~小鴨藤丸~スタートライン

~小鴨藤丸~


「おい本当か工藤、面白いのか?」

「ええ、素晴らしい」

 工藤は何度も首を縦に振って答えた。


 藤丸が差し出した本を予定通り工藤が読んで「面白い」と言ってから、確かに空気は変わっている。 

 殿塚は物欲しそうな目でその台本を一緒に見ようとしているが、工藤は腕を引いて台本を少しだけ広げて読んでいるせいで、彼は中身を一文字も見ることは出来ない。

「これは誰が書いたのですか?」

 工藤からはただ『面白い』の一言を貰えば、藤丸は写真を工藤に渡しただけの価値はあると、満足であった。しかし、そこにアドリブが加えられたのか、工藤は作者の事を聞いていた。


「仙道創という脚本家で、まだ若いのですが、去年脚本のコンペで大賞を受賞して、それがドラマ化したんですよ、まだ注目はされていないものの、僕は彼の時代が来ると思って、紹介させていただきました」

 藤丸が意気揚々と話し終わると、工藤は大げさなくらい驚いた表情を浮かべる。

「そんな方を紹介していただけるなんて、僕としてもいい話を聞きました。これを読むとなにか胸の奥が熱くなるような気がします。でもどうして小鴨君は仙道さんの脚本を持っているの?」

 工藤プロデューサーが不自然なまでに仙道に興味を示しているのはきっと、依織が追加で協力をお願いしてくれたのだろうと依織に感謝した。

 藤丸はそう考えていたが、実際に依織は『面白い』の一言だけを工藤からもらえる約束をしていたので、これは工藤の完全なアドリブである。

 しかし、それが良い方向に向かっているのは確かで、殿塚はこの部屋の中で上手い事コントロールされている。


「仙道と同じ職場で知り合いなんですよ、そこの職場ではもうすでにその腕が騒ぎになっているようですので、今のうちに抑えておいた方が良いですよ」

「それは面白い話だ。小鴨少年のお手柄というわけだな——」

 話に割り込んできた殿塚は軽快に笑いながら手を叩いた。その姿はトドみたいである。

「ええ、是非殿塚プロデューサーも」

 藤丸は頭を下げた。その姿は誠意を見せているが、ドラマ化されたのは衛星放送であり、職場で話題になっていると言ったことなんて、コンビニのおばあちゃん達が世間話で話しているだけである。


「どうですか……殿塚さんも読んでみませんか?」

 ようやく工藤が殿塚に台本を渡すと、受け取った彼は目を輝かせながら台本を読み始めた。

 藤丸は生唾をごくりと飲んだ。

 出来ることはやった、しかしこれまで積み重ねたことも、後は彼の感性次第で決まってしまう。つまらないと言われたらこの話が終わってしまう事だけは確かであった。


 殿塚は皆が見守る中、約10分間は台本に目を通していた。途中から彼の目つきは真剣になっており、今後の映画製作に活用できるか真剣に精査しているように見える。

「——素晴らしい。こんな脚本家が埋もれていたとは、私もまだまだな」

 殿塚はため息を漏らしながら台本をめくり続けながら呟く。

「ありがとうございます。では仙道創を後日紹介させていただきますので、また連絡させていただきたいと思います——」

 殿塚が脚本を絶賛すると、藤丸は彼の気持ちが変わらないようにするため早速交渉を進めようとしていた。しかし、急かされたと感じたのか殿塚は顔を渋らせた。


「それはまだ早すぎる。映画は製作委員会を立ち上げているから、私一人の判断では決められない……面白いとは思うが、まずはこの台本を持ちかえって、じっくりと話をした上で報告させてもらう」

 映画の製作は単独企業で作られたものと、複数の企業がお金と意見を出しあう制作委員会方式がある。製作委員会方式は金銭の負担を分けられることや、様々な企業とタイアップすることができるので宣伝の機会もそれだけ多くなるが、制作を続ける上で様々な人の承認を得なければならない。つまり殿塚一人が面白いと言っただけではまだ決定にはならないという事だ。


「そうですよね……もちろん、持ち帰ることも作者からの承認は貰っています。そしてそれを持ち帰っていただく代わりと言っては何ですが、天宮香恋の出禁を解除してください」

 藤丸の目的はただその一点のみであるが、殿塚はうんざりする。

「またその話か——」

「天宮香恋は貴方のせいでアイドルを辞めたんです。この交換条件は飲んでください」

「私が出来ることはエビステレビの出禁を解除することだけだ」

 殿塚が勤めているエビステレビから始まった天宮香恋の出入り禁止令は今では他のメディアにも浸透している。しかし、逆に殿塚が解除したところでメディアがそれに続くとは考えにくい。


 藤丸もそれは見越していた。そして、その対策を偶然ながらにも用意できることになった。

「いや——殿塚プロデューサーにはなんとしてでもやってもらいますよ。これを見ればわかるはずです」

 スマートフォンを取り出して、しばらく弄ると、とあるSNSの投稿画面が表示される。

「この記事を広めてもいいですか?」

 数十秒間殿塚はその画面に映し出された文字を追っていた。

「……やめろ」

 用意していたリーサルウェポンの効果は絶大で殿塚は額から一縷の汗が流れている。

 一瞬にして立場が変わった所を見せつけられた亀岡と依織は、殿塚に何を見せたと藤丸に訊ねる。すると、藤丸はスマホの画面を皆に見せる様に回した。

「これは『彩色マーメイド』メンバー朝霧静が書いた天宮香恋引退について真相が書かれた記事です。実際には世に出ていませんが、そこには殿塚プロデューサー制作番組で制作者と香恋で対立があり彼女は引退してしまったこと、メンバーは香恋に対して何も言えなかったことを後悔している旨が書かれています」

 『彩色マーメイド』朝霧静に用意してもらった記事を藤丸だけが持っており、藤丸が静に連絡をとればすぐにこの記事は世界中に広まる。

 この記事を書くと言い出したのは静の提案であった。天宮香恋がいなくなった『彩色マーメイド』が新たな一歩を踏み出すため、あの時香恋を裏切ってしまったことを謝るため、香恋が脱退した理由を気になっている藤丸のようなファンに納得してもらうため半年遅れて書き、これを何かに活用できないかと藤丸に持ち掛けた。


 藤丸が開設した『恋染ガールズ』の仕事募集用メールアドレスに先週、朝霧静の名前で協力したいとメールが入ってきた時は飛び上がるように驚いて、これは殿塚に条件を呑ませるために最終兵器として使えると静に感謝した。


 どうやら静の目的は早く『恋染ガールズ』が世に出てきて『彩色マーメイド』と競い合いたいというアイドルとしての正々堂々とした、闘争心からきている。そんなことを静の書いたメールの文面から読み取った藤丸は、協力してもらうことにした。

「まだ世に出ていないのか……良かった」

 煙草を肺に流し込む時よりも、深く息を吸って吐く殿塚は静の記事が出回った時に陥るリスクと藤丸の提案を飲むリスクを天秤にかけている。

「まあ殿塚プロデューサーの出方次第ですね。実は朝霧静が書いた香恋について書かれた記事は2つあります。1つはさっき見せた記事、しかし殿塚プロデューサーが他のメディアに出ている天宮香恋出禁令を解くように働きかけることを約束してくれれば、引退の真相は書かず『彩色マーメイド』のメンバー一人一人が引退した天宮香恋に激励の言葉を贈るだけの記事にします」


 すでに天宮香恋は『彩色マーメイド』のメンバーと和解はしている、その真相を世に出す必要はない。メンバーが引退した香恋に一言メッセージを送るだけで十分である。

「——分かった」

 殿塚が藤丸の協力を断れば引退の真相が世にまわってしまい、プロデューサーがアイドルにパワハラをしていたと、当然叩かれる。それは小さな騒動で自分ならなら握り潰せるかもしれない。しかし、今は丁度脚本家ゴーストライター騒動の対応で手いっぱいで、長年の勘から感じ取った。


「殿塚プロデューサーは天宮香恋の出禁令を解いて他のメディアにも同じことをしてもらう様に働きかける。その代わり、僕は仙道さんの脚本を渡す。それでいいですね」

 藤丸はその契約を態度として示してもらうため立ち上がり握手を要求した。

「ああ、そうさせてもらう。一体お前は天宮香恋のためにそこまでできる?」

 殿塚は思い腰を上げて、藤丸と握手を交わす。殿塚の質問なんて藤丸にとっては単純なものだ。すぐに答える。


「『恋染ガールズ』の大ファンですから」

 そのために『恋染ガールズ』を結成させて、デビューまで導く藤丸は紛れもなくプロデューサーである。そのことは同じ立場の殿塚が一番分かっている。


「次一緒に仕事をするときは楽しみだよ——」

 殿塚が藤丸の拳を強く握ると、快活に笑いながら手を放して個室サロンを後にしてゴルフ場へ向かって行った。


 藤丸は彼らが完全に姿が見えなくなった後も、その場で立ち尽くしていた。

「上手くいった……」

 藤丸はぼそっと呟く。すると、後ろにいた亀岡がポンと彼の肩を叩いた。

「ここからがスタートラインだ」

 その言葉の意味は藤丸が一番わかっている。


 香恋は殿塚に傷つけられてアイドルを辞めた。彼女にとっても藤丸にとっても一生忘れない出来事が、殿塚にとってはすでになんのことだかと忘れているような態度であった。こんな奴に仙道の脚本家を差し出して『恋染ガールズ』が芸能界に進出してもまた殿塚が権力を振り回すかもしれない。

 藤丸は振り返り、亀岡と依織の顔を見渡した。

 だけど、大丈夫——


「僕が守ります。それに今度は亀岡社長や依織ねーちゃんがいますから」

 藤丸は誰も傷つけないで天宮香恋を救い『恋染ガールズ』のデビューへと導いた。唯一殿塚が今日の事を根に持ち『恋染ガールズ』が芸能界に出た時に報復を受けてしまう危険性を鑑みてはいたが、最後に交わした握手から和解できたと感じた。

 依織はようやく緊張感が抜けたのかその反動で、藤丸に抱き着いた。


「もうどうなっちゃうのかと思ったよ——」

「暑いから放して……」

 異性に抱擁されたのは初めてで、従姉といえど藤丸は柔らかい体に包まれ赤面を浮かべた。

 そんな時であった、藤丸の携帯が鳴り始める。

 着信を確認すると有紗からであった。時刻を見るとちょうど始業式が終わるくらいの時間である。


「藤丸——ねえ、聞いてよ。私たちのステージ大盛り上がりだったよ、1曲の予定だったけど、アンコールもやっちゃったの。恭子が照明で照らしてくれたし、真由に作ってもらった衣装も可愛いの。本当のライブみたいだった」

 電話に出たと同時に勢いよく話し始めた有紗の声に驚いてしまったが、藤丸は目を閉じてそのライブを想像し始めた。

「そうか……僕も見たかったよ。それで、有紗は楽しかったのか」

「すっっっっごく楽しかった。ありがとう藤丸——」

 感想が聞けたところで会話が途切れた。スマホの画面を確認してもまだ着信中である。


 すると香恋の声がした。

「藤丸君、私も楽しかったよ。ここにきて本当に良かった。またアイドルをやれて良かった、ありがとう。藤丸君はどう?上手くいった?」

 心配してくれている香恋の声を感じると藤丸は、気を張って報告した。

「ああ、成功したみたい。これから2人もっと忙しくなるよ、俺はまた天宮香恋を見ることができるし、幼馴染の有紗も活躍してくれる……」

 2人を支える立場としての仕事はここで終わった、後はファンとして2人の活躍を楽しみたいと考えてしまうと少し寂しい気もした。

「ねえ、藤丸君、今から学校来てよ……会いたいよ。午前中で学校は終わるけど、教室で待っているから——」切ない香恋の声がした後に「私も待っているからね、女の子2人を待たせないでよ」と照れたような有紗の声が聞こえてきた。


 2人の求める声が聞こえた。藤丸に迷いはない。

「わかった、すぐに行くよ——」

 ここから学校までどのくらいかかるのかは藤丸にも分からないが、いち早く2人に会いたい気持ちが心の底から湧いてきた。

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