~小鴨藤丸~芸能界での暗黙の掟

 ~小鴨藤丸~


 藤丸は『恋染ガールズ』が不合格の理由を教えて貰うために依織に東京に来るように呼び出されて、ビジネス街である新橋に足を踏み入れている。

 平日昼間の新橋はサラリーマンが汗を垂らしながら、足早に歩いている姿が多く目についた。高くそびえたつビルの谷間に構えている古い雑居ビルの一階、昔からやっているような純喫茶の窓から藤丸はぼーっと外を眺めていた。


 間もなく窓の外から依織が走ってくるのが見えて、そのままお店のドアを勢いよく開ける。

「藤丸お待たせ、ちょっとアイスラテ頼んでおいて……あとナポリタン」

 入店して椅子に座った直後、依織は自分の顔に向かって手をパタパタと仰ぎ始めた。

 依織はベージュ色でまとまったオフィスカジュアルスーツを着こなしている。大人っぽい姿に、いとこの立場である藤丸でさえ少しどきりとしてしまった。


 依織はスタイルが良い。よく食べる女性ではあったが、その分体は動かす。

 大学時代までバレーに打ち込んで、その体育会系精神を忘れることなく忙しい社会人となった。過去に藤丸の母が依織にスタイル維持の秘訣を聞いていたところ「過労」と話していたのが藤丸に印象的であった。

 依織が顔を仰いでいる間に、藤丸は店員にアイラテとナポリタンを注文し終わると、東京に行ってまで聞きたかった事を早速問う。


「昨日の話、詳しく教えてくれるんだろうね。あれだけじゃ納得いかないし。僕はわざわざ鴻巣から来たんだ」

「だいぶ言うようになってきたねいとこよ。頼もしくなった証拠かな——」

 彼女はまだ話す気がないようで不敵な笑みを浮かべた。その後はしばらく沈黙が続いたが、カフェラテが運ばれてくると、喜びに満ちた表情で依織はストローで吸い上げる。完全に依織のペースであった。


「藤丸が前に殿塚プロデューサーを調べて欲しいと言った件とも繋がる話だけどね、天宮香恋の復活はあり得ない。これは覆せない芸能界の事実、藤丸がどう頑張ろうと、貴方が望む結果にはならない」

 依織の言い方に少し藤丸は違和感を持った。依織個人の意見ではなく、芸能界にいるものとしての見解の様に聞こえたからだ。しかし、藤丸にも香恋の事情は分かっているつもりである。


「殿塚プロデューサーから怒りを買って、そこのテレビ局から出入り禁止にされた話は知っている。それで事務所から疎まれてアイドルを辞めることになった。けど、香恋は悪くない。悪いのは彼女を責めた奴らだ」


 熱のこもった藤丸の意見を聞いた依織は空虚な目で、どこかを見ながら呟いた。

「残念だけど、芸能界にそんな言い分通じないよ。天宮香恋がプロデューサーを怒らせた罪は大きい……彼女はエビステレビからではなく、芸能界からすべてに締め出された」


「どういうことだ?」


 天宮香恋は殿塚が勤めているテレビ局に締め出された、という事実しか知らなかった藤丸にとっては、依織の最後の発言に違和感を覚える。

「番組プロデューサーの殿塚さんがエビステレビだけの出入り禁止を命じた。これが発端となったのは確かだけど、その一声が連鎖的に広がってテレビ局、ラジオ局、その他メディア関係が次々と天宮香恋に対してのオファーNGを出した。だから天宮香恋に仕事はもうこない。だから彼女が辞めた辞めないはもはや関係ない……」

 藤丸にとってその事実は大きく理解しがたいものであった。同時に芸能界に出るという大きな目標が頭の中で崩れ始める。


「一人の番組プロデューサーがそんなことできるのか」

「信頼で成り立っている業界だからね、一つのテレビ局がある人を問題ありとして出入り禁止を出した場合、その事実はすぐに他のメディアにも広がるよ……」


 依織自身もこの話を亀岡社長から聞いた時は耳を疑ってしまったが芸能界に携わる一人として飲み込んでいた。

「彼女はそんなこと言っていなかった。プロデューサーから怒られて、番組の収録から降ろされた日に事務所を辞める決意をしたんだ」

 あの日河川敷で香恋が話してくれたことだけが藤丸にとっての真実であると思っていたし、あの話以上に悪い状況があったなんて聞きたくなかった。


「だから、彼女も知らないんだよ……いや知っていた可能性もある、このままじゃメンバーにも事務所にも迷惑がかかるって。だから自らを切り捨てた。それは彼女にしか分からない」

「どちらにしたって悪いのは向こうだ、香恋の夢を妨げることは出来ない。そもそも、なんでそんなことを僕に伝えた」

 藤丸は思わず声が大きくなった。そのせいで店内にいる店員や客にもその怒りの気持ちが伝わってしまい、2人の席が注目され始めた。

 依織は藤丸を落ち着かせると、再び淡々と話し始める。


「仕事のオファーが来ないのが分かっている人を、受け入れる芸能事務所があると思う? だからうちも受け入れるつもりもないし、社長に相談を持ち掛ける話でもない。そしてこれからどこに応募してもいい結果は返ってこないと思うよ。人材を提供する側は制作側の意向に沿っていくことしかできないの……ましてや、今回怒らせたのはテレビ局の大物プロデューサーだよ、ここの業界にいたいなら怒らせる相手ではない」


「誰も怖くて歯向かえないだけだろ……香恋の気持ちは気にしなくていいのかよ。依織の事を信頼して一番に書類を送ったのに……」

 どうしたって対抗できない敵である、まだ高校生の藤丸には不満を言う事しか出来ない。


 依織もそんな憤りを感じている藤丸を憐れむ目で見る事しかできなかった。

「それはごめんね……私個人としては本当に良いユニットだと思う。だけど事務所に受け入れたいかは別の問題なの。大きなステージとかテレビとかは今後は難しいよ」

「じゃあどうすればいいんだよ……」

 大人の事情というものは時に理不尽な斧となる。香恋を再び立ち上がらせて、有紗を一歩進ませた先にある藤丸の夢も簡単に砕け割れるしかない。


 抗えない藤丸は目標を考え直すため思いつめる。


 そんな時依織が食べるために注文したナポリタンがようやくテーブルに運ばれて、依織はまた嬉しそうな顔で麺をフォークで巻きつけた。

「PRカードに動画を投稿しているって書いてあったよね、これからもそれでいいんじゃないかな。個人でやっているなら手出しはないだろうし、見てくれる人もいる。やっぱり、やれることは限られるだろうけどあの2人の可愛さと、君の編集レベルなら十分人気は出ると思うよ」

 口元がケチャップで汚れないよう、器用に依織は頬張る。

 依織の案はいわば高校生活の活動の一環としてアイドルをやるという事だ。最初はそれを否定していたが、彼女に編集を誉められてこれからも続けてもいいという気になってしまった。


「いいのかな——それで香恋のなりたいものにならせてあげられるのかな、有紗が楽しいと、アイドルをやって良かったと思ってくれるのかな」

 香恋と有紗のステージが見たい。藤丸はその原動力だけで今まで動いてきたが、そのためにも彼女たちの気持ちは何より大事であり、2人がアイドルをやりたいと言ってくれたから、今の自分がいると感謝をしている。だから彼女たちが納得すれば自分も諦めきれるのではないか。

「それは私には分からないけど、捉え方の問題じゃない?このことを香恋ちゃんには話すべきだと思う。有紗ちゃんも相談すればきっと分かってくれる」

 自分自身の状況を依織に詳しく話していない中で彼女なりに2人の事を考えてくれたのだと思うと、藤丸はこの話を『恋染ガールズ』に打ち明ける勇気が持てた。


「依織の話に僕は納得がいくよ。いろいろ調べてくれてありがとう。悪いのは向こうだけど、やってしまったことは仕方がない。それにどんなに頑張っても受け入れられないのなら意味がない……正直に2人に話して今後について相談してみるよ」

 ため息を吐いて放置していたアイスコーヒーを飲んだ。いつもは苦い無糖のコーヒーも今日は何故か美味しく感じる。


 藤丸は以前香恋とデートした時に言っていた「叶わない夢なんて沢山ある」という言葉を思い出して、その意味が良く分かった気がした。


「もっと高校生活を楽しんだら?せっかく天宮香恋と仲良くなったのだから、それに女の子に囲まれて何かをするのは楽しいでしょ」

 2人の美少女に囲まれている藤丸を想像する依織は、茶々を入れる。

「——まあ、楽しいよ」と照れ臭そうに笑った。

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