第3話 虫の知らせ

 ある日、一応確認をしておこうと恵介は契約書の控えを探してた。一度電話をかけてからどこに置いたか忘れたので、部屋中をひっくり返して探していたのである。朝から探して、昼近くにやっと見つけたのであった。契約書の控えを見てみると、契約してから実に7ヵ月が経っていた。恵介は寿命を取り返すのに350万で済むのか?というのをどうしても確認したかったのである。後になって、実は500万必要でしたって言われても困るからである。あとちょっと変な期待もあったりするのだ。ひょっとしたら、何かで割引してくれるんじゃないかとか、実は最初の175万でいいんじゃないか?とか、妙に甘い考えを持っていたのである。




 恵介はスマホを取り出し、ライフスパンに電話をかけた。




「ありがとうございます。ライフスパンでございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」




 7カ月前に聞いた寿の声が、そのまま聞こえてきたことに恵介は安堵した。




「以前契約した、田上恵介といいますが、ちょっと確認したいことがあって・・・。175万で契約したのですが、寿命を取り返す場合、いくらだったのかを確認したくて・・・。」




「わかりました。今データを出しておりますので、少々お待ちください。田上恵介様ですね。ありました。半年以上前に契約なさった方ですね。175万円で全ての寿命をとありますね。この寿命を取り戻すのには、倍の350万が必要となってきます。これは契約時にも言っておいたと思いますが・・・。」




 恵介はやっぱりそうだよなーと思いつつも、もう少しなんとかならないか聞いてみた。




「そうでしたか。しかし、それはそれで暴利というものではないでしょうか?法律にも明らかに違反してると思いますけど。」




 寿の声のトーンが変わった。




「田上様はいったいなにがおっしゃりたいのですか?」




「いや、これはあまりにも暴利というものです。175万借りただけなのに、それが半年ちょっとで倍って、明らかにおかしくありませんか?このままだと警察に行くしかなくなります。かといって大ごとにもしたくないので、もう少し金額をなんとかしていただけないでしょうか?できれば200万くらいに・・・。」




 恵介は以前に何かの本で読んだ事を付け焼刃的に持ちだした。相手が絶対承諾しない所に金額を持っていき、その後ジワジワ交渉しながら落としどころを探る。恵介は交渉の主導権は自分にある事を疑わなかった。警察に行かれたら、ライフスパンも商売どころではなくなるだろう。だから結局は自分の言う通りになると信じていた。恵介はもはや、契約時に言われた禁止事項など、頭の中から消し去っていたのである。




 恵介は寿からの返事を待った。とはいえ、こちらの言うことに従わざるを得ないことに、絶対の自信を持っていた。しかし、スマホから放たれた寿の言葉は、恵介にとって予想外の、無慈悲かつ無関心な言葉であった。




「田上様、何を勘違いされてるのかは存じ上げませんが、私共はお金を貸してるわけではありません。恵介様の寿命を175万で買い取ったのであります。つまり田上様の寿命35年分は、私共の物であります。それをいくらで手放すか、お返しするかは、私共で決めさせて頂いております。倍の350万でならかなり良心的だと思いますけど・・・。あと、契約違反に抵触する可能性がありますので、ここで警告させて頂きます。警察に言うという事ですが、ライフスパンの事をどう説明されるのでしょうか?寿命を担保にお金借りました。その利息が暴利です、とでも言うのでしょうか?まぁそれもよろしいでしょう。そんな荒唐無稽の話で警察が動くとも思えませんし、ライフスパンのことを誰かに話した時点で契約違反となります。それについてのペナルティは契約時にお話ししてると思いますので、ここでの説明は省かせていただきます。」




 恵介はしまったと思いながらも、しかし・・・と食い下がった。しかし、それを無視して寿は話を続けた。




「私共は田上様の生活全部を監視していたわけではありませんが、おそらく何かの方法で小銭を手に入れたのでしょう。まぁそれもご自分の才覚で手に入れたのでしょうから、私共がそれについてとやかくを言う事はありません。しかしながら、そのお金を少しでも残して寿命を取り返し、残りの人生に役立てようとでも思ったのでしょう。それは少々虫が良すぎるのはないでしょうか?以前お電話を頂いた時にもお話ししたと思いますけど、寿命が残り1年未満の方は総じて運気が良くなる傾向があると。寿命が取り返せた時点で、寿命は1年未満には当てはまらなくなります。これくらいはご承知かと思っていたのですが。この7カ月間ほどをどうやって過ごしてきましたか?察するに自堕落な生活をしてきたことは容易に想像できます。多いんですよね。自堕落な生活を送ってきた人間ほど、恵介様と同じ事をしてきます。こちらはそれも想定内なんですけどね。」


 ぐうの音も出ない正論に恵介は口を噤んだ。そんな恵介を無視して、寿は畳み掛けるように言葉を続けた。




「どうしたらいいかと聞かれた時に田上様には、寿命が尽きるまで精一杯、毎日を悔いなく生きるしかないとお伝えしたと思います。ご自分は精一杯生きてきたかもしれませんが、私共にはそれを褒め称えることも、侮辱することもありません。何故なら興味ないですから。他人がどう生きようが、どう過ごそうが、どんな死に方をしようが、何の感情も起きません。粛々と仕事をするだけです。田上様のような生き方をされる方は、総じて物事を薄めて考える傾向があります。例えば、田上様は一年未満の寿命しかないとわかっていても、この7カ月間、自堕落な生活を送ってきたでしょう。一年未満と言われても1ヵ月過ぎた頃から、意外と大丈夫なもんだなと考えだします。半年過ぎる頃にはわかりもしない自分の寿命を勝手に決めだします。あと3ヵ月くらいは大丈夫だろうと。だから更に自堕落な生活を続けます。何かしらの言い訳を誰かにしながら。そしてそれを寿命が尽きるまで続けます。尽きた直後に気付くことでしょう。もっと頑張っとけばよかったとか、何か行動に移しとけばよかったとか。はたまたお金を返して寿命を取り戻しておけばよかったとか。問題を先送りしながら様々な言い訳をして、明日からやろう、来週からやろう、来月から頑張るなどと自分や周囲を誤魔化しながら・・・。」




「俺の気持ちがお前なんかにわかるか!」




「はい、わかりません。と言いますか、理解しようとすら思いません。時間の無駄ですから。物事を薄めて考え、問題を先送りにし、自分で道を切り開こうとしない方に同情するくらい無駄な事はありません。以前もそうですが、今でも田上様の査定を低く見積もった判断は間違ってなかったと自負しております。それは田上様の人生の薄さが査定に出てきたのでしょう。これ以上お話しても無駄ですし。仕事もありますので、この辺で失礼します。」



 くそぉ・・・。あわよくばと思ったが、うまくいかないもんだなと恵介は考えた。しかし、寿の言葉にある種の違和感を覚えた。寿と長話をしたのは契約した時以来か。しかし、ここまで否定的なことは言われなかった。何かある。そう考えた恵介はしばらく考え込んだ。合理的な答えはどこまでいっても出なかった。考えれば考えるほどに、複雑に絡み合う糸のように、どこまで手繰っても答えは出なかった。しかし違和感というものは直感的なものである。そこに合理的な答えなどは存在しない。では直感で考えてみようと思ったその瞬間、恵介は一つの答えに辿り着いた。その答えに戦慄し、汗が止まらなくなった。




 恵介は部屋に隠してあったお金をかき集めて、慌てて家を出ようとした。玄関で靴を履いてる時に、後ろから声が聞こえた。




「ご利用ありがとうございました。」




 振り向いた瞬間そこには寿の姿があり、同時に恵介の付けていた指輪が弾け飛んだ。それと同時に恵介の意識は暗転したのである。




「ご利用ありがとうございました。寿命が尽きましたので、ご報告に上がりました。田上様も思うところがあり、ライフスパンにお電話してくれたのだろうとは思いますが、何もないとそういう気にはならないものです。きっとこれが『虫の知らせ』というものなんでしょうね。では失礼します。」




 それから5時間ほどして、母親がパートから帰ってきた。玄関に入ると恵介がそこに倒れていた。しかし、意識を刈り取られている恵介が動くわけもなく、母親は悲鳴を上げた。そして慌てて119番に電話した。




「息子が・・・息子が玄関で倒れてて・・・意識もなく、呼吸もしていません。救急車をすぐお願いします。」




 救急車がくるまで恵介の身体をゆすっていた母親だが、恵介の内ポケットになにやら入ってることに気が付いた。手を入れてみると、そこには数百万円が入った封筒があった。母親は息をのみ、慌ててその封筒を自分の手提げバッグに入れた。




 その後救急車が来たが、その甲斐もなく、その場で死亡が確認された。自宅で亡くなってたという事もあり、警察も来て付近は一時騒然とした。現場検証などいろいろ調べられ母親も取り調べを受けたが、結局のところ事件性はなく心臓発作として片付けられた。




 その後葬式をあげたが、急な事もあって参列者はまばらであった。そもそも恵介自身に知人友人が少なかったこともあるのだが、それでも参列した者は恵介の為に涙を流した。お経をあげてるお坊さんの後ろで母親がハンカチで顔を覆いながら、泣いていたのが印象的だった。




 葬式も終わり、出棺。その後荼毘に付されて骨となり、母親に抱えられて自宅に帰った恵介である。母親のパート先は息子が亡くなったからと気を使ってくれて、四十九日が済むまでは休んでいいと申し出てくれた。しばらくして母親は四十九日を済ませ、父親が眠ってる田上家の納骨堂に恵介の遺骨を納めた。




 そして母親はパート先に辞める事を告げ、いつの間にか引っ越していったのであった・・・。

 

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