言われなきゃわからない

「「かんぱい」」



いつか行った大学の近くの居酒屋で、グラスを当て鳴らす。

詩は今日も生搾りレモンチューハイを注文していた。


だけど、今回のレモンの絞り方には、以前のような荒々しさはない。


ここまでの振る舞いで詩の怒りはほとんどないのであろうことがわかった。

とはいえ、いきなり「なんで怒ってたんですか」なんて核心の質問をするほどの勇気は出なかったので、まずは手頃な話題から始めることにした。



「それで、冬城さんは今日、どうして研究室にいらしたんです?」


「なぁに?私は研究室に行っちゃだめなの?」



ぷぅと頬を膨らませる詩。

この年齢でこれをやってなお、可愛い・綺麗を保てるのは、詩の美貌あってゆえであろう。



「す、すみません!そういう意味ではなくっ!」



慌てて訂正を入れる。



「うふふ。冗談よ。まったく、神夏磯くんはいつも可愛いわね」



少し頬を赤らめながら、大人の余裕らしきものを見せる詩に梨樹人の心臓は跳ねてしまう。



「か、可愛いとか。男が言われても嬉しくないですよっ!」


「えー、そうなの?」



そういって詩はクテっと首をかしげる。



い、いちいち可愛いなこの人は!

いつまでも振り回されるんじゃなく、まずは落ち着こう。



「それで、今回はなにかあって研究室にいらしたわけじゃないのですか?」


「あぁ、そうだったわね。特に意味があるタイミングというわけではないわ。

仕事の方がある程度落ち着いてきたから陣中御見舞に伺っただけよ」


「なるほど、そうでしたか」


「なぁに?不満なの?」


「いえいえ、なんでもないですよ!」


「もしかして、神夏磯くんに会いに来た、とか思った?」



ビクッ!!



図星だった。

もしかしたら、という気持ちがあった。

こうして飯に誘ってくれていることなんかから、そうじゃないか、そうだといいな、なんて思っていた。



「ふふ、図星なのね。やっぱり可愛い♫

でも、本当にただの陣中見舞いのつもりだったの。

実はもともと、神夏磯くんとはお話しないで帰るつもりだったの」



再び心臓が跳ねそうになる。

いい意味なのか、悪い意味なのか、まだ判断はつかない。



「その、ね?私達、しばらく険悪だったじゃない?」


「えぇ......そうでしたね。僕のせいで、すみませんでした......」


「だから今日も本当はそのままのつもりだったの」


「そうだったんですね。じゃあ、どうしてこうしてご飯に誘ってくださったんです?」



詩は「実はね......」と言って、その理由を話してくれた。


要約すると、吉田先生と話したときに、梨樹人が柚津と別れたこと、今は誰とも付き合ってないこと、それと少しの独り言(・・・)を詩に話したそうだ。



「〜〜〜〜〜〜なんてわざとらしくおっしゃっていてね。私ついつい笑っちゃったわ」



独り言の内容は、「神夏磯くんは今、大変な時期だろうから、どこかに支えてあげてくれる人がいればいいのになぁ」なんてわざとらしいものだったんだとか。

本当に先生は、お人好しというかおせっかいと言うか。



「それで、私も、本当は神夏磯くんと仲直りしたいなって思ってたから、今日勇気を出して声をかけてみたの」


「えっと、勇気をだして、というのは?」


「あれからいっぱい無視しちゃってたから、嫌われてるんじゃないかと思っていたの」



しょんぼりとした表情でつぶやく詩に、えも言われぬ庇護欲のようなものをそそられる。



「そんな!僕の方が冬城さんに嫌われてるんだろうな、とは思ってましたけど、僕が冬城さんのことを嫌うなんてありえませんよ!」


「そうなの?」


「そうですよ!むしろ......」



あのとき冬城さんを傷つけた自分に、「好きだ」なんて言う資格はないだろう。



そう思って続きを言うことはできない。

だからこそ、梨樹人の言葉尻はだんだん窄んで、最後には紡げなくなっていく。


ただ、詩は、この梨樹人の反応を受けて嬉しそうな顔を綻ばせる。



梨樹人は、ここまでの詩の反応で、なんとなく詩の気持ちに察しはついていた。

ただ人間とは弱い生き物だ。

長く続いた、これからも続けたい関係の相手においそれと気持ちは伝えられない。

大人になるほど、その気持ちに正直になるのが難しくなっていく。


そうは言っても、おそらく憧れの女性から好意を抱いてもらっているという推測と、この綺麗で可愛い女性ともっとお近づきになりたいという欲求は、前に進もうとする梨樹人を後押しする。


期待を込めた探りとして、最初はやめておいた繊細な話題を振ってみる。



「そ、そういえば、昔ここであの話をしてからですよね。冬城さんが僕に冷たくなったのって」


「そうね」


「何がそんなに冬城さんの琴線に触れたんでしょう」


「それも私に言わせるんだ。意地悪な人ね」



見透かされているようだ。

自分が卑怯にも探りを入れてることも、聞きたい答えも、自分自身の答えも。

このまま言わせてしまったら流石に男が廃るというものだ。



「そうですよね......すみません、まずは僕から言わせてください。

冬城さん、多分僕は冬城さんのことが好きです。

それに、あのころも、好きだったんだと思います」



とぎれとぎれではあるけど、言うべきだと思ったことは言えた。



「ふうぅぅぅん」



梨樹人に意味ありげなジトッとした目線を投げかける詩。

何を言いたいかは当然わかる。

「自分のことを好きだったのにどうして別の子とシたのか、付き合ったのか」と言いたいのだろう。



「あの、あのときは、なんていうか......その......」



問われていることは理解している。だけど、なんて答えて良いのかはわからない。


答えに迷っていると、不意に詩が「ふふっ」と笑って表情を崩す。


「ごめんないさい。からかいたくなっちゃっただけなの。

あなたがあの子に対して責任を取らないと、って思って行動したのはわかってるの。

だけど、私といい感じだったのに、他の子と付き合ってたってこととか、神夏磯くんが他の子とエッチなことしてるのが許せなくて」



いい感じだったんだ。僕の片思いだと思っていたのに。

それに何も言ってないのに察してくれた。すごい。

そういえばあのときも......。



「えと、そういえば、あの日もなんだか話す前から、色々察しているみたいに機嫌悪そうでしたよね。

僕の状況を知ってるみたいな物言いだった気がしてて......。勘違いだったらすみません......。

でもなんていうか、僕って、誘われたらすぐについていっちゃうような、既成事実作られたら終わりみたいなチョロいやつって思われてたんですかね?」



そう、あのときもなぜか全て察しているかのような問い詰め方をされた記憶がある。

あのときは自分も混乱が残っていたからそれほど気にはならなかったが、今思い返してみれば少し不自然だった気もする。



「あー、それね?

チョロいっていうか、優しすぎるとは思っていたのだけど...


そうじゃなくて、実はあの頃は神夏磯くんの荷物にね。盗聴器とGPSを仕込んでたの。

だから、神夏磯くんがあの子の家に行ったことも、そこでお薬を飲まされて眠らされて、その間にあの子が勝手にシたことも。

朝起きてからゴムを買いに行って、神夏磯くんが自分の意思でエッチしたことも、全部聞いてたのよ」








想像していなかった爆弾が投げつけられる。

衝撃的すぎた。


呆然として何も言えない梨樹人をおいて詩がさらに文句を続ける。



「前の日にはヨリは戻さない〜とか、ムカついた気持ちは残ってる〜、なんて言ってたのに、そんな子ともエッチできちゃう人なんだって思ったら、なんだかすごく腹が立っちゃって。

口も聞きたくない!って思ってたの。でも、あれから色々考えたんだ。


神夏磯くんは、場の雰囲気に流されて、快楽だけを求めてシたわけじゃないんじゃないかって。

ちゃんと責任を取ろうって決意したから、あの子だけの責任にするんじゃなくて、ちゃんとした関係になろうとしたんじゃないかって。


それでも、私がその横に居ないのがやるせなくて、話せないまま今日まで経っちゃったの」



凄く好意的に解釈してくれている。

そう思っていてくれれば都合はいい。

だけど、そのままでこれからも詩との関係を進めていくのは、梨樹人の心が許さなかった。



「確かにそういう気持ちもありましたけど、目先の快楽に流されたところも、あるにはあったと思います」



正直に気持ちを打ち明ける。



「わぉ、素直に言ってくれるんだ」


「このまま黙ってるのは、漢らしくないと思いまして......」


「うんうん、情けないけど、かっこいいよ」



満面の笑みで返してくれる。

罵倒される覚悟までしていた梨樹人にとっては拍子抜けで、嬉しい反応だった。



「正直に話してくれてありがとね。

私も、あのとき、あの子とご飯に行かないで私と居てって、素直に言えてたらなぁ。


伝わるものだと思っていたのだけど、そんなのわかるはずないわよね。


あぁあ、神夏磯くんのこと、好きって言えてたら、今頃もっと近い関係だったのになぁ」



在りし日のことを、なかった世界線を遠くに見つめるような目をする。


「それで、今、神夏磯くんはフリーなのよね?」


「はい、そうなんですけど......僕は、冬城さんのことが好きです」



相変わらず格好のつかない告白だけど、詩の表情は優しいまま。



「昔のことは、僕のせいで、ごめんなさい。

でもあのころから冬城さんは僕のあこがれでした。


冬城さん......僕と...『詩』...付き合って......え?」



「詩って呼んで?」



途中で詩に口を挟まれてさらに格好がつかなくなる。

ここまでダサくなればあとはそれほど変わらないかもしれない。

後は野となれ、だ。


「あ、わ、わかりました。

詩さん。僕と付き合っていただけませんか?」



そういえばここ、安い居酒屋だよな。

酒も入ってるし、雰囲気もクソもない。



あー、やっぱ告白、やり直したいなぁ。



多少の後悔の念に苛まれつつも、詩の返事を待つ。



「そうねぇ〜、じゃあ、私の機嫌をとってもらおうかしら。

私の好きなとこ、言ってみて?」



茶目っけをこめてウインクする。



恥ずかしい注文ではあるが、ここまでで十分恥はかいてきた。

少し増えるくらい、もはや気にはならない。



「そうですねぇ。

詩さんは昔から、僕のあこがれで素敵な女性でした。

僕には手の届かない高嶺の花だと思ってました。


美人で、今みたいないたずらも普段の仕草も可愛らしくて、僕たち後輩の面倒見もいいところ。

それに、匂いも身体も女性らしさで溢れてて、僕のことをいろいろ気遣ってくれるところとか、ですかね。


先輩で抜かせてもらった数も数え切れないです」



「お、思ったより直球で言うのね」



照れた様子の詩の表情に反して、梨樹人に照れはほとんどない。

どうもヒトはある程度恥ずかしさの限界を超えると悟りのような境地に至るようだ。



「けれど神夏磯くん、私、あの頃にあなたから素敵だなんて言われたこと無いわ」



先程までの悟りはあくまで一時的なものだったようで、ツッコまれると恥ずかしさが表面に出てくる。


「そ、そんなの恥ずかしくて言えなかったんですよ!

......ですけど、言わないと伝わるはずはないですよね......。

僕も素直に言えてたら、変わってたかもしれませんよね。


そういえば、なんかシレっと流しちゃってましたけど、言われたことないっていうの僕もあるんですけど」


「その質問は却下するわ」


「却下しないでくださいよ!」


「だめ」


「あの、盗聴とかGPS...『だめ』...とか......」


「そんなの聞いてなかったんですけど」


「だめよ?」



強い意志を感じる。

微笑んでるのに口元は笑ってない?


でも..................。



「そういう表情も素敵です」


「なっ......!そういう不意打ちは辞めなさい!」


「とにかく、盗聴とかは、してもらってもいいですけど、その場合は許可をとってもらいたいものです!」


「えぇ!しててもいいの!?」


「はい。冬城さん......じゃなかった。詩さんになら、知られて困ることはないですよ」


「うふふ、ありがと。でも盗聴はしないわ。だからこの話題はもう辞めましょうね?」



断固としてこの話題を終わらせたい意識を感じる。

うん、このあたりでやめよう。



「それで、僕の『好き』は合格......でしょうか......」



しばらく無言で見つめ合う時間があって、その後、詩がゆっくりと口を開く。








「私もずっと好きよ、神夏磯くん♥」

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