エピローグ
~小鴨藤丸~貸し切りステージ
~小鴨藤丸~
藤丸が学校に着いたのは午後3時過ぎであった。車を降りる時、藤丸は亀岡と依織にも校舎に入らないかと誘ってみたが「部外者は立ち入り禁止だ」との一点張りで、車は藤丸を置いて出発した。
始業式という事で学校は午前中に終了している。校庭や体育館で部活が盛んにやっているのは見えたが、校舎には人の気配がなかった。
まだ有紗と香恋は教室にいるのだろうかと思いながら、階段を上がり教室に向かうと確かに2人が教室の前方で待っていた。教室は何故か掃除の時間のように机がすべて後ろに下げられていて、前方に椅子が一つポツンと置いてある。
藤丸が教室に入ると、有紗が最初に気づいたようで「遅かったね、藤丸」としかめっ面をしている。
「頑張って来たんだ、許してくれ」
「お疲れ様、藤丸君」と香恋は優しく微笑んだ。
教室に入った時、藤丸はあることにあることに気がつく。
香恋と有紗は統一された衣装を着ている。しかし、以前のような練習着ではない。一見すると学校指定の半袖のブラウスとベージュのベスト、それにネイビーのスカートを着ているが、ベストにはアップリケが施されており、スカートには香恋は赤色、有紗には青色の大きなリボンが腰のあたりに付けられていた。
それは真由が2人のためだけに学校の制服を改造して作ってくれたもの。世界に2つしかない衣装は真由の拘りによって丁寧に施されているのが藤丸にも分かった。
「真由が私達のために全部ひとりで作ってくれたの」
「このスカートのリボンとか凄く可愛いでしょ、特にこの赤いリボン。私の髪留めと凄く合ってる」
練習着や浴衣では香恋は『青』有紗は『赤』というカラーで定着していたが、今回は逆であった。その理由は香恋の髪飾りが原因だ。
香恋は憧れの天河かぐやから貰った、お気に入りの赤い紐を前のように後ろで結いているのではなく、彼女の右眉の真上、前髪にリボン結びでヘアピンと一緒に取り付けられていた。赤いリボンとなったその紐は彼女が動くたびに、蝶のように舞っている。
嬉しそうに衣装を見せびらかす2人に藤丸はすでに心奪われていた。
「電話でも言ったけど、始業式のライブで恭子は照明と音楽を流してくれたし、充君は限られた始業式の時間に、ライブを見事なタイミングで始めさせてくれた。あと、ライブ中も藤丸の代わりにスマホで撮影してくれたの。仕方なくって感じだったけど、真由が充君を誉めたらご満悦な顔をしていたから大丈夫。そうやってみんなのお陰で私たちはライブが出来た」
「——じゃあ、動画は残っているのか」藤丸は嬉々とした表情を浮かべた。
「まあね、後で見せてもらいなよ……でも今日ここに呼び出したのはそれを報告することじゃないの」
「そうなのか……何か別の問題があったのか?」
藤丸は不安そうな顔で2人の様子を伺っている。しかし、両方とも少し恥ずかしそうな顔をするばかりでさっぱり分からなかった。
「——今日は始業式でライブを見られなかったこと、私たちのために今日まで頑張ってくれたことのお礼として藤丸君のためだけに『恋染ガールズ』の貸し切りライブをします」
お祭りでも、始業式でも藤丸は彼女たちのライブを見ることが出来なかった、だから香恋と有紗は藤丸だけのためのステージを教室に用意した。
香恋は頬を紅くさせると、髪に付いているリボンを一度締めなおす。
「あなたのためのステージなんだから、瞬きしないでライブを見てよね……そしてこれからも私達を支えて欲しい。この意味は藤丸に任せる……」
その後有紗は何か言いたげであったが、彼女も顔を紅くなってあたふたとしていた。
ライブを独り占めできる。ファンにとってこれほど嬉しいサプライズはない。
自分のためにこんなことを用意してくれた2人の想いをどうにか受け取ろうとするが、藤丸は気恥ずかしさで2人を直視することが出来ない。
「ライブはそんな困った顔して見るもんじゃないでしょ。私達が見せたかったステージ、届けたい歌、それをただ感じて欲しいから、藤丸は難しいこと考えてないでそこに座って目を輝かせてればいいの……」
有紗は挑発している様に話しているが、その言葉で2人の確かな気持ちが伝わった。
「そうだな……僕が見たかったのはこれだった」
一つだけ置いてあった椅子の意味を理解して藤丸が座ると、香恋のスマホからイントロが流れた。
少し懐かしささえ感じられる優しいメロディーが教室に流れている。
「この曲は私が作りました『プラタナス』です——」
香恋が説明した後、Aメロを2人で合わせて歌いだす。緩やかなメロディーに合わせて、体を滑らかに動かすその姿に藤丸はただ夢中になって見ていた。
『プラタナス』街路樹として街でよく見られる、ごく普通の木の名前が付けられた曲名。藤丸が以前話した事を参考にして香恋が『恋染ガールズ』の代表曲として誕生した。
プラタナスの花言葉は『天才』『好奇心』であるが、藤丸はその意味を理解していないし、する意味も今はない。
今はただこのステージを噛みしめていた——
藤丸はライブ中、声を上げないのがスタイルであった。他のファンがライブ中コールを挙げても、彼はライブそのものに神経を注いでいた。目の前に映る香恋と有紗の表情、動きだけでなく、2人の視線がどこに向かうのかも分かり。ライブ中藤丸は『恋染ガールズ』と目が合うたびに心臓が大きく跳ね上がった。
香恋も有紗も藤丸にとってはもうかけがえのない存在に思え、輝き気に満ちた2人の笑顔を見ると自分も笑顔になった。
耳も冴えわたっているのか、息が合った透明感のある2人の声と教室の床を踏むステップ、それと校庭から聞こえる部活の掛け声が聞こえてくる。それがライブ会場にいるようで、確かに学校にいると実感できる、不思議な気分が味わえていた。
他にも自分が流した手汗の感触や、2人が踊ることで巻き上がる教室の匂いを感じることが出来た。
天宮香恋が引退したことで、もうこの感覚は得られないと諦めていたがこうして実現した。
そして、曲が終わると香恋と有紗は息を切らしながら藤丸の元へ近づく。
「藤丸君……」
彼の右側に香恋。
「決めて欲しい」
そして、左側に有紗。
「「推しはどっち?」」
二人は同時に藤丸に手を差し伸べる。
究極の選択を迫られた藤丸であったが、ライブ後の満足感と幸福感が脳みそを支配して、考える暇もないし、そもそもどちらが好きだとか今は決められない。
小鴨藤丸にとって『恋染ガールズ』が世界のすべてになっていた。
推しの元アイドルと幼馴染で最強のユニットをつくろう 七味こう @kousichimi
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