第7話

 屋敷にやってきて三年が経ち、読める言語もかなり増えてきた頃、アリスは書斎で気になる本を見つけた。タイトルは『吸血鬼が生まれた日』


「吸血鬼が……生まれた……」


 アリスはリリムが元は人間だったと言っていたことをふと思い出し、その本を手に取り読み始めた。そこにはリリムが話したがらなかった吸血鬼が生まれた経緯が詳しく書いてあった。


「不老不死の……人体実験……?」


 その昔、不老不死に憧れた人間達が居た。彼らは研究のために奴隷を使って人体実験を繰り返していた。

 その実験の末に生まれたのが、高い再生能力と不老の遺伝子を持つ一人の人間。彼は刺しても焼いても決して死ななかった。その男の血を分け与えられた人間達も同じく不老不死の身体を手に入れた。

 しかし、血を分け与えられた人間達は不老不死の身体を得る代わりに強い吸血衝動と性衝動に駆られるようになり、まずは最初に不老不死になった人間を襲った。そして食い散らかした。

 それでも彼は死ぬことが出来ず、永遠に続く苦しみで心は壊れ、闇に飲まれて理性を失った魔物となった。その後街は魔物となった彼と吸血鬼達に襲われ、壊滅した。生き延びたものの、吸血鬼の子を身篭ったことに絶望して自害する人間もいたという。

 逆に、不老不死になるために吸血鬼の血を求める人間もいた。吸血鬼の血を飲んだ人間は新たな吸血鬼となり、そうやって吸血鬼は増えていったのだという。

 そこから先は吸血鬼が起こした悲惨な事件の様子が生々しく描かれていて、アリスは顔を顰めながら読み飛ばす。


 人々は吸血鬼側に対してなす術もなく、怯える日々を過ごしていた。しかしある時、吸血鬼にとって毒になる血を持つ子供達が次々と誕生した。人々は彼らを神の子——神子みこだと崇めた。


「……神子……」


 研究の結果、神子の血を吸血鬼の体内に染み込ませることで、吸血鬼の再生能力を無効化出来ることが分かった。しかし、効果があるのは生き血のみ。死んだ神子から採取した血液では効果はなかった。人々は神子の生き血塗った剣で吸血鬼と戦った。そうして吸血鬼の一族は数を減らし、いつしかその存在は神子の存在とともにおとぎ話として語られるだけになった。

 その時アリスは自分がその一族の末裔であるということなど、考えもしなかった。


「相変わらず勉強熱心だな。アリス」


 書庫にやって来たリリムの声を聞いて、アリスは慌てて本を隠した。


「ん?どうした?何で隠す?」


「い、いえ……その……あっ……」


 アリスが後ろに隠した本は一人でに宙に浮き、リリムの手元へ向かった。


「あぁ、これか。あたしも読んだことあるよ。てか、書庫の本は全部内容把握してるんだけどね」


「……あの……その本に書いてあることは事実なのでしょうか」


「吸血鬼の血を飲むと吸血鬼になれるのと、吸血鬼にとって毒となる血を持つ一族が居るのは本当の話。吸血鬼が生まれた日のことはあたしも知らん。あたしが生まれるより前のことだから」


「……リリム様も、吸血鬼の血を飲んだのですか?」


「……飲んだよ。というか、飲まされたんだ。無理矢理」


「……やはり、なりたくてなったわけじゃないのですね」


「あぁ。ある日突然吸血鬼の女に拐われて、無理矢理血を飲まされて吸血鬼にされた。……それまでは普通の人間だったよ」


「その吸血鬼はどうしてリリム様を……」


「……彼女曰く、死んだ恋人に瓜二つだったらしい。その時代はまだ同性愛が禁忌とされていてね。彼女の恋人は罪人として殺されたんだ。あたしはその死んだ恋人の代わりってこと」


 リリムは昔の話を淡々と語った。

 現代では同性愛は罪ではなく、当たり前のこととされている。アリスが住む村のような田舎でさえ、同性愛は罪だと唱える者はほとんど居ない。故にアリスは、自分がリリムに対して恋愛感情を抱いたことになんの違和感も持たずに生きてきた。同性愛が罪とされていた時代があったことは書庫にある本を読み漁っているうちに初めて知ったくらいだ。


「……リリム様を吸血鬼に変えた人は今はどうされているのですか?」


「……死んだよ。あたしが殺した」


「リリム様が……?吸血鬼は神子にしか殺せないのではないのですか?」


「あぁ。そうだよ。吸血鬼を殺せるのは神子だけ。吸血鬼でも殺せない。だからあたしは、一人の神子を犠牲にして彼女を殺した」


「……どうしてですか?」


「そりゃあ、殺したいほど憎んでたから。けど、神子を殺す気は無かった。血だけ借りて、すぐに助けて、彼女を殺した後はあたしも殺してもらうつもりだったから。けど甘かった。神子は吸血鬼に殺された。吸血鬼は殺せたけど、あたしは取り残されてしまった」


「……リリム様も……死ぬつもりだったのですね」


「……そうだよ。だからずっと、神子を探してた」


「……」


「……なぁアリス。もうなんとなく察したんじゃないか?あたしがお前を特別だと言った理由を」


 リリムに問われると、アリスは俯いた。リリムの言う通り、今の話を聞いて何となく察した。しかし答えない。答えを口にするのが怖かった。


「教えてやるよ。お前は——「言わないでください……」


 弱々しい声で、アリスはリリムの言葉を遮る。しかしリリムは、ごめんと一言謝ってから言葉を続けた。


「お前は神子の末裔だ。あたしは死ぬためにお前を連れてきた」


 突きつけられた残酷な真実にアリスは言葉を失うが、リリムは独り言のように続ける。


「……吸血鬼の一族は恐らく、あたしで最後なんだ。数百年の間に何度も全国を旅してきたが、一度も出会えなかった。あたしはこれ以上吸血鬼を増やす気はない。吸血鬼なんて滅びた方が良いんだ。人間の脆い精神は永久の時を生きるのに向いてないからな。ゴールのない険しい道をひたすら歩き続けてるようなもんだ。本当に、地獄でしかないよ」


「……」


「……だからアリスお前の手であたしを——「嫌です!嫌ですそんなの……」


 リリムが言い切る前に、アリスは彼女の言葉を遮る。「言うと思った」とリリムは苦笑いしてため息を吐く。


「……なぁアリス。あたしのこと愛してるって言ったよな」


「……はい。愛してます」


「……恩返ししたいって言ってたよな?」


「っ……言いました……」


「どうしたら恩を返せるか、分かるよな?」


「……出来ません」


「出来ないなら血を飲ませてくれるだけでも構わないよ」


「……私の血を飲んだら……貴女は……」


「死ぬ」


「っ……そんなの……殺せと同じ意味じゃないですか……」


「……頼むよ」


「……あ、操れば良いじゃないですか。催眠術使って……無理矢理吸えば良いじゃないですか……どうして最初からそうしなかったのですか?」


「お前には効かないんだよ。神子だから。だから……」


 リリムはアリスの手首を掴む。その手は微かに震えていた。


「リリム様……」


「……すまない。アリス。前にも言ったろ。あたしは優しくなんてない。お前に優しくしたのは全てはこのためだった。お前を自ら生贄に志願するよう仕向けたんだ。……まさかこんなに懐くとは思わなかったよ。こんなに辛い思いさせるなら、いっそ恨まれるように仕向けた方がまだマシだったかもしれないな。本当に、すまない」


「……やっぱり貴女は優しい人です」


「どこがだよ……」


「……私は貴女が好きです」


「……なら叶えてくれ。あたしの願いを。お前にしか出来ないことなんだ」


「……」


「お前はあたしにとって唯一の希望なんだ。地獄から解放されるための唯一の。頼むよアリス。あたしを……あたしを助けて……」


 リリムは泣きながらアリスに頭を下げた。その姿を見て、アリスも涙を零す。そして決意した。


「わかりました」


「っ……本当か?」


「……はい。ですが……二十歳になるまでは待っていただけますか」


「あぁ。どちらにせよ、今のお前じゃ恐らくあたしを殺しきれない。……ありがとう。アリス」


 リリムは顔を上げて、泣きながら笑う。アリスは彼女を抱きしめ、その日は二人で夜が明けるまで泣いた。

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