第5話 推しと推しの部下と私と愛犬と猿轡

座席どこにする問題、一瞬で解決してしまった。

 あわや助手席に座ったために鳥肌が心臓に到達死するところを救ってくれたのは、ほかでもない推しの部下かつ女騎士のリリエールさんだ。

 たしかに、いくら平民でも未婚の女性と密閉空間はまずい。部下を連れてくるのは当然といえば当然だった。


 助手席から降りてきたリリエールさんはすこし困ったような顔をしている。どうしたのだろうか。


「初めまして、フィナ様。リリエール・デリンシャーです。今回の旅程でフィナ様の警護にあたらせていただきますので、よろしくお願いします」

「初めまして、リリエール様。ご丁寧にありがとうございます、どうぞよろしくお願いします」

「それとその、フィナ様……後部座席に先客がいるのですが……」

「先客?」


 ウォン! という鳴き声に、わたしは後部座席を覗き込んだ。窓越しから嬉しそうに尻尾を振るスノウの姿があった。


「スノウ!」


 慌てて後部のドアを開ける。スノウは尻尾を機嫌よく左右に振るだけで、くるりと座席の上で1回転すると、そこにお座りを決め込んでしまった。へっへっへ、と息を吐き出し、まだかまだかと出発を待っている。


「あなた、ついてくる気ね?」

「つ、ついてくるのですか!?」


 リリエールさんが仰け反った。あまりにもオーバーなリアクションに、わたしは早口で弁解する。


「すみませんすぐに降ろしますので! スノウ、降りて!」

「グゥ……」

「寝たふりしない! 起きてるでしょ!」


 ついには座席3つ分を使って、横にだらりと寝そべった。目蓋をきっちりと閉じ、クウクウと寝息を立てるフリまでする。なんという知能犯……!


「降りなさい!」

「フィナ嬢」

「すみません、力づくで退かします!」

「それは無理ではないでしょうか。私でもスノウ殿を引っ張り出すのは相当な重労働です」


 推しはすこしだけ考えこむ仕草をした。それから、「連れていこうか」とぼそりと呟く。その呟きに反応したのは、スノウとリリエールさんだ。スノウはパッと上半身を起こして、目をきらきらとさせている。対してリリエールさんは「は、反対です!!」と声を張り上げた。


「なぜだ、リリ。反対なのか?」


 推しのフランクな言葉遣い、顔が見えてたら思いっきり悶えていたかもしれない……。


「もちろんです! 殿下との謁見に連れていくわけにはいきません!」

「謁見のときは誰かに見ていてもらえばいい。それに殿下だってハーヴィーを飼ってるじゃないか。一匹連れて行ったところで気にしないだろう」

「そ、そうかもしれませんが! こっ、こんな大きな犬を連れて行ったら宮殿が大騒ぎになるでしょう!」

「フィナ様、スノウ殿は吠えたり人を噛んだりすることは?」

「人を噛んだことはないです。それに怪しい人間以外にはめったに吠えません」

「それはいい。護衛は多いに越したことはない。連れていきましょう」

「副団長!」

「それにスノウ殿は賢い。人の言葉を理解しているようだ。心強い味方になるだろう」


 推しが後部座席を覗き込み、おそらくスノウと目を合わせている。毛まみれでわからないけど。


「スノウ殿、申し訳ないが王城ではフィナ様の言うことを聞いていただけるだろうか」


「ワン!」とスノウは胸を張って答える。


「だがフィナ様に危害を加えるやつは思いっきり噛み付いて大丈夫だ」


「ワオーン!」とスノウは遠吠えのように鳴いてみせた。気合は十分のようだ。


「よし、スノウ殿もこれより護衛騎士の仲間だ。よろしく頼むぞ」


 フンッ、とスノウは鼻を鳴らして返事をすれば、推しが破顔したような気がした。ふ、と少しだけ息が漏れる音がしたので。


「リリも覚悟を決めろ。犬が怖くて何が護衛騎士だ」

「昔噛まれてから苦手なんです……それにあんな大きいだなんて……!」

「すみません、わたしがスノウと後ろの席に座るので……。もちろんリリエール様の後ろの席にはわたしが座りますので、どうかお願いします」

「いえ、フィナ様が頭を下げる必要はありません! 苦手なことを克服できない私が悪いのです! 気にしないよう努めますので、大丈夫ですよ!」


 リリエールさん、いい人だなあ。さすが推しの信頼する部下である。それに金髪のベリーショートなのもかっこいい。

 美人で背が高いのに犬がこわいとかギャップがあって最高だ。


「フィナ様、乗ってください。それと申し訳ないのですが、安定のために固定器具を体につけることになります」

「はい」

「リリ、頼んだぞ」


 リリエールさんが座ったわたしの腰に、ベルトを巻く。

 そして足にも巻く。

 手にも。


 ちょっと待て。


「拷問器具なんですか……?」

「いえ、移動手段です」


 推しが答える。そんなバカな。

「念の為これを」とリリエールさんから猿轡みたいなものを渡された。黒々としていて、たとえば赤くて液体っぽいものがかかっても気にならなさそうだ。


「移動する拷問器具ですか?」

「違いますよ! 舌を噛まないための処置なんです。初速を出すためにだいぶ揺れるので、これで舌を守るんです。速度が安定したら外してもらって大丈夫です」

「そうなんですか」


 前世の車って快適だったんだな……。


 わたしはそう思いながら、猿轡っぽいものをカプリと噛んだ。となりでスノウが持ってきていた骨をガブリと噛んでいる。


 いいね、その味のする猿轡……。

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