第5話

 翌日。


「おはようございます。リリム様」


「あぁ。おはよう。朝から元気だな。よく眠れたか?」


「はい!ベッドがふかふかでびっくりしました!村にいた頃はずっと床で寝ていたので」


「……そうか。何か欲しいものがあったら遠慮なく言えよ。あ、書斎の本は好きに借りていいからな。その代わり、ちゃんと戻せよ」


「はい!」


 リリムはそう言ったが、書斎の本はほとんどアリスが見たこともない言語で書かれており、タイトルすらわからないものばかりで、アリスが読めるような本はなかった。

 アリスはすぐにリリムにそのことを相談する。


「あー……今は使われてない言語ばかりだからな。暇だし、教えてやるよ」


「よろしいのですか?」


「構わんよ。どうせ暇だからな」


「リリム様、現代の言語は読み書きできるのですか?」


「出来るよ」


「残念です。教え合いっこ出来ると思ったのに」


「ははは。残念だったな」


「むぅ。リリム様には貰ってばかりです。私も何か恩返しがしたいです」


「……いいよ。何も要らない。血を飲ませてくれるだけで充分だ」


「なら、今すぐにでもどうぞ」


「いや、良い。お前の血は寝かせたほうが美味いから」


「むぅ……」


 その日からアリスはリリムから文字を教わり、一年たった頃にようやく一部の本のタイトルの意味を理解できるようになった。というのも、書斎にはさまざまな国の本が置いてあるため、一つの国の言語を覚えても全ての本を読めるわけではなかった。


「外国の古代語の本まであるなんて……リリム様、これ全部理解出来てるんですか?」


「あぁ」


「は、博識ですね……」


「そりゃ、千年以上生きてるからな」


「そんなに!?」


「……あぁ。暇すぎて書斎の本は全部読み尽くしたよ」


「気になったのですが、リリム様のお身体は成長しないのですか?」


 リリムの姿はアリスが幼少期に出会った姿と一切変わっていない。


「身体は吸血鬼になった十五歳の頃のままで止まってる。吸血鬼になると成長しなくなるんだ。だから、髪もこれ以上伸びない。まぁ、魔法を使えば伸ばせないことは無いんだけど」


「えっ。生まれた時から吸血鬼だったわけじゃ無いのですか」


「……あぁ。十五歳までは普通の人間だったよ。お前と同じ」


「どうやって吸血鬼になったのですか?」


「……さぁ。どうだったかな。もう千年以上前のことだから忘れたよ」


 そう言って、リリムはアリスから目を逸らす。話したくないのだなとアリスは察した。


「ごめんなさい……嫌なことを聞いてしまったでしょうか」


「……いや。別に」


「……」


「……どうやって吸血鬼が生まれるか知りたいなら、自力で調べるといい。この部屋の本の中にはそういう本もあるから」


「あの、リリム様が元々人間だったということは、人間から吸血鬼になる方法があるということですよね」


「そうなるな」


「もしかして私も吸血鬼になれ——「やめとけ。吸血鬼になんてならない方が良い。お前が吸血鬼になろうとするなら、あたしはお前が人間であるうちに殺す」


 そう言ってリリムはどこからか剣を取り出してアリスの喉元に切先を突き付けた。言葉を失うほどの殺意を向けられ、アリスは思わず唾を飲み、両手を上げる。


「に、人間は……いつか死んでしまうじゃないですか……」


「……あぁ。それが生物として正しい在り方だよ」


「で、でも、死んでしまったら、貴女とはもう会えなくなってしまう」


「分かるよ。だからあたしと同じ存在になりたいと言うのだろう」


「……はい」


 リリムはため息を吐き、剣をその辺に捨てる。床に転がった剣は光の粒となり消える。


「……あたしは人間として生きて人間として死ねるお前が羨ましくて妬ましいよ。殺してやりたいくらいにな」


 その静かな声色から伝わる激しい怒りと殺気に気圧され、アリスは何も言えなくなる。


「……いいかアリス。一度吸血鬼になった人間は二度と人間には戻れないんだ。終わりのない人生は地獄だよ。だからお前は人間のまま生きて、人間のまま死になさい。いいね?」


「……」


「返事は?」


「……はい」


「……うん。良い子だ。脅して悪かったな」


 リリムはそう言ってアリスの頭を撫でた。そこにはもう殺意は無く、いつもの優しい彼女だった。だけど、今にも泣きそうな顔をしていた。アリスが初めて見る表情だった。そんな顔をするリリムに、アリスはかける言葉が見当たらず、代わりに彼女を抱きしめる。リリムは一瞬戸惑ったが、素直に彼女に甘えるように背中に腕を回した。


「……愛しています。リリム様」


「……馬鹿だなお前は。あたしは人の血を啜る醜い化け物だよ」


 リリムはアリスの肩に頭を埋めて静かに呟く。「人であるうちにお前に出会えていたら、今の言葉を素直に喜べていたのにな」と。アリスはその呟きを聞いて思わず涙をこぼす。


「お前が泣くのかよ」


「だって……」


「……お前のせいであたしも泣けてきたじゃないか」


「じゃあやっぱり、リリム様は化け物ではないのですよ」


「……化け物だったら泣かないだろって?」


「はい……涙が出るのは、人の心があるからではないでしょうか」


「……本当に馬鹿だな。お前。こんなのただの生理現象だよ。人の心なんてとっくに無くした」


 そう言ってリリムは、アリスの肩に頭を埋めて静かに泣いた。アリスは彼女が泣き止むまで抱きしめ続けた。やがてリリムは泣き疲れたのか、アリスに抱きついたまま眠ってしまった。


「よいしょ……」


 アリスは彼女を運ぶために抱き上げる。15歳の身体とは思えない軽さに驚きつつ、寝室まで運ぶ。その寝顔は、とても千年以上生きていると思えないほどあどけない。


「……リリム様。私は貴女と永遠を生きたいです。そう思うのは……いけないことですか?」


 吸血鬼とは違い、人には寿命がある。アリスもいつかはリリムと死別する日が来る。そうなる前に彼女と同じ存在になれるならなりたい。アリスはそう思っていた。しかしリリムはそれを望まないと知った。


『お前は人間のまま生きて、人間のまま死になさい』


 泣きそうな顔でそう言った彼女は、何故吸血鬼になったのだろうか。アリスはリリムの寝顔を見ながら疑問を口にする。リリムはその疑問を聞いていたが、答えることはなかった。

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