第5話 問題

 部長に第二人事部へ行けと言われた猪本は、ブツブツ言いながら向かっていた。




「いくらなんでも早すぎないか・・・。さっき寿から聞いたばかりだぞ・・・。ふざけんなよ。俺そんなに仕事してなかったかなぁ・・・。」




 リストラの事を考えると、変な汗が止まらない。そんな猪本とすれ違う同僚達は、猪本を見ながらヒソヒソと話をしている。




(チクショウ!もう噂になってたのか!知らなかったのは俺だけだったのか?)




 焦燥感に駆られながら、猪本は第二人事部の扉の前に立った。大きく深呼吸をして、ドアをノックし、




「第三営業部の猪本、来ました。」




 第二人事部長の西森がギロっと出入口に立つ猪本を睨んだ。




「こっち来い。」




 言葉が少ない事に、猪本は余計焦った。




(やっぱりリストラかな・・・。)




 猪本は静かに西森の前に立ち、固唾を飲んで死の宣告を待った。




「お前って今何か重要な案件に関わってないよな?」




「はい。今はそうですが、これから携われるように仕事頑張ります!」




「ふーむ、まぁいいか。来週から寿が出張だから、そこの留守番行ってこい。」




「へっ?」




 猪本は間抜けな声を発すると同時に、その場へ膝から崩れ落ちた。西森のデスクに手を掛けながら、やっとの思いで立ち上がった猪本は、




「あ、あのぉ・・・リストラ・・・とか、そんな話ではないのですか?」




「なんだ、リストラが望みか。じゃあ手続きしとくわ。」




「いやいやいやいや、行きます!留守番大好きです!では失礼します!」




 第二人事部の部屋中に失笑が広がり、耳まで真っ赤になった猪本は頭を下げて人事部のドアを閉めた。




(あの野郎・・・。今度会ったら、申し訳無さそうにしてるちっちゃなお尻を手形つくまで揉んでやる!)




 猪本は第三営業部に戻ると、部長の座るデスクの前に立った。




「なんで俺が寿の後釜なんすか?」




 部長の沢田に当然の疑問を猪本はぶつけた。沢田はため息をつきながら、




「後釜とちゃうわ。留守番。寿が来週から出張へ行くから、その留守番だ。」




「なんで俺なんすか?」




「お前今ロクな仕事してないやろ。報告書の運搬しか。それってただの雑用やし、普通にバイク便頼みゃ、お前の人件費より安いわ。つまりヒマなのがお前しかいない訳だ。だから推薦しといた。お前もそろそろ結果出しとかんと、さすがに庇いきれんぞ。女の尻を追っかけ回すだけが仕事じゃなかろう・・・。」




 ウッと強張る猪本だったが、身に覚えがありまくりだからグウの音も出ない。猪本は肩をすくめながら、自分のデスクに座った。




 寿や猪本が働いている【ライフスパン】は、実際にはある会社の一部門である。表向きは(株)秋友商事という会社だ。社長が秋友と言うだけの会社なんだが、手広くいろいろやってる。




 【ライフスパン】に所属する部署は第三営業部、第二人事部。この二つは会社内にある。他には外に、調査部と管理部がある。表向きはこの全員が(株)秋友商事の社員である。




 【ライフスパン】に関する情報は徹底的に情報統制され、部屋を出た瞬間から守秘義務が発生する仕組みにしている。また【ライフスパン】の情報を外部に漏らさないように、全員グレーの指輪をつける事が義務付けられている。漏らそうとした場合、この指輪が弾け飛び意識を刈り取るという寸法だ。




 もちろんこれらの部署全部が社長直轄であり、所属してない社員には、その存在すらわからないようにしている。この第三営業部と第二人事部は同じビルにあるので、そこそこ面識もあるのだが、調査部や管理部に至っては、どこにあって、何人いるかも秘密なのである。この存在については、専務などの重役にすら明かしておらず、知っているのは社長の秋友と【ライフスパン】の関係者だけである。




「おう、猪本、管理部へ一応在庫確認しとけよ。店頭出て後で無かったとか困るからな。」




「ハヒッ!」




 沢田の声に妙な声を発した猪本は、慌てて管理部に電話を掛けた。




「チーッス。第三の猪本っすけど、在庫どーっすかね?」




「誰だ、お前?第三の猪本?あー、あの女のケツばっか追いかけてるポンコツか!」




「ポ、ポンコツって・・・。」




「まぁ気にするな。俺は管理部の江川ってもんだ。よろしくな。今の在庫はまんべんなくあるから、心配しなくていいぞ。」




「あ、ありがとうございます・・・。」




 釈然としない猪本だが、変な噂が蔓延してるのはなんとなく理解出来た。しかし、その噂に反論出来ないのもまた事実。自分の置かれてる立場が結構微妙な所にあることを猪本は自覚した。クビにはならないとは思っていたが、寿の言ってたリストラという言葉がどうしても頭から離れないのである。




(結果出しゃあいいんだろ・・・。出しゃあ・・・。)




「留守番が始まったら本気出す!」




 と意気込む猪本がいたのだが、そんな様子を部長の沢田が苦笑しながら見てたのである。




 そして週末の金曜日、寿はお店を閉めて引継ぎの為に本社を訪れた。部長である沢田の元を訪れ、




「ご無沙汰しております。仕事だからいいんですけど、急に出張入れるのをやめてもらえませんか?」




 沢田は少々薄くなった頭をポリポリと掻きながら、




「すまんなぁ。最近店を持たせた新人共が、ヘタに私情を挟んでポカするケースが多くてな。簡単に言えば、再教育って事だな。可哀そうとかなんとかしてあげようって感情を無くして欲しいんだわ。」




「一体何があったんです?」




「まぁ一つのケースを例に挙げるとしたら、ある客の買い取り価格が、本来は年あたり20万くらいだったんだが、照会した時にそいつの人生そのものが出てくるやろ?それに同情して、年あたり40万にしちゃったのよね。まぁウチらもボランティアやってるわけでもないからな。その辺の性根を叩き直して欲しい。やり方は任せる。それに社長の決済も貰ってるから、少々の事は許されるぞ。」




 はぁーっと寿は一つ大きい溜息をついた。寿命とは目に見えない物ではあるが、目に見えないが故に厳格さが求められる。これが目に見える物を買って売る商売ならまだわかる。大根1本100円で仕入れて、150円で売る。まぁどこのスーパーでもやってる事だ。大根なんかは相場があるから、周辺が150円前後で売ってるという前提条件が付く。しかし、農家さんがかわいそうだからと200円で仕入れて、300円で売り出しても売れる物ではない。周辺が150円で売ってたら誰も買わないだろう。もっとも【ライフスパン】みたいな仕事は競合があるわけではないのだが、社長の方針として、適正な買い取りが求められる。同情して高く買ったら、もしそのお客さんが寿命の返還を求めた時、その金額が跳ね上がるという事もある。それはお客さんのデメリットにもなるので、適正価格というのは絶対厳守事項なのである。




「わかりました。一応聞きますが、期限はありますか?」




「いつまでもお前に店空けられると困るからな。一ヶ月以内で頼むわ。」




「一ヶ月も必要ありません。一週間から十日もあれば・・・。」




 ニヤリと笑う寿に、部長の沢田は少し背中に汗が流れてるのを感じ、苦笑いしながら、




「お手柔らかにな・・・。」




「ところで、留守番は誰になりました?」




「おーそれな、猪本になったわ。」




 少し顔が歪んだ寿は、後ろを振り向き猪本のデスクがある方を見た。ニヤニヤと妙な笑顔をしながらヒラヒラと手を振ってる猪本に目が留まった。




「うぃーっす。寿ちゃんよろしくねー。」




 寿はツカツカと猪本の元へ歩いていき、




「猪本さん、いいですか?端末と金庫以外触らないでください。備品は私の私物なんで。もし壊したりしてたらどうなるか、お分かりですよね・・・?」




「お、おぅ・・・。わかってる。わかってるって。壊したりしないから、安心して出張行ってこいよ。」




 半ば諦めたような様子の寿はため息をつきながら、




「では部長、これで失礼します。月曜日はそのまま空港に向かいますので・・・。」




「おう。頼んだぞ。」




 そうして寿は第三営業部を出た。帰り際、寿はいつも思う疑問が頭の中に湧いてきた。




(いつも思うのだが、出張行くのになぜ飛行機や電車を使わなければならないのだろう?指輪の能力を使えば、タダの上に一瞬で着くのに・・・。)




 これも社長の方針だろうと納得はしてるものなのだが、会社としてはある程度経費として使わなければならないというとこか。いつも湧いてくる疑問だが、会社にもいろいろ事情があるのだろう。これもいつものことだが、その時点まで考えが至ると、いつも考える事をやめる寿なのであった。




 一方猪本はというと・・・。




 部長からいろいろな注意点を説明されていた。




「いいか、猪本。お前には後が無いとだけ言っとくぞ。本来ならキャリアも能力もあるお前なんだが、今までの仕事内容はとてもじゃないが、褒められた何用のものではない。店を持たされていたお前が、どうして営業部に来たかわかってるか?客に手を付けたからだ。それ自体は会社に損害を与えるものではないが、そんなことをしてたら信用が無くなるだろ。しかも営業に来たと思ったら、今度は社員をターゲットにするって・・・。さすがにもう庇いきれんぞ。この寿の出張中に何か問題が出てきたら、今度は問答無用になるからな。」




「いやいやいや、待ってくださいよ、部長。一応それなりに仕事してきたじゃないですか?」




 部長である沢田は少々呆れた顔で猪本を見ながら、




「それなりじゃもう間に合わんってこった。そりゃお前が寿くらい仕事が出来ていたのなら、そこまで問題にはならんだろうけど。心入れ替えて、死ぬ気でやれとまでは言わんが、もう少し自分の立場を考えて行動する必要があるぞ。」




 ぐうの音も出ない猪本は項垂れる事しか出来なかった。




「これが寿の店の鍵だ。渡しとくわ。月曜日、遅れんようにな。」




 そう言って沢田は立ち去って行った。残った猪本は大きくため息をついて、タイムカードを押しに行ったのであった。








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