~小鴨藤丸~ゴルフ場での戦い

 ~小鴨藤丸~

 夏休みが終わった事を告げる9月1日の校長先生スピーチ、まだ暑さが残る体育館に集められた生徒は皆、また学校が始まる少しの期待と夏の思い出を引きずっているような複雑な顔をしていた。


 この2学期が始まる日に藤丸は学校を休んだ。彼だけはまだ夏休み気分でいれるはずであるが、学校に行きたくて仕方がなかった。これから体育館は大盛り上がりになるはずなのに何故この日に自分はゴルフ場にいるのか、そもそも大人が呑気に平日、ゴルフをするなと半ば八つ当たりのような気持ちで苛立っている。

 ゴルフ場に併設されているクラブハウスの窓から、真っ青な芝を眺めても藤丸はそんな気持ちを抑え込むことが出来なかった。


「小鴨君まさかここにきてビビってる?」

 亀岡社長はギラついたサングラスを外しながら藤丸に顔を向けた。

「そうじゃないです。よりやる気が出ています」

 埼玉の飯能市にあるとあるこのゴルフ場まで事務所の車を使って依織の運転で来た。その道中も藤丸の口数は少なかった。

「それは良かった。彼らは10時からコースの予約を取っているらしいから、もう少しで来ると思うぞ」

「私は緊張しますね。間違いなく人生で一番でしょう」

 ビビっているのは依織であり、クラブハウスに到着するまでのパーキングで何回かトイレに行っている。

「工藤プロデューサーにはちゃんと話せたんだろ?」


 工藤プロデューサーを味方につける事について、藤丸は依織にすべて任せていた。元テレビべんてんの社員だった依織と2人で話をしてもらった方が、交渉がしやすいと思い、藤丸は使えそうな餌を彼女に託していた。

「それは大丈夫だよ……芸能界は信頼で成り立っている——はずだからね」

「そうか……本当にありがとう」

 高校生の藤丸は計画の首謀者としてゴルフ場に来たものの、亀岡と依織のコネクションを利用しなければ今日の交渉は実現しなかった。

 時刻は9時半を回ったところである。殿塚プロデューサーと工藤プロデューサーがこのクラブハウスに訪れてコースを回る前に話を持ち込めるかが勝負であり、彼らが来るのをただじっと、ロビーのソファーに座りながら待っていた。


 彼らがクラブハウスに訪れたのはその5分後の事であった。自動ドアが開いた時にゴルフバックを持った中年男性2人と付き人らしき人が2人ついている。

「堂々と自信を持って行くぞ、できなくても演じろ——」

 亀岡が立ち上がり、先陣を切って入口に向かうと藤丸と依織も踏み出した。

「これはこれは、殿塚プロデューサーと工藤プロデューサーではないですか」

 ニコニコした笑顔で亀岡は彼らに近づいた。殿塚もこちらに気がついたようでビジネススマイルを浮かべている。


 殿塚は丸い体型であるが、背の高さはかなりあるので、藤丸は彼に近づくと妙な威圧感があった。同時にこいつが香恋を芸能界から追い出した張本人であると思うと、怒りが湧いてくる。

 工藤の方は殿塚と同じくらいの背丈であったが、決して頼りがいがあるとは見た目からでは言えない、ひょろりとした体形であった。

「兎亀芸能事務所の亀岡社長ではないですか、貴方も今日このコースを巡るつもりですか?でも、そのお姿じゃ汚れてしまいますな」

 亀岡たちはゴルフをするためのウェアを着ていない。亀岡と依織はスーツを着ているし、藤丸は親に学校に行くふりをしてここに来たので制服姿だった。彼らの目的はゴルフをすることではないので、殿塚は場所に似つかない姿で来た彼らを不自然に感じていた。

「今日はですね、殿塚さんにいい話を持ってきたので、早く知らせたいと思いここまで来てしまいました」

「……それは困った。私はゴルフ場に仕事の話を持ち込みたくはないので、悪いですが日を改めて頂けますか?」

 接待などの会食を日ごろ行う立場である殿塚にとって、こういう突然の持ち込みは慣れているのか、亀岡の話に関心を寄せていない。困ったような顔を浮かべながら、亀岡をスルーして受付の方へ歩き出そうとする。


 しかし、そこで工藤が彼を止めた。

「すいません、殿塚さん。実は亀岡さんにゴルフをやることを伝えたのは僕なんですよ。内容は分かりませんが、殿塚さんのためになる話があると、あちらの唐沢という者が私に持ち掛けてきました。それで元部下という縁もあって教えてしまいました。ここは僕の顔を立てて少し話を聞いてもらえないでしょうか?」

 名前を振られた依織は、ぎこちなく笑いながら「こんにちは」と殿塚に挨拶をする。

 亀岡と依織の態度が異常に低い。それを見た藤丸はテレビ局と芸能事務所の力関係を感じる。


 工藤の手がそっと殿塚の肩に置かれて、話を聞くように諭しており、彼の屈託のない笑みにつられた殿塚は付き人に待つように指示をした。

「そこまで言われれば仕方ない。でもここで話すのはまずい話ではないのか?」

「個室サロンを予約しているので、冷たいコーヒーを飲みながら話しましょう」

 大手を振るって亀岡は2人を案内した。とりあえず、腰を据えて話す機会を貰えたことに藤丸はほっと胸を撫でおろしていると、前の方で殿塚をエスコートしていた工藤が振り返り、目が合うと小さく頷いていた。


 依織と亀岡は個室サロンに殿塚と工藤を招き入れ、最後に藤丸が部屋に入ろうとした。

「お前は何者なんだ、まだ子どもじゃないか、この話となんの関係がある?」

「えっと、すみません。僕も参加したいです」

 付き人はロビーで待たせているのに、明らかにこの中では年下で格下の藤丸がこの場にいるのはどうもおかしいと殿塚は不満を漏らした。

「——私達に利益をもたらしてくれる存在ですよ」

 亀岡の説得もあり、藤丸は個室に入れて貰えた。個室といっても椅子が対になって並べられている会議室のような場所。そこに藤丸は堂々と真ん中に座った。


「僕は小鴨藤丸高校生ですが『恋染ガールズ』というアイドルグループのプロデューサーをしています。まずはお座りください」

 ここからは小鴨藤丸の闘いである。闘いの行方を託した亀岡と依織は藤丸の両脇に座り闘いを見守る。

 舐められないように、自分も殿塚と同じプロデューサーという肩書を名乗って見せ、高校生のお遊びだと感じ半笑いを見せる。

「一体何なんだ、亀岡さん、おふざけならいい加減やめませんか?」


 殿塚は肩をすくめる。

「まあまあ、話せば分かりますよ」

 不敵な笑みを見せながら諭すと、殿塚は嫌そうな顔を浮かべながら、ゴルフウェアの胸ポケットに入っているラークを取り出す。煙草を一本吸うくらいの時間は貰えたことに藤丸はほっとして一度深呼吸を挟んで始めた。


「お時間も限られているようなので、話させてもらいます。殿塚プロデューサーには天宮香恋のテレビ局への出入り禁止の解除をお願いしたくて参りました」

 早速藤丸の希望を殿塚に伝えたが、当人は首を傾げる。

「天宮香恋って誰だ?」

 殿塚が香恋に対して与えた制裁について、本人が反省しているなんてこと藤丸は期待していない。しかし、その人物を覚えてすらいないような反応であった。


「天宮香恋はアイドルです。去年までは『彩色マーメイド』というグループで活動しておりました」

 気を持ち直して香恋の事を思い出させようとするが、まだパッとしない表情である。

「覚えているか? 工藤さん、私は名前を聞いてもさっぱりだよ」

 へらへらと笑いながら、殿塚は横に座る工藤に訊ねる。

「あの子じゃないですかね、確か殿塚さんは去年くらいに深夜で放送していたアイドル番組のプロデューサーをやっていたじゃないですか、その時メンバーの一人が貴方に文句を言いに来たっていう女の子の名前が天宮香恋だったような——」

 工藤の説明でようやく思い出したのか、殿塚は何度も頷いていた。


「ああ、どっかの現場で急にそのアイドルが私に文句を言われたことがある、それで……私が番組制作のイロハを教えてあげようとしたら急に泣き出して引退までした子だ。そんなこともあったな——」

 ふざけるな——


 まるで武勇伝を話すような語り口調に藤丸は吐き気を催した。

「天宮香恋は今度2人ユニットを結成する予定で、来月にはユニット結成の正式な活動をしたいと思っています」

 怒りの矛先を向けたい人間である諸悪の根源が目の前にいる。しかし、ここでそうしてしまえば今まで用意してきたものが無駄になると、冷静になった。

 しかし、冷静をまたかき乱すかのように、殿塚は挑戦的な目線を藤丸に送る。

「俺がもし嫌だと言ったら?」

 殿塚は机に身を乗り出して、藤丸に煙草の煙を吐きかける。思わずせき込み、生理的に涙がこみ上げてきたが、殿塚と目を離すことはしなかった。

「次の話を聞けば、そんなこと言えないと思いますよ」


 鞄から仙道が書き上げた脚本を取り出して机に置く。

「殿塚プロデューサーは映画の製作をする計画を進めていたようですが、それが最近、脚本家の不祥事で振り出しに戻ったとニュースで拝見致しまた……そこで微力ながらお手伝いをさせていただけないかと」

 殿塚は不意に心配事を思い出したのか、藤丸から目を逸らした。

「……今もオリジナルの映画作品を作ろうと諦めずに面白い脚本を書ける人材を探している。だがガキには関係ないだろ」

 殿塚はズシっという音と共に椅子に深く沈み込んだ。

「まだやはりまだ決まってはいないのですね。それは僕からすれば吉報ですよ、何故ならこれから人気が出るであろう脚本家を紹介させて頂きたくて、ここに参りました。その脚本家は残念ながら今日は来ていませんが、渾身の物語を持って来ています。それを読んでいただきたいのですが」

「審査なんかしないぞ、今日はゴルフをしにきた」

 高校生が持って来た台本一つに動揺なんかしていられない。相変わらず殿塚は椅子にふんぞり返っている。


「冒頭だけでも読みませんか、最初の主人公とヒロインの会話とかセンスがあって面白いですよ。ノリは軽いと思いますが、最近の若い人はこういうのが好きだと思いますし、なんとこの脚本家とあるコンペで大賞をとったばかりの期待の新人です」

 少々上から目線の発言の様な気がする自覚があったが、藤丸はセールスポイントを伝えた。


 すると、『若い人』『コンペで大賞』『期待の新人』というワードが出た時、殿塚の眉が少しだけ動いたのが藤丸にも分かった。しかし、藤丸が仙道の脚本を両手で差し出しても、それを受取ろうとしなかった。


「では僕が拝見させてもらいましょうか」


 嫌味のない笑いを浮かべる工藤が、その本を受け取って最初のページを読んだ後、ぱらぱらとめくり始める。

「これは面白いですよ!」

 その反応を見て殿塚は、工藤が持っている台本をちらりと見ようと目を細くした。その反応を見た依織と藤丸はにやりと笑う。

 お魚が引っかかるまでもう少しだと、藤丸は辛抱を重ねる。

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