~唐沢依織~面白いと言ってもらうために
~唐沢依織~
工藤に「面白い」の一言を貰うため3日前、依織は『テレビべんてん』に訪れていた。
依織はマネージャーの仕事で日頃からこのテレビ局に出入りすることがあるが、待ち合わせ場所の食堂に訪れたのは退職以来であって少し懐かしい気がしている。
「こんなところに呼び出してすまないな、久しぶりに会うから旨いものでも食わせてやりたかったがなにせ忙しくて」
待ち合わせの時刻から5分ほど遅れて工藤が現れた、お昼を完全に過ぎている時間帯であったが、彼の持つトレイにはカレーライスと小さなうどんが置かれている。
「こちらこそ、工藤プロデューサーがいつも忙しいのは知っているのに急に連絡をして、会う約束を頂いて、申し訳ないです」
「いいんだよ、そういえば。唐沢さんここ辞めてから敏腕マネージャーとして活躍しているって、こっちでも噂になっているよ」
「そんなことないですよ——まだまだ分からない事ばかりです」
依織は謙遜した表情で答えると、封筒から一枚の写真を取り出して本題に入ろうとした。
「……それが、僕に見せたかったものか?」
「はい、既にこの情報をご存じでいたら申し訳ないですが、まずは工藤プロデューサーに見てもらいたいと思いまして」
依織は恐る恐る一枚の写真を差し出した。
「おいおい、こりゃ驚いたな……唐沢さんがここで芸能部の記者やっていたら、今年のスクープ大賞は君だよ。一体どこで撮ったの?」
工藤は目を丸くさせながら、その写真とそれを持ってきた依織を交互に見つめていた。
「えっと、この写真は先月都内の遊園地で撮影されたものなんですが、正直に言うと撮ったのは私ではありません。高校生のいとこがたまたま芸能人カップルの写真を撮影したものです」
依織が藤丸に託されたその写真は、今人気沸騰中の俳優と女優がマスクをつけて人目をはばかりながらも寄り添っている写真であった。これを撮った藤丸もその時有紗に寄り添われていたが、2人が芸能人の誰かであるか特定できるほど写真には鮮明に映っている。
「去年のドラマで共演してから、交際報道が出てはいたが、まったく証拠がなかった……それなのに高校生がこんなに堂々とイチャついている所を撮れるとは……」
工藤は芸能関連の報道を扱っている者の一人として、その矜持が脅かされていたようであった。
藤丸がその芸能人の名前が思い出せないから、いつか確認できるように撮影しておこうという経緯で撮影して保存しておいた事を依織は本人から聞いていたが、工藤の落ち込みを見てそんなラッキー話を言うことは出来なかった。
「良かったら使ってくださいよ。お役に立てると思って持ってきましたから」
「匿名で良いし、小遣いも渡すから今度その彼に詳細を聞かせてくれ……もちろん他の所には持って行かないで欲しい……」
工藤は顔をきょろきょろとして、注意を払いながら写真を伏せた。
「本人からはお金はいらないし今後も協力すると言っているので、その代わりに彼と私の事務所に協力してください——」
工藤は割り箸を割って、不敵な笑みを浮かべた。
「ほう、少しきな臭い話になりそうだね……言ってみなさい」
時間が経って汁が吸ってしまっているうどんを啜りながら依織の話を待った。
「来週、エビステレビの殿塚プロデューサーとゴルフコースを周ると聞きました。そこに兎亀芸能事務所の社長と私、そしてその写真を撮影した小鴨という少年が飛び込みで話を持ち込みに行きます。工藤プロデューサーはそこで私達の味方をして欲しいです」
「殿塚さんと関係があるのか、あの人はなかなか手ごわいぞ。具体的に私は何をすればいい?」
少し驚いた顔をみせながら聞いてきた工藤だったが、食べるスピードは落ちていない。
「私がお願いしたい事は2つ。1つ目はゴルフをする前に私達が商談出来る時間を頂くこと。2つ目は商談の時、ある本を殿塚プロデューサーに勧めます、突然渡すことになるので彼は動揺すると思います。その時読むのを拒否したり、躊躇した場合は工藤プロデューサーが代わりに受け取って読んで下さい。そして……これが大事です。必ず『面白い』と言ってください」
依織の具体的な指令を聞いた彼はすこしむせると、口角を上げた。
「簡単そうに見えて難しいね、つまり僕のお墨付きが欲しいと」
「はい、ただそれをして下さるだけで十分です。詳しくは言えませんが工藤プロデューサーの協力があれば私達のやろうとしている計画の成功率は格段に上がります。なので、この写真の代わりに協力して下さい」
工藤はしばらくの間、考えている顔をした。この写真の価値と殿塚プロデューサーとの信頼を天秤にかけている様に依織は見えた。
「まあ、何をするのかは分からないけど協力しようじゃないか。君たちに時間をあげて、殿塚さんにその本に興味を持ってもらうために僕が『面白い』と言うだけだ。唐沢さんが深い事情を言わない以上、その後彼が読むのか、それを面白いと言うか、その責任を僕は持たなくていい。そういうことだろう」
工藤の察しの良さのお陰で話がまとまった。
「とどのつまり、そういうことです。工藤プロデューサーにはご迷惑かけないように努めます」
依織は頭を下げると、写真を封筒に戻して、それごと差し出す。工藤は満足そうな顔を浮かべた。
「唐沢さんがここで働いている所を見た時に一生懸命ながらも、仕事が好きになれずに疲れている印象を勝手に持っていたけど、今の君は楽しそうだ」
「昔の私はそんな顔していましたか……あの時だって憧れのテレビの仕事が出来て私なりに頑張っていたつもりでした……だけど伝えたいものが見つけられなかったのです、すいません」
昔からテレビばかり見ていた依織にとってはテレビ局で働くことは第一志望であった。
内定を貰った時は、テレビを見てくれる人に楽しいことも、面白いことも、現実の事実を、時には悲しいことも伝えたいという気持ちが溢れていた。
そんな仕事を一年で辞めたのは仕事のスピード感についていけなかったからだ。どこよりも早く一番に現場に乗り出して、取材をしようと、常に神経を張り巡らしていた。それが当たり前の世界であり、体力自慢の依織もくらいついていた。
しかし、依織はある取材で現場を目の当たりした自分は何を思ったのか、それをどう視聴者に伝えたいのかを考えるのを放棄していたことに気がついた。体はついて行けても心はついて行けていなかった。
一度そんな事を考えてしまうと、足が動かなくなった依織は、会社を辞めた。それでも、芸能界には関わりたいと、今の事務所を紹介して貰ったのだった。
「今はちゃんと伝えたいものがあるんだね」
「あります——けど今は危ない橋を渡っている最中で、自信はないです」
『恋染ガールズ』の映像を見た時は天宮香恋の事情を知っていても、沢山の人にこの2人を知って欲しいと思うほど強烈な印象があった。だけど、芸能界を支えてきた大物に一言申すという、危ない橋を渡ってまでやりたい事なのか今でも判断は出来ない。それでも、このまま終わってしまうのも、他の事務所に取られるのも嫌で、同じ事務所で仕事をしたいと思った依織は、あの時社長に藤丸を会わせたのだった。
「危ない橋ねえ——僕も久しぶりに渡ってみようかな、君たちのために」
工藤がそう言ってしまうのも、突っ込み事案の藤丸のせいであるが、自分もまたその乗せられた沢山の人の中の一人であることを悟り、依織はくすくすと笑った。
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