~染川有紗~宣戦布告
~染川有紗~
有紗は目を覚まして、時計を見ると30分くらい経っていたことに気づいた。
藤丸の肩から頭を離して、顔を見ると退屈そうな顔で、店内を眺めている。
「ごめん、寝ちゃってた。肩を貸してくれてありがとう——」
すっかり有紗の顔は良くなっているようで、体も軽いと実感する。
「それは良かった、そういえばさっき有紗が言っていたカップルなんだけど、有名人だよ間違いなく。お忍びで来ていたのかな。名前が分からなくてずっと思い出そうとしていたよ」
「それで、思い出したの?」
自分が寝ている間、その人物が誰であるのかを思い出している藤丸の事を想うと、なんだか可笑しく思えた。
「いや、さっぱりだ……」
モヤモヤが解けない藤丸は怪訝な顔を浮かべて呟く。
有紗の体調が回復するとフードコートで軽く食事をとった。
ようやくまた外に出ると5時が過ぎていて、暑さが引けてきたからか、園内はお昼の時よりも混雑している様であった。
藤丸はまだ有紗に過激なものは乗せられないと心配したのか、メリーゴーランドに乗ろうと勧めて来た。有紗は少し不服そうな顔をしながらも、藤丸は有紗の手を握ったので、すべて従うことにした。
メリーゴーランドに乗り終えると藤丸は満足そうな顔をする。
「そろそろ帰るか、これから電車に乗り継いで帰らないといけない」
有紗としてはもう少しここに居たい気持ちで、歩きながら園内を見渡すと、あるものを見上げて閃いた。
「藤丸、最後にあれに乗ろうよ。あれなら私でも大丈夫でしょ」
そう言って彼女が指さした先には観覧車があった。電車の窓から見えたものをこうして下から見上げると、カラフルな色をしているけれど鉄骨がむき出しで威圧感がある。
「いや、観覧車は苦手なんだよ、こうゆっくりと昇って降ろされるのが焦らされる感じがして……」
「私は高い景色が見たい」
藤丸は明らかに嫌悪感を示しながら観覧車を見上げていたが、彼女は構わずに彼の手を引いて乗り場に急ぐ。
2人は観覧車に乗ると、有紗は窓ガラスに手を当てて外の景色を見渡せる高さになるのをうずうずとしながら待っていた。
藤丸はやはり観覧車が苦手で、どこを見てればいいのか分からない様子で眼を泳がせながらも、結局外の景色を見ている有紗の顔をぼーっと眺めていた。
狭い空間が少しずつ、空に打ち上げられている。ゆっくりと昇っていく観覧車の窓から有紗はビルの谷間に落ちてきている夕日を眺めている。
そういえば昔、藤丸が迎えに来てくれた時、1人で小田原城から見ていた景色もこんな茜色の夕暮れであったことを思い返す。
あそこよりもずっと高い所から地上を眺めているけど、藤丸がそばにいるから全く怖くない——
「夜になれば、光でキラキラしている景色も見られたのかな……」
藤丸と目が合うと、狭い空間で2人きりであることを初めて意識してしまった有紗は落ち着かなくなった。
「そうだな、でも僕はどっちみち怖くて外なんか見られないよ」
「アイドルになったらキラキラしたステージの上で自由に踊れるのかな、それってどんな気分なんだろう……」
有紗はアイドルになると決めた日から『彩色マーメイド』のライブ映像を見返していた。
今までは標的であり取り込み対象の天宮香恋しか見ていなかったが、アイドルになると決めてからライブ全体を見渡すようになった。沢山の観客がサイリウムを振り上げ、その一つ一つが星みたいに輝いていると有紗には見えた。
「それは有紗自身がアイドルになればきっと分かることだから、僕は絶対2人をステージに立たせる。もちろん有紗にもこれからその努力をしてもらうけど、ちゃんと支えるから、ついてきてくれ」
自信に満ちたその眼に引き込まれる。
「そうだね——私に夢をくれてありがとう。アイドルになるチャンスをくれて私、本当は嬉しかったのかもしれないの。自分でもまだわからないけどきっとそう……」
まだ有紗はアイドルになることに自信が持てない、だけど藤丸と香恋に貰ったそのチャンスに、期待に応えたい、星のように輝く景色を上から望んでみたい。
「もしかしたら僕のお願いに無理やり付き合ってくれているだけかと思って、内心不安だった。だから今日その気持ちを聞けて本当に良かった。これからもよろしく頼む」
藤丸はかしこまるように頭を下げた。有紗は藤丸が頭を下げるところなんてみたくない。
まだ彼には自分が強引にアイドルになるようにお願いしたから、決めたのだと思われていたことが気に入らない。
「そんなことしないでよ。無理やりアイドルになんてなる訳ないじゃん。私がアイドルになりたいからなるの——」
まだ有紗にはアイドルの世界に挑戦することは不安だった。でも大好きな藤丸と、憧れでもライバルでもある香恋と一緒ならきっと出来る気がする、そう思って自分で決めたのだ。
有紗は昔から運動神経が良く、スポーツはなんでもこなせていたが、打ち込めるものがなかった。
中学の頃はバスケ部に所属していたが、熱は入らなかった。身長が中学卒業から伸びないことを高校で続けない言い訳にして、それ以来バスケはしていない。高校では熱心になれるものが見つけられず燻っている自分から目を背けて、その代わりにより藤丸に執着していたのだと自覚もしている。
しかし、そんな気持ちも体育の授業で香恋とダンスをしてから変わり始めた。
クラスメイトの女の子が皆ステージを見上げていて、緊張はしたけど見ている人たちの顔が驚きながら少しずつ楽しそうな表情に変わっていった。もしかしたら観客は香恋を見ているだけかもしれないけど、それでもちゃんと自分を示したいと踊っていた。
だから、藤丸からアイドルになって欲しいと言われたときは、自分の本当の気持ちを見つけてくれたみたいで、突然で驚いたものの、いつの間にか頭の中はそれしか考えられなくなっていた。
「そうか……それは心配のしすぎだったみたいだな——都地さんと2人なら誰も見たことがない最強のアイドルユニット出来上がる、僕はそう思っている」
「それはどうかな、今は実力も人気も香恋の方があると認めるけど——私だけが人気になって一人勝ちってこともあるかもよ」
「頼もしいな——本当にそうなる未来が見えそうだ」
藤丸は温厚な表情で頷く。
「私は本気だよ——」
有紗は笑いながら吐き捨てると立ち上がり一歩前に出る。
藤丸の脚の間に、有紗の脚が入り込み腰を曲げると、至近距離で顔を合わせる。
それに驚いて顔を上げた藤丸の唇の方へ有紗は顔を落としてキスをした。それは軽いキスで、わずかな時間であったが、確かに薄桃色の唇が触れ合っていた時間、観覧車は最高到達点を迎えていた。
有紗は満足げに椅子にのけ反っている藤丸を見下ろしている。藤丸は声の出し方を忘れたのか、口をパクパクさせていた。
目を丸くさせながら、顔を紅潮させている藤丸のことを目に焼き付けられるように有紗はずっと彼を見つめていた。
「今日で私の夢は一つ叶った。だからこのキスは次の夢に向けての一歩目」
有紗にはもう一つアイドルをすると決めた理由がある。
藤丸はまだ香恋に夢中である。それに彼女の大事な赤い紐を藤丸が見つけてから、香恋も彼の事が好きであることは有紗から見ても明らかであったし、その問題から目を背けられない。
このままでは全部彼女に持っていかれる。
だとしたらもう、香恋と同じステージに立って戦うしかない。
アイドルになって自分はただの香恋の引き立てになってしまうことになろうと、絶対に食い下がらない。恋の宿敵になろうと、自分が絶対に勝つ。このキスは藤丸を骨抜きにさせるための第一歩で、有紗は心の中で夢を宣言した。
女の子としてアイドルとして、香恋に負けない私になる——
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます