第4話 推しと出発

「ご挨拶はあれだけでよろしいのですか?」

「え?」

「お祖母様と、ずいぶんと短いご挨拶だったので」

「時世の句でも詠んできた方がいいですか?」

「時世の句とは……?」

「死ぬ時の俳句です」

「農村には不思議な慣習があるのですね。あと、フィナ様の命は私がお守りします。ご安心ください」


 推しに守ってもらえるシチュエーション、普通は大興奮なんだろうけど、いかんせんビジュアルが毛虫だ。わたしはなんともいえない、引き攣った微笑みで「ええ、安心ですね……」と言った。


 おばあさまとの別れの挨拶は以下である。


「行ってきます!」

「早めに帰ってくるんだよ」


 その辺のおつかいか? といった具合である。でもそれこそがおばあさまらしい。泰然自若を地でいくもんね。

 動揺したところなんて見たことがないから、この村ではいつも頼られている。

 知識も豊富だから、魔女だなんてからかう人もいるけど、どっちかっていうと女王様だろ! とわたしがおじいさまと慕うエイデン氏は笑う。


 それにしても、おばあさまは農村生まれにしては洗練されている。幼い頃からマナーというものおばあさまを叩き込まれ、恐れ多くも王子様の御前に出るというのに、さほど危機感がないのがその証拠だ。


 もちろん緊張はしている。正直吐きそうなぐらい緊張しているが、推しの前で嘔吐でもしようものなら自分で自分をくびり殺してやりたいぐらいの醜態なので、なんとか堪えている。推し、毛虫だけど。

 でもたぶん、この毛虫は推し本人なのだろう。顔が見えないために確認のしようが

ないが、こんなイケボ、推し以外にありえない。いや、ボイスドラマとか出してなかったけどさ、原作。でも推しの顔と声のイメージが一致している。


 しかし、おばあさまはいったいどこであんな淑女教育をされたのだろう。いつも思うが、謎である。訳ありで駆け落ちでもしてきた元貴族の令嬢あたりではないかと推理しているが、よく会いにくるエイデン氏もちょっと変わっているというか。あの二人、なんかあやしいんだよな……。過去なにかあった匂いがぷんぷんするけど、あんまり身内の色恋沙汰って聞きたくないから深く突っ込んだことはない。


 ──などと考えているのは、一種の現実逃避だ。


「……あの」

「いかがなさいました?」

「失礼ですが、エスティオーレ様は騎士様なのですよね?」

「ええ、騎士です」

「軍の兵士ではなく?」

「騎士です。乗ってください」

「騎士は馬に乗るものではないのですか?」

「……時代は変わりゆくものです」


 もじゃもじゃでよくわからないけど、いまたぶん目を逸らしたな、推し!


 わたしたちの前にあるのは、大きな車両だ。軍用みたいなゴツい車。馬はどこに。というかこの世界、ドラゴンもいたよね? 世界観しっちゃかめっちゃかじゃない? ドラゴンもびっくりだよ。巨大なドラゴンがいたとしても、車両のある世界なら簡単に倒せそうじゃない? なんの燃料で動いてるかは知らないけど、そこまで文明進んでいたらめちゃくちゃすごい兵器ありそうで怖い。


「ちなみに王都までこれで何日かかるんですか?」

「休み休みいきますので、二日ほどですね」

「ちなみに休まずに行くと?」

「一日です。ですが、休まずに行く場合、訓練した騎士や兵士でないと大変なことに」

「大変なこと」

「体の小さなパーツが推進力に追いつけません」

「つまり」

「指や耳が置いてけぼりに」

「休み休み行きましょう! ええ、休み休み! ゆっくり! のんびりと! 行きましょうね!」


 置いてけぼりにされ、地に伏せるボディパーツを思い、わたしは声を張り上げた。どうしてそんなスピードを出せるもの実用化したんだ? というか指や耳は訓練できるのだろうか? 


 ここはファンタジー小説の世界なのだ。重力加速度が一緒とは限らないし、万有引力があるかもわからない。象の背中の上の世界かもしれないのだと考える。諦めが寛容だ。


「フィナ!」


 まるで悪魔でも見るみたいに住民が遠巻きに車を見ている中、ずんずんと歩み寄ってきたのはくだんのエイデンさんだ。


「おじいさま」

「行くらしいな、アデルが寂しそうだったぞ」


 くたびれた帽子を外し、エイデン氏が推しに向き合う。


「君は?」

「ヒュドール王国第三騎師団所属、アシェル・エスティオーレと申します」

「エスティオーレというと、先代の王妹である姫様が嫁いだ公爵家か?」

「ええ、私のお祖母様にあたります」

「遠目からしか見たことがないが、君と雰囲気が似ているな。寡黙で聡明そうな姫君だった」

「王都にいらしゃったことが?」

「仕事でな。いまじゃこんなにくたびれているが、昔は王都の御令嬢がたにキャーキャー言われたもんだ」

「おじいさま、プレイボーイだったのね」

「プレイボーイか、ハハハ! 物は言いようだな!」


 エイデン氏は軽快なしゃべり口で村の人たちの心を開いていく、まさしく人たらしと言っていい存在だ。若い頃はさぞモテただろう。奔放に跳ねる髪の毛を束ねたままで、髭も生えっぱなしだけれど、顔立ちはハンサムだ。整えれば見事なロマンス・グレーとして妙齢の女性たちを瞬殺できそうである。


「しかし、これはなんだ? 機関車とは違うんだよな?」

「車というものです」

「へえ、おもしろい。ぜひ死ぬ前に乗ってみたいものだな!」

「乗り方を間違えると天国一直線らしいですよ……」

「天国行きか、そりゃあいい! 金をしこたま乗せて天国で豪遊しようじゃないか!」

「聖書では天国の門で金品は捨てられると言いますが」


 推しのこういう真面目さ推せるわ〜。だけどおじいさまは笑い飛ばす。


「ハハハ、門などふっ飛ばせばいいさ!」

「おじいさま、それ天国から地獄に真っ逆さま案件です」

「ハハハ、そうだな! ああ、そうだ、フィナ」


 そっと、おじいさまに手を握られる。タコがついた、働き者の手だ。かさついているが、何よりも温かい。


「フィナ、気をつけて行っておいで。天国じゃなくちゃんとこの村に戻ってくるんだよ」

「はい、エイデンおじいさま」

「忘れないでくれ、お前はなにより賢く、強く、美しい娘だ。なにせアデルの孫だからな」

「はい。おじいさまも元気で。早めに帰ってくる予定ですが、その間おばあさまをよろしくお願いします。おばあさま、おじいさまが来ると嬉しそうなんです。いじっぱりだから、顔には出さないけれど」

「わかっているよ。アデルは寂しがり屋だから、俺がついてるさ。鬱陶しがられるかもしれないけど」

「目に見えるようですね……」

「フィナ」


 目を覗き込まれ、わたしはじっとエイデンさんの、薄いブルーの瞳を見る。どこか懐かしい気がするのは、一種のノスタルジーだろうか。


「外野がなんと言おうが、お前の価値はお前が決めなさい。他人がつけてきた値札など破り捨てなさい。いいね?」

「……はい」

「それと騎士殿。この子をよろしく頼むよ。私たちにとってなにより得難い、至宝の娘だ」

「ええ、この命をもってお守りいたします」

「よろしい。行っておいで」


 おじいさまにポンと肩を叩かれ、我に返ったわたしは車に向かって歩く。

 振り返ると、優しく手を振っているおじいさまの姿が見える。


 この優しい空気が、関係が、わたしが帰ってきても、ちゃんと同じようにそこにあるのだろうかと。

 埒もないことを、一瞬考えた。


 そして気づく。


 車のどこの席に座るか問題に!!!!!!!!! 


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