第8話

 それから三年後。アリスの二十歳の誕生日がやってきた。


「アリス。お前にこれをやろう」


 誕生日プレゼントだと言ってリリムがアリスに渡したのは、鍵だった。


「鍵……?」


「あたしの部屋の引き出しの鍵。後で開けてみろ。中にプレゼントを入れておいた」


「……プレゼントですか」


「きっと気にいると思うよ」


「……」


「んな顔すんなよ。ほら」


 リリムはアリスにナイフを手渡す。


「まずはそのナイフを自分の血で染めろ」


「……はい」


 アリスは手渡されたナイフの切先を自身の腹に向けた。しかし、手は震え、床に落としてしまう。


「……怖いなら、あたしが刺そうか」


 そう言ってリリムが魔法でそれを宙に浮かせると、アリスは怯えるように一方下がった。それを見てリリムはため息を吐き、ナイフを下ろす。


「ご、ごめんなさい……リリム様……」


「……良いよ。普通はそうなる。大丈夫。当初の予定通り吸血させてもらうよ」


 そう言ってリリムはアリスと距離を詰めてアリスに抱きついた。


「リ、リリム様!」


「……どうした?今更やめるとは言わせんぞ」


「いえ……ですが、少し待ってもらえませんか。お別れの前に、最期に一つ、お願いしたいことがあるのです」


「……ん。良いよ。吸血鬼になりたい以外の願いなら聞いてやる」


 リリムはアリスを離して一歩下がる。


「その……あの……」


 言いづらそうにもじもじするアリス。リリムが首を傾げると、アリスは消え入りそうな声で「キスをしてほしいです」と呟いた。


「さ、最期に……その……思い出として……あぁでも……ごめんなさい……やりづらくなりますね……」


「……キスだけで良いのか?」


「……えっ」


「……最期だから。良いよ。アリスがしたいところまで」


「したいところまで……って……そ、そもそも、女性同士の行為に……その先があるのでしょうか」


「男女のそれとさほど変わりはないよ」


「えっ?ま、まさか、えっちする時だけ生えるんですか?」


「生えねぇよ。……まぁ、説明するより実際にした方が早いか。おいで」


 そう言うとリリムは、アリスの手を取る。景色は一瞬にしてリリムの部屋に変わり、リリムはアリスをベッドにそっと寝かせて上に乗った。


「あ、あの……リリム様……そこまでは……その……」


「しなくていい?」


「……」


「……ごめん。正直、したいのはあたしの方かも」


「えっ……」


「……未練がましくなりそうだからやめておこうと思ったが、お前がキスしたいなんて言うから」


「う……ご、ごめんなさい……」


「……構わない。それで……触れても良いか?」


「……元々私は、貴女の生贄です。好きにお使いください」


「……そうくるか。ずるい奴め」


 リリムが顔を近づけて唇を重ねようとすると、アリスは顔を逸らす。


「好きにして良いって言ったくせに拒むのかよ」


「ご、ごめんなさい……やっぱり恥ずかしいです……」


「……全く。そっちから誘ったくせに」


 リリムは呆れるようにため息を吐いて、服を脱ぎ捨てた。アリスが思わずリリムの方を見てしまうと、リリムはふっと笑ってアリスの唇を奪う。


「んっ……リリム様……」


「……身体、触るから。良いな?」


「……はい」


「ん。ありがとう。触るね」


「は、はい……ふぇぇっ……」


 リリムがアリスの耳に口付けると、アリスは情けない声を漏らした。くすくす笑いながら、リリムはアリスの身体に手を滑らせる。服のボタンを外して素肌に触れると、アリスは震える手でリリムの腕を掴んだ。


「んな緊張すんな。力抜け」


「む、無理、無理です……ドキドキしすぎて……死んでしまいそうです……」


「死なれたら困る。生きろ」


「は、はいぃ……」


「……もー。しょうがないな。ほら、おいで」


 リリムは一度手を止めて、アリスを抱き起こす。そして向きを変えて後ろから抱きしめる形で肌に手を滑らせた。


「リ、リリム様……んっ……あの……これ……」


「どうした?さっきの体勢の方が良いか?」


「い、いえ……抱きしめられている方が安心します……でも……あの……後ろからだと……顔……見えないので……」


「顔見えない方が緊張しないと思ったんだが」


「見えない方が……落ち着かないです……」


「そうか。ならこっち向け」


 再び向きを変えさせて、向き合う形にさせる。目が合うとアリスは顔を隠した。


「やっぱ緊張するんじゃん」


「す、すみません……」


「顔隠したままじゃキス出来ないよ。アリス」


「わ、分かってます……」


 恐る恐る、アリスは目を瞑ったまま手を退かす。気配が近づき、吐息がかかり、思わず顔を背けてよける。するとリリムは強引にアリスの頭を正面に戻し、引き寄せて唇を重ねた。


「んっ……」


「……力抜いて」


「は、はい……んっ……」


「リラックス」


「は、はい……ん……はぁ……」


 何度も唇を重ねるうちに、アリスの身体から少しずつ力が抜けていく。


「そう。ちょっと緊張解れてきたみたいだな」


「は、はい……っ……あっ……」


 自然と開いた唇の隙間から、リリムは舌を入れる。アリスは一緒驚いたように跳ねたが、恐る恐る舌で応える。


「……牙、気をつけろよ」


「ひゃ、ひゃい……ん……ふ……」


 リリムに触れられながら、アリスは思う。彼女はやはりこういう経験が豊富なのだろうかと。


「……はぁ……アリス、余計なこと考えてるだろ」


「は、はい……すみません……」


「集中」


「は、はい……っ……」


 リリムはアリスを気遣いながら、優しく愛撫する。アリスは恥ずかしそうに彼女の頭を抱えて声を抑える。その意地らしい姿が余計にリリムの情欲を掻き立てた。


「……アリス」


「は、はい……あっ……!そこは……」


「……大丈夫。力抜け」


「は、はい……あっ……」


「……大丈夫だからな」


(リリム様の指が……私の中に……)


「……痛くない?大丈夫?」


「平気……です……」


 アリスはリリムにしがみついて、控えめに声を漏らす。リリムはその意地らしい姿を愛おしく感じ、アリスの頭を優しく撫でながらの指を動かす。


「あっ……リリムさま……」


「ん。痛かったら遠慮なく言えよ」


「い、痛くはないです……でもなんか……変な感じです……んっ……ふぁ……リリムさま……」


「そうか。気持ちいいか」


「……わかんないです……けど……とても幸せです……」


「……そうか。幸せか」


「はい……リリムさまは……?」


「……あたしも幸せだよ。アリス」


「っ……リリムさま……好きです……愛してます……」


「……うん」


 リリムは肩がじんわりと暖かくなるのを感じた。それに気づかないふりをして、彼女の顔を見ないように頭を抱いて優しく攻める。普段なら湧き上がるはずの吸血欲は一切湧かなかった。リリムの中の吸血鬼の本能が、この人間の血は危険だと理解しているからだ。


「あっ!リリムさま……!待って……そこ……触られると……なんかへん……です……!」


「ん。ここか?」


「んっ……なんで……!」


「気持ちいいってことだろ?」


「わ、わかんな……んっ……やだぁ……!変になっちゃ……」


「大丈夫。そのまま快楽に身を委ねて」


 優しく囁きながら、リリムは一点を優しく攻め続ける。アリスは思わず彼女の背中に爪を立ててしまう。


「っ……ごめんなさ——「いちいち謝るな」


 リリムは彼女を押し倒し、言葉を奪う。涙を流しながら、彼女を激しく求めた。


「っ……アリス……可愛い……」


「ぁ……っ……リリム……さま……っ……!」


 やがてアリスは、生まれて初めて絶頂に達した。


(頭……ふわふわする……)


「……大丈夫?」


「……はい」


「おいで」


 ボーっとするアリスを抱きしめながら、リリムは一瞬、この時間が一生続けば良いのにと思った。彼女を吸血鬼にしてしまえばそれは叶うよともう一人の自分が囁く。しかしリリムはその声を打ち払い「ごめん。もう吸うね」とアリスに一言断ってから彼女の首筋に牙を立てた。


「あっ……!」


 快楽は一瞬にして鋭い痛みに上書きされる。そして、首筋から血を抜かれる感覚に変わる。

 アリスの首筋から流れ出る血がアリスの身体を、ベッドの白いシーツをじわじわと赤く染めていく。


「リリム……さま……何で……今……!」


「悪いな。これ以上待ってたら……出来なくなりそうだから……んっ……」


「……はぁ……んっ……リリム様……」


 吸血鬼の牙からは催淫作用のある毒が分泌され、通常なら痛みは快楽に変わる。しかし神子である彼女には効果は無く、アリスはリリムの背中に腕を回してただただ痛みに耐えた。


「っ……けほっ……はっ……んっ……」


「っ……うっ……」


「はぁ……もしかして、痛い……?」


「へ、平気です……喰らい尽くしてください……」


「……いや……多分、あたしが先に……力尽き……かはっ……」


 リリムは口から血を吐く。それは口に含んだアリスの血ではなく、リリム自身の血だった。アリスは目を硬く閉じてリリムの肩に頭を埋めて、背中に回す腕に力を込めた。


「くそっ……やっぱり刺してもらった方が……楽だったかもな……」


「ごめんなさい……」


「良いよ……んっ……」


「っ……リリム様……っ……」


「ごふっ……はぁ……はぁ……」


「リリム様……最期にキスを……」


「すまん。無理だ。あたしの血がお前の中に入ってしまう」


「っ……」


 吸血鬼は自身の血を飲ませることで眷属を増やす。リリムもそうやって吸血鬼にされた。

 神子が吸血鬼になれるのかは定かではないが、リリムは少しでも可能性があるなら避けたかった。


「何度も言うが……お前には……人間として生を全うし——う゛ぇっ……はぁ……」


 アリスの血とリリムの吐いた血が混じり合い、ベッドのシーツを赤く染めていく。


「リリム様……もう……」


「アリス……大丈夫か……?血吸われすぎて……意識朦朧と……してないか……?」


「平気……です……」


「……そう……か……」


「ごめんな」と最期に謝罪の言葉を残し、リリムは意識を手放してアリスごとベッドに倒れ込んだ

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