~小鴨藤丸~社長の決断
~小鴨藤丸~
東京都渋谷区に建つ中層ビルのワンフロアに唐沢依織が勤めている『兎亀芸能事務所』がある。タレント、スタッフ合わせて50人ほどの事務所で、芸能界からの評価は『粒ぞろい』という評価受けたり受けなかったりしている。そんな事務所をまとめているのは自身もカメラに出る側だった元俳優の社長亀岡新明である。
藤丸と香恋は夏休み終了まであと10日を切った日に、亀岡と会う約束を取り付けた。
高校生が芸能事務所の社長と会うことは異例であるが、藤丸はマネージャーとして働いている依織に夢を諦めないことを伝えたところ、彼女も一度社長が藤丸に会いたいと言っていたことを思い出して、アポイントを取り付けてくれた。
藤丸が社長室に入った時、一度掃除で入った校長室に似ていると思いながら、ガラスケースの飾られたトロフィーや文字が彫られているクリスタルを興味津々に見ていた。
「これ、なんの記念で貰った物だろうね」
「うーんなんだろうね……というか緊張してないの?」
藤丸はこれからする商談について落ち着かない様子であり、どちらかというとワクワクしている。
そうして待っていると、依織と亀岡社長が入室した。
「やあ、待たせたね。君が噂の小鴨君だね、横にいるのは天宮香恋さん」
「忙しい中、お時間を頂きましてありがとうございます」
藤丸と香恋は立ち上がり、かしこまりながらお辞儀をすると、社長に座るように促され、4人はほぼ同時に座った。
「何か私に提案があると聞いているけど、早速それを聞かせてもらってもいいかな」
どっしりとソファーに座り込んだ亀岡は試すような視線で藤丸を見つめる。
藤丸は臆せず前のめりになりながら本題に入った。
「ここにいる天宮香恋は僕の幼馴染である染川有紗の2人で『恋染ガールズ』というユニット名でアイドル活動をしています。その2人を兎亀芸能事務所の所属アイドルとして受け入れて頂きたく、今日は参りました」
香恋に対する芸能界での現在の待遇を知っている亀岡は隠すことなく怪訝な顔をした。
「本人の前で言うのは心苦しいけど、天宮香恋に関するある事情を唐沢さんから聞いたでしょ? それは出来ない事くらいは知っているよね。それに、染川さんは今日ここにはいないのかな?」
「染川は今日外せない用事がありまして、ここに来ることが出来ませんが、次は必ず挨拶させていただきます。そして壁となっている天宮香恋の問題を僕の案で解決することが出来ると社長に約束しに来ました」
「次ねえ……ずいぶん自信があるようだ」
「私は染川有紗さんに会ったことがあります。めちゃくちゃ可愛いことは保証しますよ。そして私は先に作戦を聞いてしまいました」
すでに依織には仙道という男の脚本を殿塚プロデューサーに提供して香恋の出禁令を解除してもらう作戦を伝えている。藤丸は先に話しておいた方が円滑に話を進められると思って話したが、依織は社長の下で働く会社員のため、トップの判断に任せるとだけ言って素っ気ない様子であった。
「唐沢さんはもう知っているのか……正直にどう思った?」
社長が依織に訊ねるが、彼女はもったいぶる。
「この作戦を社長に伝える条件は、天宮香恋の出禁が解けた暁には、2人を事務所に受け入れることを約束してからだと、小鴨が言っていました。そういう約束なので、申し訳ありませんがまだ言えません。ですが、私は2人の写真や動画を見て間違いなく売れると思います」
依織が香恋と有紗の率直な意見を社長に話してくれたことが藤丸は嬉しかった。
藤丸はこのタイミングで履歴書とスマホに保存してある2人のパフォーマンス動画を見せることにした。
社長は口元に手を抑えながら、じっと書類を見つめている。そして藤丸からスマートフォンを受け取り、映像を見始めた。社長は画面に集中しすぎて部屋にいる3人のことを忘れているようであった。
藤丸も依織も香恋も社長の第一声をじっと待ちわびていた。
「たしかに……2人とも可愛い。パフォーマンスもちゃんとトレーナーに指導してもらえればもう一段高みに行ける。私個人としてもこの人材がメディアに出られないのはもったいないと思う」
その感想に藤丸と依織の顔がパーッと明るくなり、香恋は照れくさそうな顔をした
。
「ありがとうございます——」藤丸が先にお礼を言うと2人も続いた。
「——しかし、作戦があるなら何故それを先に実行しないのだ、天宮香恋の出禁が解ければいくらでも話が出来たのに……」
藤丸はその疑問がくるのを待っていた。そのため、食い気味に説明し始めた。
「それは殿塚プロデューサーと話がしたいからです。僕達だけではどうしたって殿塚プロデューサーに近づけない。だからこの作戦を実行にするにあたり、協力してくれる事務所が必要だと判断したのでこういう形でお願いしております。はっきり言いますと、この作戦に乗ってくれるかつ、殿塚プロデューサーと接触できるある程度の地位のある事務所であればどこだって大丈夫です。いとこの唐沢さんがいたから最初に声をかけさせていただきましたが、断られればこの話は他の所に持っていきます」
藤丸の大胆で焚きつけられるような言い草を聞き終わると亀岡は思いつめた顔で立ち上がり、トロフィーが置いてあるガラスケースに近づく。
亀岡は憂う顔をしながら独り言のように話し始めた。
「このトロフィーや賞状は、私が俳優をやっていた時に貰ったものもあるが、ほとんどは所属している俳優や芸人、そしてタレントの活躍によって頂いたものだ。これが社会様からの評価であると自信をもっている。そして私はこの事務所を一生懸命に盛り上げようとしているすべての者を守らなければならない、いまはそれが私の仕事だ。だから、危ない橋は渡れない。エビステレビや殿塚プロデューサーに対して、その作戦によっては敵対してしまうからだ」
藤丸は会社のトップに立ち、先導しながら守る人間としての真摯な意見を聞いた。しかし藤丸は引き下がらない。立ちあがり社長に近づく。
「僕は決して向こうに対して復讐をしたいとか、香恋にしたことを償わせようとは考えていません。あくまで和解する方向です。穏便に済ませられることをお約束します。そして僕はあなたのその事務所に対する想いを聞いてより『恋染ガールズ』がここに所属して欲しいと思いました、だからもう一度考えて下さい」
「2人が事務所に入ればきっと盛り上がります。社長が大好きな事務所が、これからさらなる発展が見込めるのに、その機会を逃してもいいのですか?」
依織も立ち上がり、藤丸とで亀岡を挟み込んでいた。藤丸と依織としてはこれ以上言えることはなく、ただじっと回答が修正をされるのを望んでいる様子である。
社長室が静まり返ったその時だった。ずっと沈黙をしていた香恋もついに立ち上がり、社長に頭を下げた。
「私は亀岡社長の娘様、天河かぐやさんの大ファンです。今でもよくユニットやソロの曲を聞いています。幼い頃私が迷子になった時にかぐやさんに抱き上げられて、ステージに連れてってくれました。私が迷子でも不安にならないように、楽しめるように、そのライブを一番近くで見せてくれた。ライブ中にかぐやさんが私の名前を叫んで両親を見つけてくれた。そして、私にこれをくれた……」
香恋は持ってきていたポシェットの中から紐を取り出すと、それを社長に見せた。
「かぐやの事を知っているのか……」
社長はよろめきながら香恋に近づくと両肩を抑えて顔を見つめていた。
香恋は両肩を抑えられて少し怯えていたが、まだ伝えたいことがあるのか、見つめ合っている。
「私はかぐやさんのステージを見てから、アイドルに憧れました。私はまだアイドルを続けたいです。でも、今日はかぐやさんのお父さんにお礼を言えて良かったです。それだけでも来る意味がありました……」
藤丸自身こんな話を香恋が用意していたことは知らなかった。この話が事態を乗り切るために用意した嘘とは思えないが、あまりにも奇妙で運命的な話であったため藤丸は黙って香恋の話を聞いていた。そして同時に香恋がずっと大切に持っていて、自分が必死になって探した紐の意味が少しだけ分かった気がした。
「ちょっと待ってください、どういうこと……」
話が一口も飲み込めない依織は首を傾げていると、社長が藤丸と依織の方に向いた。
「私の娘が昔アイドルをやっていた。娘の名前は『天河かぐや』母方の姓を使っていたからあまり知られてはいないが、天宮さんは知っていたんだね」
「はい、私はずっと追いかけていましたから、引退されたのは残念ですが——」
「私もずっと応援していたよ……嫁と離婚して、あまり娘には合わせてくれなかったが、娘のライブにはたまに行っていた。まさか、天宮香恋が私の娘影響でアイドルを目指していたとはね……」
おもむろに財布から、折りたたまれた写真を取り出して、涙を流し始める。
「……社長、もしかして泣いてます?」
二枚目の中年男子が泣いている姿をただ茫然と見守っていると、ついに社長は涙を拭った。
「小鴨君。君は噂通り、なかなか面白い奴だね。まさかこんな切り札を用意していたとは……参ったよ。娘の話を持ち出されたら、父親の私が断るわけにはいかない」
藤丸自身も初めて聞いた話であったが、計画通りであると見せかけるためにどや顔を見せる。
「では、交渉成立という事で良いですね。メディア全体が出している天宮香恋のオファーNG令を殿塚プロデューサーと和解して解除してもらった後は、『恋染ガールズ』を事務所に入れて頂けますね。そして、その手伝いをしていただけますね——」
社長は笑顔で藤丸に手を差し伸べた。
「社長としてこれから『恋染ガールズ』の2人を責任持って預かろう」
藤丸は亀岡と握手を交わして協力関係を改めて示した。
「では、作戦の話をしていきます。これは亀岡社長の協力が不可欠になってくるのでよく聞いてください」
4人は再びソファーに座ると、その計画の全貌を藤丸は話し始めた。
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