~天宮香恋~目の前の脅威
~天宮香恋~
3人が集まって、動画を撮影した日の前日の事である。有紗が家に来ないかと香恋を誘い、香恋は桶川にある染川家を訪問した。香恋もユニットとして活動する以上、一度2人きりで話がしたいと思っていたので、撮影用で使う衣装を持って、有紗の家を訪れた。
香恋は鴻巣に越してきてから、友達の家に行ったことがない。だから少し緊張しながらインターホンをならしたが、モダン的で温かみのある有紗の部屋に入ってから、落ち着くことができた。
有紗に大きなビーズのクッションにもたれるように促されると、クッションはちょうど香恋の背中の形に合わせる様に変形して心地良い所まで沈み込んだ。
「結構いいね、このクッション——落ち着く」
「でしょ、外は暑いから今日来るのは大変だったよね」
有紗はテーブルに置いてあるペットボトルのフタを取って、2つのグラスに紅茶を注ぐと1つを香恋の方へ置く。
「ありがとう、喉もちょうど渇いていた」
香恋はそのグラスに入っている紅茶を勢いよく飲み干すと、一緒に持って来ていた紙袋をテーブルの上に置いた。
「それ、例の衣装?」
「これはお土産だよ、おばあちゃんにおつかいを頼まれて、ここに来るときに買ってきたけど、家を出るとき多めにお金を貰って『友達の家にも持って行きなさい』と言われたから——良かったらどうぞ」
香恋は袋の中から、ラップにくるまれた赤飯のおにぎりのようなものを取り出して有紗に一つ渡した。
「なにこれ、お赤飯? それにしてはずいぶん重いけど……」
手に取った有紗はずっしりとした赤飯に驚いて、腕を上下させる。
「お赤飯のなかにお饅頭が入っているの『いが饅頭』って言うここら辺の一応名物なんだけど、有紗は知らない?」
有紗は生まれた場所も育った場所もここであるが、その名前を聞いてもピンときていなかった。ラップを剥がして2つに割ってみると、香恋の言う通り赤飯の中にはお饅頭が一個丸ごと入っている。
有紗は手で割ったいが饅頭の片方にかぶりついてみた。
「ここにずっと住んでいたけど初めて食べた。意外とあんことお赤飯の組み合わせがばっちりだね」
香恋は美味しそうに食べている有紗をまじまじと見つめていると、自分も食べたくなる。しかし、まずは有紗に改めて言いたいことがあった。
「有紗、言うのが遅くなったけど一緒にアイドルをやってくれてありがとう。私はステージにもう一度立ちたい。だから私の戦いに有紗を巻き込む前に、私の昔話を聞いて欲しい」
香恋はゆっくりと息を吐いて、以前藤丸にも話したアイドルから逃げた経緯を話し始めた。
自分のやりたいことを有紗と一緒に始めるという事は、喜びを共にして、困難も一緒に乗り超えるということだ。仲間である以上、これだけは話しておかないと卑怯であると思い話すことを決断した。
有紗はいが饅頭をもぐもぐと食べながらも、香恋の話している顔をじっと見つめてくれている。
「なんで香恋がアイドルを辞めなきゃいけなかったの……絶対におかしい。許せない」
香恋が話終えた時ちょうど有紗はいが饅頭を食べ終わっていた。
「許せないよね——」
有紗はその憤慨の気持ちをぶつけるために、ベッドの脇に鎮座しているくまのぬいぐるみをギュっときつく抱きしめる。
色が少し落ちているクマのぬいぐるみを見て、昔からいつも何かあると有紗はずっとそれに抱き着いてきたのだろうと香恋は推測する。
「その話を藤丸から最初に聞いていたら、私はあんなこと言わないで、一切迷わずにアイドルだってなんだってやってあげたのに。もったいぶらせやがって——」
有紗の顔はクマの背中にうずくまって固まっていた。
「藤丸君と何かあったの?」
有紗はアイドルになることと引き換えに藤丸とデートした件を言っていない。だから、香恋は有紗の言っていることが分からずにいた。
「いや、なんでもない……香恋は強いね、それをずっと抱え込んでいたなんて、私がそんなことされたら絶対に心折れているよ」
「私もだいぶ折れていたよ……」
「だからこっちに転校してきたんだ……あの時はワケを詮索してごめん」
有紗が俯いているのを見て、彼女が食堂で転校してきた理由を聞かれた時を思い出した。
「転校してきて良かったよ、私は紐をなくした時有紗を困らせた」
「それはもういいの、大事なものを藤丸が見つけてくれた、それで解決。でも、香恋の戦いに巻き込むとかは言わないで、私は自分の意志でアイドルをやると決めたの。私はダンスの授業で香恋と踊ってからまたいつか一緒に踊りたいと思ってた、藤丸から誘われた時はびっくりして躊躇したけど、今は踏み出せて良かった。だから、私は香恋にお礼を言いたい、ありがとう——」
有紗はぬいぐるみを放り投げて、香恋の方へ近寄った。決意に満ち溢れたような顔をした彼女の顔を間近で見た香恋は思わず、頬を赤らめた。
有紗のその純粋な瞳は、アイドルの魅力と憧れを抱かされてくれた天河かぐやにどこか似ている。だから、香恋はアイドルとして絶対的に必要な要素を、すでに兼ね備えているように見える彼女に飲み込まれそうで、またそれが少し脅威に見えた。
「あんまり比べるべきではないと思うけど、私が今まで見てきたアイドルの中でも有紗は別格、生まれながらのアイドルって感じがする」
幼い頃からアイドルに憧れ、芸能界に挑戦してきた香恋は本音を漏らす。
「どうしたの突然?」
「それに、女の子として本当に可愛いよね。相手に対して一途で、真摯的。だからこそ、相手もそれに応えたいと思うことができる。藤丸君が有紗と一緒に居たくなる気持ちは凄く分かる……一緒にいると楽しいし、安心するの」
有紗の事を誉めてはいるが、その声は不安げである。自分が想っている藤丸はきっとアイドルとしては自分が好きだけど、女の子としては有紗の事が好きであると思っているからだ。
「どうして、藤丸の話になるの……というかちょっと馬鹿にしてるでしょ……」
彼の話をした途端、有紗の方も弱くなる。瞳から出ている強さは一気に消滅してしまい、顔は恋する乙女そのものであった。
ネズミはチーズが好きなことが常識であるくらい、有紗は藤丸が好きであることは周知の事実であり、香恋も転校当初からそれを知っている。
自分も藤丸に背中を押されたおかげで再び夢に向かって進んでいるが、いつか180度振り向いて彼の方へ行ってみたい。しかし、そんな想いは後にしてまずは藤丸が見たい景色を見せたいのだ。
「してない。羨ましいと心から思っているの、そんな魅力いっぱいの有紗とアイドル活動が出来るのが楽しみ。そして、私達を引き合わせてくれた藤丸君の期待に応えたい。彼と一緒にいればきっと私はまたステージに戻れるんだって、見てくれる人が笑顔になれるんだって、そう信じられる」
「香恋は藤丸のためにアイドルをやるの?」
藤丸の事を想いすぎて彼の事ばかり話してしまった。有紗には自分の気持ちがバレていたようで、指摘をされる。
「私は幼い頃に見たアイドルのライブが忘れられないの。それから私はそのアイドルみたいに周りを楽しませたいと思い始めた。例えば、小さな女の子が一人でそれを見ても楽しんで見られるような、素敵な空間を一緒にステージに立つ人と観客で作り上げたい。それと、ここに越してきてからは一つ目標が増えた。有紗の気持ちを知っていて、言わないのはフェアじゃないから言うね。私も藤丸君の事が好き、彼に寄り添っていたい」
香恋は昔ステージで見た天河かぐやの様な周りを楽しませながら、迷子だった自分が安心して、さらに人を待っている時間も忘れることができるようなアイドルになりたい。そんな彼女の憧れは、沢山の人が心地よさそうに寄り添うことができる、新緑が生い茂った大木のような存在であった。
だけど、香恋も藤丸が好きである。芽生えた恋心は簡単に捨てられない。そんな彼のためもう一度アイドルの私を見せてあげたい。そしてその後は、自分でもどうなってしまうのか分からない。だけどこの気持ちは止められないのは確かであった。
有紗は面を喰らっていた。直接宣戦布告を受けるとは思っていなかったようだ。
有紗がどれほど衝撃を受けてようが、香恋の藤丸に対する思いの遠慮はない。しかし、彼女の前でそれを言うことは、尋常ではない覚悟が必要であったことが、額には大きな汗をかいていたことで実感した。
有紗は下を見つめていたが、間もなく香恋の顔を見つめなおす。
「香恋が相手でも私は勝つよ。勝たなきゃいけないし、なにより勝ちたい。私の方がファンを楽しませられる。藤丸の視線だって奪い取る、香恋なんて見ている暇もないほど、夢中にさせる」
藤丸への気持ちを正直に言えば、有紗は恐れると思った。だが、彼女の表情は一切それを感じさせない、すべてを獲りにいく目になっていた。
始めて恋をした香恋にとって、その敵はあまりにも大きい。だけど、こうして言いたいことを打ち明けて、お互いそれを否定しないで受け入れることが出来ることが楽しかった。
「うん、恨みっこなしだからね。私も絶対に負けないよ、すごい楽しみ」
香恋は拳を握りしめる。夢と好きな人の話をした2人は仲間になってライバルになった。
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