~小鴨藤丸~染川有紗は決意する

~小鴨藤丸~


 藤丸は出遅れたが有紗を追いかけようと、勢いよくリュックに物をしまい込み、ハンバーガーの包み紙やコップが載ったトレイを有紗の分も片付けて、彼女に追いつこうと走り出す。


 有紗は鴻巣駅の構内の改札をすでに抜けていた。

 幸か不幸か先ほど電車は出発したばかりで階段でホームには降りずに、駅舎の窓から出発した電車を眺めていた。


「有紗、待ってくれ」

 藤丸もICカードを改札に叩きつけて、肩で息をしながら少しずつ彼女に近づいていく。


「電車行っちゃったみたい」

 追いつかれたことに堪忍した有紗は踵を返すと、はにかんだ。

「有紗、悪いけど今決めて欲しいんだ。僕らにはあまり時間はない」


 藤丸は右腕を伸ばし、有紗の顔の横から腕を流すと、駅舎の壁に手のひらを付けた。有紗は逃げ場がなく、壁に背中をぴったりとつけている。向かい合う2人の距離は数センチで、藤丸はここまで走って追いかけてきたせいか、息が荒くて、その吐息は彼女の前髪にかかっていた。


 藤丸は有紗に決断してほしかった。問題は山積みで、一日の行動で将来が決まる。大げさではなくて、アイドルを目指してもらう以上一日も立ち止まっている暇はない。


 なにより藤丸には有紗が必要だ。

 香恋がアイドルを目指すにあたってこの先に心が折られる思いをまたしてしまうことがあった時、もう立ち上がれなくなる。だけどそんな時、有紗なら香恋を支えられる。


 もちろん、有紗と香恋の2人ユニットなら向かうところ敵なしとルックス的な意味でも思っているが、藤丸は有紗を幼馴染として心から信頼している。


「アイドルの世界に飛び出せって言うの? 絶対無理だよ」

「きっと有紗にとっても楽しい経験になる……僕は3人でやっていきたいんだ」

 有紗には辛い役目になってしまうが、明るくて面倒見が良い彼女にしか出来ないことであると確信している。


 もう一つ欲張りな感情であるが藤丸自身もそばにいて欲しいと願っている。有紗と一緒なら自分は安心してどんなことだってできる気がしているから。

「藤丸の気持ちは分かった。でも、私はアイドルになってたくさんの人に応援されたいとか、見てもらいたいとか思ってないの……ずっと藤丸だけに見てもらえればいいの」

 顔を赤く染めながら至近距離にいる藤丸に改めて直球の想いを伝えた。


 有紗の気持ちは藤丸に昔から届いている。有紗が告白しないからと、幼馴染の関係に留まらせておいて、それをお互い納得している事であると盲信して、彼女の気持ちを受け止めないでいた。


 そんな自分が有紗の気持ちを考えずに「アイドルになって欲しい」よく言えたものだと、自分を責めている。

「こんなこと頼んだら有紗は怒るだろうなって思っていた。それでも有紗だけにしか頼めない事なんだ……だからアイドルになった有紗を僕に見せてくれないか。僕もこれからちゃんと有紗を見る——」


 その瞬間有紗の正拳が藤丸のみぞおちに直撃した。

 藤丸は膝をついてしまうほど痛がっていている。


 耳の端まで紅潮している香恋は、お腹を抱えている藤丸をじっと見つめている。

「藤丸にそこまで言われるなら、やるしかないじゃない……」

「——ああ、ありがとう」痛みをこらえて藤丸は声を絞り出した。

 自分に向けられている有紗の気持ちを知っていて、自分の頼みを断らない彼女を利用して、有紗にアイドルをやってもらうことは重々承知している。殴られても当然だ。


「——ちゃんと私の事も見ていてね。それで、私の方が可愛い時は直接言葉で伝えて。それでもしも、私の方が人気になったとしても後悔しないでね。案外、天宮香恋なんてすぐに追い抜くと思うから」


 藤丸は見上げて彼女の顔を見ると自信満々な笑顔に変わっていた。まだ顔は赤いが、見上げた藤丸の目を真っすぐに見ている。そして、藤丸は彼女の笑った顔を見るとほっと安心した。

「約束するよ——」

「それと、一つ条件がある」

 有紗は髪の毛を何本かくるくると回し始めた。


「何でも言ってくれ、できることならやるよ」

 藤丸は少し嫌な予感がしたが、アイドルをしてもらう以上、有紗には恩返しをするつもりであった。

「私とデートして」

「なんでそうなる?」

「だってアイドルになったら、恋愛ができないじゃない。だからなる前にしておくの、昔からの私の夢だったし、藤丸の夢も叶えてあげるんだから私のも叶えて貰ったっていいでしょ、この条件だけは呑んで」

 筋の通った理論に藤丸は思わず笑ってしまった。


「じゃあ試験が終わったら、とことん付き合ってやるよ——」

「その時は、アイドルの事とか、天宮香恋の事とか忘れてね。私だけの一日にしてね」

「はいはい——分かってますよ」

 真っすぐで我儘な有紗のお願いを、顔を赤くさせながら藤丸は頷く。気がつくとそろそろ電車が来る時刻で、駅は賑わいを見せていた。

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