第3話 推しの緊張ティータイム

 そうと決まれば、いそいで準備をしなければならない。

 勅命とも言える命によって、わたしは本日中にこの農村を出て行かなければならいないようだ。

 しっかりしてよ、使いの人。

 推しが言うには、ちゃんとした王家直下の使いに手紙という名の召喚状を届けてもらったらしいのだが、なんの因果か届いていない。迷子にでもなったのだろうか。わかる、村広いもんね。

 わたしは自分の部屋で最低限の衣服やら生活必需品やらをかき集めていた。

 王宮にはなんでも揃っているからそのまま手ぶらで来てくださってかまいません、道中の食料品やら着替えなどはすべて用意してあります。と推しは言っていたが、騙されない。

 普段着で来てくださいという就職説明会レベルの罠であると感じた。

 もし手ぶらで行こうものなら、面の皮の分厚い女として後ろ指を刺されるに違いない。


◇ ◇ ◇


 アシェルは、今までに感じたことのない緊張感を抱いていた。

椅子に座って、紅茶をいただくことにしたが、フィナ嬢のおばあさまの眼圧がすさまじい。

上から下へ、さらには下から上へ、また上から下へと視線が何往復かしている。

どこぞの馬の骨だと言いたげだ。

こちらは由緒正しき公爵家の令息であり、むしろ馬の骨なのは目の前の老婦なはずなのだが。


 そして極め付けは、アシェルのことをじっと見続けている犬だ。

 真っ白でふわふわで、まんまるな瞳をしていて愛らしい。

 しかし、アシェルが頭を撫でようとすれば躊躇いなく噛み付くだろう。

 それくらい敵意というか、殺気を感じる。


 というか、でかすぎないだろうか、この犬。

 犬好きのアシェルとしては犬の面積が多ければ多いほど喜ばしいことだが、それにしちゃあデカい。

 前足を伸ばしてアシェルに飛びかかろうものなら、アシェルも支えきれないかもしれない。

 アシェルの視線を感じたのか、犬はかたわらにあった骨を咥えてから、いとも容易く噛み砕いた。

 というか骨すらでかい。

 なんだ? バッファローの大腿骨か? 

 そして「次はお前だ」と言わんばかりにフン、と鼻を鳴らした。


 紅茶を飲めば飲むほど喉が渇いていくような気がして、アシェルはティーカップの持ち手を摘んだ。

 白磁のティーカップにはシミ1つない。すこし不思議だ。

「古ぼけた農村の民家にしちゃあ、いいティーカップだという顔だね」

 まさしく、アシェルが考えていたとおりだ。

 各地で工場が建ち、オートメーション化の波が来ているとはいえ、アシェルが思い描いていた農村の清貧な暮らしとは正反対と言っていい。

 この家自体はさほど広くもないが、それでも、心配りというか、細心のいきとどいた暮らしが見える。

 採光窓にはレースのカーテンがかけられ、春とはいえ厳しい日差しをやわらげている。透かれた光がふんだんに安楽椅子に降り注ぎ、きっとそこでは目の前の老婦が腰掛け編み物をしているのだろう。

 目に浮かぶようだ。

「言っとくけど、うちは平民としちゃあ贅沢な部類だよ」

「そうなのですか?」

「あの子の、フィナのおかげで、ずいぶん良い暮らしをさせてもらっている」

 正直ここまで良い暮らしができるとは思わなかったよ、と老婦は語る。

「あの子は生まれてすぐ両親を亡くしててね。それを知ってか知らずか、赤子の頃から滅多なことじゃ泣きもしない、不思議な子だったよ」

 老婆は目を伏せ、琥珀色の紅茶に視線を注ぐ。

「神はすべて見ていらっしゃる。あの子にギフトを与えたのも、道理というものだろう」

 ギフト。その名の通り、「贈り物」だ。神からいただく、天恵と呼ばれるもの。

 <固有魔法>と魔術師は言うが、それでも、オリジナルで唯一無二の魔法だ。

 ここ、ヒュドール王国では、1万人のうちひとりの割合でギフト持ちが生まれる。

 隣国ウィリデではもっと多く、千人に一人の割合で生まれるらしい。

 ウィリデはおもに精霊信仰の宗派であり、敬虔な信徒が多い。

 そのおかげで、ギフト持ちが多いのではと言われている。


 ヒュドール王国では、ギフト持ちと判明すればすぐに申請を出す。そして国から惜しみない支援を受けることができる。

 しかしながら、フィナ・サルソンはそのすべての援助を跳ね除けている。ただ義務として届け出を出して、名鑑に名前が載るだけの人物だった。

 ギフト持ちならば、輝かしい未来が約束されているようなものだ。有用なギフトならば、貴族にだって縁付くことができただろう。

 それなのに、農村で慎ましく暮らしている理由がよくわからない。フィナはまだ戻ってこないようなので、アシェルは聞いてみることにした。

「国からの援助は受けられなかったのですか?」

「過ぎたる恩恵は毒のようなものだ。いつしか腑を蝕み、死に至る」

 年相応の含蓄のある言葉だ。しかし、アシェルにはしっくりとくる言葉ではない。

「過ぎたる恩恵でしょうか? 天恵を受けるだけの器があると神が認められたのです、そのような謙遜など……」

「膨れた腹と自尊心と欲望で自滅したギフト持ちなどよくある話だよ」

「たしか、そのような絵本がありましたね」

 まんぷくディキンス、という絵本がある。

 農民だったディキンスは孤独でありながらも、敬虔なルクス教の信徒だった。

 しかしギフトがあると判明し、そのおかげで領主の家の庭師になり、美しい妻を得て、毎日まんぷくになるまで豪華な食事をたらふく食べていた。

 しかし、ディキンズはそれだけで満たせない飢えに気づいた。飢えは日に日にひどくなり、そしてディキンスはついに領主を裏切る。そして貴族におもねり、爵位を得るまでに出世するのだ。それでもディキンスの飢えは満たされず、ついには王様の腹心にまで上り詰める。だが、それでもまんぷくにはならなかったディキンスは、ついに王様を裏切り、謀反を起こす。そして多くのひとの犠牲を出して新たな王になったディキンスだったが、天上におわす神は見ていた。神はディキンスからギフトを取り上げてしまう。ギフトを失ったディキンスから周囲の人間は離れ、妻にも見限られ、そしてディキンスはかつての王様の子孫に討たれてしまうのだ。


 ギフト持ちの慢心は破滅もたらすと説く、絵本という名の教訓だ。

 ギフトは神からの贈り物であって、決して個人だけのものではなく、他人に分け与えることを前提としたものなのだ。

 はじめて神から直々にギフトをもらった人間たちの始祖は、そう寿がれたという。


「立身出世など夢物語でいいのさ」

「そういうものでしょうか」

「可愛い孫にいらぬ苦労などしてほしくはないだろう。でも、やはりこうなった。あの子はそういう運命の星の下に生まれたのさ」

 運命。アシェルの大嫌いな言葉だ。その言葉に踊らされ、無慈悲に散った者を思い出させる。

 年寄りは信心深くてたまに嫌になる。


 運命などクソ喰らえだ。

 神などいない。

 神がおわすというのなら、その慈悲が与えられなくて死したものたちは、自業自得だとでもいうのだろうか。


 紅茶を一口飲む。

 その風味に、かつて優しく微笑んでくれたひとを思い出して、アシェルは目を伏せた。

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