狩人たちの凱歌 終わる世界

「ハアっ……これで……終わりか」


 肩で息をする雨水。水鏡による血液消費。根源解放による体力消費。どちらも限界をとうに越してる。


 下に転がる、部下だったものの亡骸。乗っ取られた時点で、アキラの人格は消されてしまったのだろう。命が尽きるその瞬間まで、アキラが戻ってくることは無かった。


 仲間を、後輩を、部下を失い、ついに一人残ってしまった。このまま霊狩りを続けても、かつての栄光を取り戻すことはできない。


 それがわかっているからこそ、雨水ゲンジは自分を許せなかった。本来守るべき立場であった者が、醜く、無様に生き残っている。


「クソみてぇな気分だ」


 煙草に火をつけた。紫煙が肺いっぱいに入り込み、昂った身体を落ち着かせる。ニコチンの味が、全身に染み渡る。


「なぁ……アキラ。お前の最期はどうだった?」


 血溜まりに倒れ込む部下に、優しく雨水は声をかける。返答は無い。


 膝を着く雨水。白装束が血で染まり、紅白のコントラストが浮かび上がる。そのまま、優しく、高坂に触れた。


 その時――。


「お疲れ様です、雨水さん。首尾は?」


「……来るのが遅せぇよ。ロベルト」


 ロベルト率いる連合の構成員たちが現れたのである。

 雨水は、昨日の調査結果を報告してから、協会連合に助力を願った。高坂アキラを乗っ取った復讐者が犯人であり、木村邸に追い込むこと。自分が死んだら、高坂の処理を任せること。そしてこの件は、全て協会連合の手柄として良いこと。

 条件を突きつけられたロベルトは、今頃、喜び勇んで現れたのだ。


「いえいえ、この人数を揃えるのに手間取ってしまいまして」


「よく言うぜ、クソ狸がよ。

 ……多方、上から俺も殺せと言われてんだろ」


 告げた一瞬、ロベルトの顔が驚きに染まるが、すぐに笑顔に戻った。貼り付けたような顔持ちである。


「そこまでお気づきでしたか。御神刀と固有能力、非常に強力な力を持つ貴方が敵対したまま生きていると、連合にとって不利益でしょう?」


「今更命乞いでもしたら、お優しい連合サマは許してくれるのか?」


「その力を失うのは連合としては惜しいので、生かしておくとは思いますが、一生飼い殺しですよ? 我慢できないでしょう、貴方が」


「よくわかってるじゃねぇか。ロベルト」


 ニヤリと笑う雨水。血濡れのまま、刀を構える。既に限界、戦闘の余力は残っていない。だが、このままタダで死ぬ事は、銀蛇のプライドとして許せない。

 敵に絡みつき、邪魔をするのが蛇の本懐。ならば、この命尽きるまで、足掻くだけだ。


「これでも私、貴方とは共闘してますからね」


 手を構え、装備を展開するロベルト。身軽な格好と、携えた刀から察するに、兵装魔術・達人(ブレイドマスター)だろう。


「その勘違いニッポンみてぇな格好、昔から嫌いだったよ」


「私も、貴方の見透かしたような眼が昔から嫌いでしたよ」


 重なる声。一瞬の静寂。二人の顔は、妖しい笑み。野性味を剥き出しにしたようで、瞳孔が開ききっている。


 絶叫が轟き、二人がすれ違う。振り上げられた刀、揺らめく刀身、すなわち残心。


「ぐうっ!」


 間を置き、苦悶する声が発される。刀が力なく床に落ち、片手で腕の根元を抑える雨水。


 今、彼の右腕は、肘上から綺麗に無くなっていた。止まることなく鮮血が吹き出し続けている。


 先の戦闘での疲労と血液消費量は間違いなく、雨水ゲンジの命がごく僅かであることを如実に現していた。


「私の兵装魔術の最大の長所は、相性の不利不向きが無いことにあります。速攻筋力勝負に出た貴方の選択肢は間違いではありませんが、遅い」


「聞いてもねぇことも……ペラペラと」


「いつの日かの授業のお返しですよ。……最期に何か、言い残すことはありますか?」


 刀の切っ先を向けるロベルト。見逃す気は、どうやら本当に無いらしい。そもそも立てるような状態ではない。雨水はロベルトを見据え、一言。


「青葉は、任せる」


 と、告げた。ロベルトは深く頷き、刃を構えた。振り上げられ、振り下ろされる。スローモーションの刃の軌跡を追いながら、雨水は高坂の事を考えていた。


 ……アキラだけでも、視とけばよかった。


 スローモーションの刃が、自分の首筋に当たり、そのまま雨水の意識は途切れた。


 まるで、全ての時が止まったかのように。



 *



「……ここは?」


 雨水が目を覚ますと、辺り一面真っ白な世界。視界の先まで見え続ける地平線。


 少し歩いてみたが、景色は何も変わらない。全てが無。虚構の中で現される、死後の世界そのものであった。


「死んだのか、俺は」


 死を自覚すると、溢れ出る記憶。生前の、許し難い大罪の追憶。雨水はその場に座り込み、考えるのを止めた。


「やぁ、ゲンジくん」


 不意に、誰かに呼び止められる。思わず後ろを振り返った雨水は息を飲んだ。


「お前は……薄緑……?」


「そう、久しぶり。よく覚えてたね」


 こちらに微笑む女。ひらひらと手を振り、雨水の方へ向かってくる。


「何で俺はここに飛ばされてる?」


 雨水は端的に、疑問を投げかけた。


「君が死ぬ直前に、私の力で君の精神に干渉した。はっきりいって、スローモーションをさらに遅くした状態だ」


「……やっぱり死ぬのか、俺は」


「こればかりは変えられないな」


「そうか……」


 答え、俯く雨水。そのどこか物寂しい様子に見かねた薄緑は、取り繕うように声をかける。


「だけど、まだ諦めちゃいけない。私の奥義を使おう」


「奥義? 何だよそれ?」


 奥義。薄緑を長く愛用してきた雨水にも、初めて聞く言葉であった。


「私の力は、過去視や探知だけど、どれも時間に干渉することができる。このスローモーションもその応用だね」


「それが?」


「だから、君自身を媒介にして、奥義を発動させる。その名は、輪廻再生りんねさいせい


 首を傾げる雨水を見ながら、薄緑はさらに説明を続ける。


「残響のような、自分の周辺の映像の巻き戻しじゃなくて、世界そのものの巻き戻しなんだよ」


「もう一度やり直すのか? このクソみたいな世界を?」


「そう、だから輪廻再生。同じ結末になるかもしれないし、もしかしたら何か変わるかもしれない。君自身を生贄にするから、この記憶は引き継げないけど、やってみるかい?」


 輪廻再生。そのような技があると想っていなかった、寝耳に水のような気持ちで雨水は話を聞いていた。


「あの地獄をもう一度か……」


「やらないの?」


「非常に魅力的だ。だが、やり直すことに、意味を見出せない」


 独りでに零れ落ちる言葉。止まらない。


「俺は疲れた。一人無様に生き残って、この結果だ」


 手で目元を隠しながら、一言一言呟くように言う雨水。悔恨と恐怖、彼にしかわからない葛藤が、そこにあるのだ。


「お前達は栄華を極めたか?」


「は?」

 耳慣れない言葉に、思わず聞き返す雨水。


「違うよね。全てをかけた後に、こんな仕打ちが待ってるとは思わないからね」


 雨水ゲンジの反応は無い。


「立てよ。まだ意思があるなら、私を手に取れよ」


 動かない。雨水ゲンジは顔を下に向けたままだ。


「……できればこういったやり方は使いたくは無かったんだが」


 雨水の身体が勝手に動き出す。薄緑は身をかがめ、傍らに落ちていた刀を拾い上げる動作をした。当然、雨水の手の中には件の刀がある。


 抵抗しようと思えば、抵抗できた力だった。しかし、そうしなかったのは――


「君はここまでやらなきゃ、動けないだろ?」


「……全てお見通しってワケか」


 顔を上げる。衣擦れの音に反応するかのように、薄緑は笑顔になった。


「いい顔だ。ご褒美にいい事を教えてあげよう。まだ、高坂アキラの霊技は、死んでないよ。そして、いい腕もあげる」


 雨水ゲンジは立ち上がる。残された左腕に、薄緑が収まっている。


「頑張って。また会う時は、この記憶は無いだろうけど、応援してるよ」


「あぁ……。何から何まで、すまない」


「情けない相棒を励ましただけだよ」


「その通りだ。迷惑をかけた」


 素直に応じる雨水。薄緑は別れ際に、笑顔を見せて、消えていった。同時に、白かった世界が急速に暗闇を取り戻していく。


 *


 むせ返るような、鉄の香り。自分と、高坂の血の匂いが充満している。


 協会連合は、自分の方には目もくれず、現場を漁っているようだ。木村家の要望により、現在までまともに捜査をできていなかったのだろう。


 少しでも上に報告するための現場の情報が欲しいはずだ。


 その好奇を逃すわけにはいかない。雨水は右腕に力を込め、高坂の腕を掴んだ。


「ん? 何か物音がしなかっ――」


 言い終わる前に、落ちる連合員の首。殺気に気づき、振り返るロベルト。総大将の奴を倒せば、雨水の勝ちである。一目散に向かい、剣戟を交わす。一度、二度、三度。その火花の音で、ようやく他の連合員も気づいたのだ。


 雨水ゲンジが、蘇っていることに。


「総員武器展開! 銃の使用も許可する! 雨水ゲンジを、ここで完全に仕留めるッ!」


「遅せぇ! 御神霊技・時限結界じげんけっかい!」


 ロベルトが言い終わると同時に、雨水が高坂の力を使って霊技を発動する。

 御神刀のもつ霊技と、高坂の腕に遺された技の痕跡を共鳴させ、他者の霊技を発動させたのだ。


 その名は時限結界。部屋の中に存在する自分以外の生命体の情報認識能力を著しく低下させる技だ。


 すなわち、連合員には雨水ゲンジの動きが高速に見えているのである。


 刀を振り回す雨水に為す術なく、首を落とされる連合員達。死線を潜らずに書類仕事ばかりやって来た雑魚共とは、経験の差がまるで違う。


「その腕は……!?」


 ロベルトが驚く。無理もない。切断したはずの右腕が、「在る」のだ。青白く、朧げで細い細い腕だが、確かに存在している。


 その腕は、別の生き物のように、ロベルトの部下たちを葬っていく。


「魔術兵装・守護者(ガーディアン)!」


 仲間の元へ盾を飛ばす。防がれた攻撃によって、一瞬の隙が産まれた。


「逃げろ! 増援を呼んでこい!」


 部下へと指示するために伸ばした右手を、雨水は容赦なく切り払った。ごとりと硬質な物体が落下する音。続いて鮮血の雨。苦悶の唸り声。


「クソっ! なんで生きてるんだ!?」


 これでロベルトの兵装魔術は封じた。印が結べない以上、発動条件を満たすことはない。


「突入せよ! 支部長を救出するのだ!」


 玄関口から聞こえる、ロベルトの部下の声。その声に雨水はニタリと笑い、蹂躙を開始する。


 弾を躱され、為す術なく落とされる首。重力に従い、崩れ落ちる骸。木村家は辺り一面が文字通り血の海となり、地獄絵図と化した。


 大量の連合兵を狩り尽くし、少し佇む雨水。その隙をロベルトは見逃さなかった。


「盗った……ぞ。お前の生命」


 背中から心臓までの一突き。先程の高坂への一撃と同じ形式である。


 だが雨水は、もう心臓など必要としていない。彼は、脳に残された力を使って戦闘している。そのやり方を知っているものは、雨水しか存在しない。


 首を反対に回し、片手で突き刺さった剣を掴む。そのまま、驚愕した顔持ちのロベルトの首目掛けて、雨水は刀を払った。


 弧を描きながら、斜め方向に落ちていく生首。先程の驚愕な顔が張り付いた死に顔は、雨水の溜飲を少し下げた。


 司令部を失い、崩れ落ちる骸。頸動脈がある箇所を切り払ったため、夥しい鮮血が辺り一面に撒き散らされる。


 倒れる方向に、赤い水溜まりを形成していく。


 雨水の白装束は、既に赤染めに変わっていた。彼はそのまま臆することなく部屋の中心に赴く。今、彼の脳や自由意志はそこになく、ただ右腕に促されるままに動いている。


 だが、彼の自我は消えてはいない。あくまでも薄緑は、選択権を遺しているのだ。このまま死ぬか。世界のリセットか。


 殆ど脅迫のようなものだが、自己責任を求めるアイツらしい配慮であった。


 雨水は部屋の中央で正座し、左手で赤い白装束の襟を開く。右手には、薄緑が握られていた。後は、任せるだけでいい。


 しかし、少し待てど右腕は動かない。何かを待っている。


「……言った方がいいのか?」


 一つ彼は深呼吸する。覚悟を決めるように、過去の自分に、申し訳なく思うように、口を開いた。


奥義おうぎ輪廻再生りんねさいせい


 右腕は満足そうに、薄緑を雨水の腹に突き刺した。


 意識は完璧に闇の中へ。起きる時は、どうなっているのだろうか。


 そもそも、自分はどこへ行くのか。そんな事を考えているうちに、闇の中の意識も失った。


 それは穏やかであるが、嘘偽りない消滅であった。

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