第1章 狩人たちの牧歌

はじまり

 ――あなたは幽霊の存在を信じるだろうか?


 ある人は言う。自分が見た事無いから居ない、と。


 ある人は答える。無人の部屋で物音が起きるから居る、と。


 またある人は胸を張って言う。居ないって証明できないから居る、と。


 ――じゃあ、俺は。……どっちだ?


 *


 雷が鳴り響く豪雨の中、男が一人、佇んでいる。誰かを待つように、じっと、微動だにしない。ごく稀に時計を確認している。几帳面な性格なのだろう。


 刻限が少し過ぎているのか、一度時計を確認した後、顔を戻す。直ぐに見る間隔が短くなる。それに比例するかのように、脚や指を苛々した様子で叩き始めた。男は、風雨に晒されながら待つばかりである。


 数刻の後、黒スーツに白コートを羽織った男が近寄る。お互いにある程度の距離を保ち、胸の銀色に鈍く輝くペンダントを掲げた。


 確認が済んだのであろうか。二人は一触即発の雰囲気を消し去り、重たい脚取りで件の家に向かう。まるで、戦場に赴く兵士のように。


 時は、一日前に遡る。


 *


 三月三日 正午 某県一葉市 十塚高校


 ここ十塚高校では、第百三回目の卒業式が開かれていた。高校生活が終わり、大学へ進む者、働きに出る者。皆一様にそれぞれの道へと歩き出す。体育館前に美しく舞う桜は、彼、彼女らの門出を祝福するかのように踊っている。


 式典も終わり、写真撮影やOBOGとの歓談も一頻り済んだ、静かな校舎の進路指導室に二人の男がいる。一人はスーツを身に纏い、席に座ってタバコを吹かす教員。もう一人は証書が入った筒を持ち、制服の胸ポケットに花を付けた卒業生。名を、諸星弦もろぼしげんといった。


「まさか……弦。お前だけとはな」


 タバコの煙をゆらめかせながら、教員が呟く。その声には驚きと謝罪、そして怒りが少々含まれている。


「いやまぁ、しょうがないですよ。誰も予想できませんって」


 諸星玄は気にするなと言わんばかりに、慌てて教師に告げる。一体彼に何があったのか。


 ここ十塚高校では、卒業した者は大学へ進学するか、就職する。基本的にほぼ全ての生徒は自分の道を決めるのだが、


 言わば、諸星玄は今期の生徒唯一の例外なのだ。十塚高校では三年時に就職組と進学組に分かれ、それぞれ進路を決定していく。


 諸星玄は就職組に進級し、就職活動を行っていた。彼自身の内定は早く済み、完全に安心しきっていたが、年明けすぐに内定していた会社の不祥事が発覚。


 倒産となり、諸星は内定取り消しとなった。その後、東奔西走するが時すでに遅し。結果として十塚高校卒業者唯一の進路未定者となったのだった。


「お前は、これからどうするんだ?」


「さぁ、とりあえずはフリーターでもやって、就活始まるまで様子見ですかね」


「何かあったら言えよ。できる限り手助けしてやるからな」


 先の展望はない。それは教師も諸星も十分に理解している。今の彼にとって慰めでしかなかったが、教師は言わずにいられなかった。何も悪くない生徒が汚い大人のせいで未来を潰されたのだから。


 この教師は正義感が強い男だった。強い憤りを感じ、それに何もできない自分がより許せなかったのだ。男の慰めは心からの言葉である。そして、察しのいい諸星は丁寧に教師に礼を述べ、進路指導室を後にした。

 教師の頑張れよ、という激励が空っぽの心に突き刺さった。


 昇降口で靴を履き替え、使い続けた上履きを持ってきた袋に仕舞う。何となく、諸星は下駄箱のロッカーをもう一度開けた。当然、中には何も無い。


 三年間、幾度となく繰り返したこの作業が、もう終わりだと思いたくなかったからか。理由は諸星にもわからない。無意識の行為なのかもしれない。


 だがもう既に、全て終わったことだ。


 諸星弦の自転車は、駐輪場にただ一つ残されている。静かな駐輪場に、春の日差しが差し込み、薫風が桜の花弁を巻き上げる。


 自分の心とは裏腹に、この美しい幻想的な景色を諸星は見とれていた。これからいくらでも時間はある。何をしようか。少し旅にでも出ようか。景色は少しだけ彼を現実から連れ去ってくれた。


 太陽が雲の影に隠れたところで、我に返る。そのまま愛用のクロスバイクに跨り、漕ぎ出した。もう六年も使っているものだ。あまり裕福でなかった両親が買ってくれた大切なもので、自分の相棒そのものでもある。


 オンボロであるが、パーツを取り替え、騙し騙し使い続けてきた。既に新しい自転車が二台ほど購入できるほど、修理とパーツ交換に金額を費やしている。少しでも長く使うために、手入れは欠かさない。


 自転車をスムーズに漕いで、加速していく。高校前の坂を下っていく。ここから自分の家まで約十五分。トップスピードを維持することができたら、十二分には短縮できる。信号は青。指をかけていたブレーキから手を離し、ハンドルを強く握って漕ぎ勧めた。


 宗教団体の建物の前を目にも止まらぬスピードで通り過ぎ、次の公園を曲がる。いつもの帰り道もこれで最後だと思うと感慨深いものがあった。


 曲がった先の露天商を通り抜けたら、後は直線。時計を確認し、心で小さくガッツポーズをとる。最後の最後に、十分を切れるかもしれない。漕ぐ足に自然と力が篭った。


 しかし、近づくにつれ諸星は何か違和感を感じる。何かはわからない。だが胸騒ぎがした。例えるなら、黒猫やカラスを見た後に感じる、あれだ。


「……何だ?」


 嫌な気分になりながら、家に着く。風はいつの間にか生暖かく、空は曇りがかっていた。霧も発生している。状況を一言で表すなら、曇天。諸星は家の脇に自転車を停め、鍵もかけずに家の扉を開けた。


「ただいま――うっ」


 鍵はかかっていない。諸星家は鍵を開けっ放しにする決まりはない。より不安になりながらも、家の中に入った。


「うっ……おぉぉぇえええッ!!」


 すぐに感じた、鉄臭さ。身体が魂から拒絶反応を起こし、胃の中身が逆流を始める。辛抱堪らず、玄関で吐いた。家族の靴に吐瀉物が覆いかぶさり、異臭を発する。諸星はそれに構わず、土足のまま、家の中に入った。


 何歩か進んで、無意識に、金属製の靴べらを持っていることに気づく。家の鍵が空いてる事から、何かしらが家の中で起こっていて、はこの家のどこかにいる。


 直感的に悟った諸星は、靴べらに入れる力を込めた。相手は多方強盗だろう。凶器をもっているかもしれない。だが、このまま進まずにはいられなかった。そして、リビングへと突入する。


 ――中に居たのが、

 まず目に入ったのは、大量の血痕。四方の壁一面に血のペンキが走り、惨たらしさを鮮明に表している。

 そして、リビングに横たわる三つの人影。髪型と服装から、両親と祖母である事がわかる。しかし手足があらぬ方向に曲がり、欠損していることから、もう動くことは無いことを突きつけられた。


「あ、ぁあぁああ」


 力なく声が漏れ、何かが蠢いた。祖父かと思ったが、違う。祖父ならこの状況でからだ。


「なンだぁ、おまエは?」


 歪な、不慣れな言語。返り血で真っ赤に染まったそれは人ならざる者であると諸星へ鮮明に告げる。完全に止まりかかった頭を辛うじて回し、諸星は叫んだ。


「うぁぁぁぁあぁああぁ!!!」


「……アぁ。いキのコリがいタか」


 雄叫びを上げて靴べらを振り抜く諸星の攻撃を躱し、それは靴べらを叩き折った。行き場を失った力を制御できず、そのまま流れるように血の海に倒れ込む諸星。


 顔、学生服にべっとりとこびり付く鮮血。そして、叩き折られた靴べらを見て、瞬時に敵わない相手であることを悟る。後退りし、この化物から逃げる事を選択する。


「あ、あぁ……」


「ナぁ、人間。まサか俺かラ逃げられるト思ッているノか。ヨりにヨっテこのかラ!」


 逃げる諸星の姿に、なぜか激怒し追ってくる化物。恥も外聞もなく、喚きながら家から逃げ出す。血に塗れ、吐瀉物を踏み抜き、扉を開けて締め出した。片手で抑えながら、鍵をかける。


 これで少しは時間が稼げるはずだ。少し走って、物置が目に入る。普通なら、ここで物置に入る選択はしない。だが、彼は、ある事を思い出して物置へと走り出した。駆け出した刹那、化物が壁をすり抜ける姿が見えた。だがそれに構わず、物置へと走る。


「そコか!!」


 化物が後ろを追う感覚を肌に感じながら、諸星は物置へとたどり着く。鍵が掛かっていたが、何年も使われておらず老朽化していたので蹴破ることができた。

 立てこもる事はできなくなるが、壁や扉をすり抜けることができるなら鍵は意味を成さない。


 そして、奥に進み、祖父が大事にしていた刀を手に取った。これが目的の物だ。


 祖父が大事にしていたのならば、自分を護ってくれるはず。一縷の望みに賭けて、刀を引き抜いた。だが、抜けない。引っかかっているのか、錆びているのかはわからないが、抜けないという事実だけがそこに残る。そして、それは自分の死を意味していた。


「そレは! ツいニみツけたぞ! ソれが俺の目標! 小僧、死ンでもラウ!」


 後ろから聞こえる化物の声。無我夢中で刀に力を込める。だが刀は微動だにしない。身体が震えるが、最後に残った一欠片の蛮勇に火をつけ、爆発させた。


「何で抜けないんだよ! クソッ! いいから俺を、護りやがれぇえぇぇ!!」


 渾身の力で叫び、刀を引き抜いた。今までの固さが嘘のようにするりと抜け、青白い刀身が顕になる。そして、辺りは眩い光に包まれ、意識を失いそうになる。


 ――仰せのままに。


 刀が、そう言った気がした。


 光は更に強まり、諸星玄は目を閉じた。心地よい安堵感が、確かに彼の胸の中にあったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る