り出す。こちらは霊狩りの標準装備であり、一見普通のハンドガンだ。
セミオートとフルオートの切り替えが可能で、その弾は神社や寺で清められ、霊狩りに置いてそれなりの火力を有する。無論、雑魚狩りであれば近接戦闘の方が効果的だ。牽制程度に留めておくかとカナタは考えている。
「
雨水がそう言い、薄緑を離れに突き立てた。雨水を中心に方円状に魔法陣のような物が展開され、彼の視界の時間だけを過去へと遡らせる。雨水は完全に過去視へと没入し、周りの事柄を切り捨てる。それと同時に、カナタは手を地面に付き、低く呟いた。
「
カナタの視界に反応が浮かび上がる。挟域索敵とは、地面を這わせた力を敵を感知するレーダーとして使う技だ。霊狩りであれば誰もが使えなければならない必須級の技術であり、これがあるとないとでは生存力に大きな差が出てくる。
索敵に気づいた雑魚が数匹こちらに向かってきた。取り憑く対象が消え、成仏する事もできない哀れな化物。ならば、すぐに送ってやるのが慈悲というものだ。
天堂カナタという人間は、そういった倫理観で生きている。固有の技術を何も持たない彼が長年生きていられるのは、その倫理観のお陰でもある。
まず一発。乾いた音が離れに響き渡り、一匹が呻き声を上げて消滅していく。そしてそのまま右に向けてもう二発。着弾音と反応から致命傷ではない事を把握し、三枚刃を構えて駆け出した。
幽霊の雑な攻撃を身を躱して回避し、反撃の一撃を叩き込む。刃物で肉を切る際、筋に引っかかった抵抗が手に伝わる。
雑魚のくせに。硬さに辟易しつつも、そのまま刃に力を込め、身体を二つに切り離した。間違いなく致命傷。カナタは確信する。身体を留められず、崩れていく化物。
「害虫が……」
心の底から軽蔑した声で吐き捨てた。索敵にかかったのはあと二匹。これらを倒せば、後は銃で出現した瞬間に制圧できる。
雑魚の一匹がこちらを認識した。蚊のような化け物。しかし、先程の返り討ちを見ているのか、突撃してくる様子はない。
カナタは舌打ちし、牽制用に銃を一発撃った。敵は右に避け壁にぶつかった。
そして、銃を投げ捨てそのまま駆け出して短期決戦に持ち込む。壁沿いを走って回り込む。弾は先程、左手で敵を壁際に誘導するように撃った。
すなわち、今カナタの走る直線上にヤツはいることになる。そして、回避行動をとった後の隙が、必ず生まれる。当然、この機を逃す気はさらさらない。全ては、カナタの思い通りであった。
三枚刃を逆手に構え、踏み込み切りを放つ準備に入った。走る速度を落として身体を捻り右手を獲物に添える。
そして右足を大きく踏み込み、三枚刃を振り抜いた。一撃必殺の攻撃が敵を綺麗に一刀両断。カナタは気にもとめずにもう一匹を探る。
索敵可能時間まで残り数秒。余分な力を使わずに勝てるならそれが一番である。連続した戦闘の場合、ペース配分は死活問題であるからだ。長年の経験に裏打ちされたその判断は、どの場面、状況でも正解である可能性が高い。
だが、可能性が高いという事は、絶対では無い。
「がっ……!?」
突如首筋に走る電流のような痛み。見ると、もう一匹の持つ針のような物が自らの首に刺さっていた。肥大化した蚊のようなそいつは汚い音を立てて血を吸い上げ始める。
全身から力が抜ける脱力感。献血や血液検査の比ではない。もっと、生命ごと吸い上げるような、根源的恐怖をもたらすものだ。。
「クソっ!俺は、こいつをたかが雑魚だと思い込んでいた!この野郎、もう一匹と重なるようにしていたのか!」
カナタが銃を撃ったとき、その時点で敵は二匹いた。右に避ける所までは同じ、片方はそのまま留まり犠牲になる。そして、もう一匹は壁を抜け、カナタが一体を倒すまで隠れていたのだった。
すなわち、敵を倒した後の油断。その機を奴は逃さなかったのだ。勝敗は既に、カナタの発砲から決まっていた。
「雑魚のくせに、なぜこんな
思わぬ失態による恥辱と、薄れゆく意識の中、カナタは走馬灯を見始めていた。人間は身体の血液の三割ほどを抜かれた時点で生命の危機に陥る。
既にこのスピードで抜かれ続けていればあと何秒か後に、間違いなく天堂カナタの生命は終わりを告げる。
「ち、ちくしょう……こんなところで……」
「
不意に、目の前の雑魚が悲鳴を上げて燃え始めた。身体に戻される血液。酸素が使われてしまったのか、軽い酸欠状態に陥る。過呼吸気味になりながらもどうにか呼吸を整えると目の前に雨水が立っていた。
間違いなく怒鳴られる。誰が見てもわかる雑魚相手に失態を演じたカナタは身構えるが、雨水は別のことに驚いているようだった。
「カナタ……すぐ本部に連絡しろ……。イヤ、
「な、何を連絡するんですか」
「残響で物凄いものが視えやがった。いいか、落ち着いて聞けよ。報告する点は二つ。奴の持ってる刀が『御神刀・青江』であること。そして、奴が倒したのが、護衛の『逃亡者』だ」
その言葉が耳に入った瞬間、カナタは血を抜かれたときよりも動揺していた。真実であればこの界隈を揺るがす大事件となる。
だが雨水は昨日のこの場所で起こった『事件の過去』をその目で視ているのだ。そこには事実しかなく、例外なく正しい真実である。
拮抗していた戦局が大きく変わる。天堂カナタはそう認識した。
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