もう一度ステージに立つために

~小鴨藤丸~最強のユニット

~小鴨藤丸~


 荒川の河川敷から、香恋を家まで送り届けた。

 香恋が再びアイドルを目指すことを決心してくれた。しかし、闘いはこれからである。


 藤丸は告白した方が楽しい高校生活になったのではないかと考えると少しばかり後悔はある。それでもなお、藤丸がそれを選びきれなかったのは、もう一度天宮香恋がステージに立つ景色を見たかったから。だから彼は選ぶことができなかった。


 しかし、今は香恋が決めた選択を後悔する気持ちなど微塵もない。

 一人で鴻巣駅まで帰る途中、藤丸は半日紐を探しまわった後に、彼女の口から引退の真相を聞いて体も心も疲労困憊していた。そんな時、最後に行ったライブを思い返した。


 去年の夏に行われた『彩色マーメイド』の単独ライブ。大きなドームでも、何万人も収容できるような野外ステージでもなかったが、圧倒的な歓声と熱気に包まれた。藤丸にとってあれほど熱狂的になれた思い出もない。何十メートル先に推しの天宮香恋がいる。ステージにいる彼女を見上げながら、来年も、再来年もずっとずっと解散するまでライブに応募して見に行こうと決めていた。そして叶うのなら、これからはもっと大きいステージで、たくさんのファンとそのライブを見たい。彼女たちの快進撃がこれから始まるという時に、天宮香恋が引退した。


 そんな出来事をただ受け止めて絶望していた頃とはもう違う。一番つらいのは彼女であったと、自分は泣いてはいけないと拳を握りしめる。

 天宮香恋を芸能界から追い出した番組プロデューサーや事務所、そして今まで一緒に苦難を乗り越えてきたはずの『彩色マーメイド』のメンバーが裏切った事を自分は許すことができない。


 この気持ちは本来持つべきものではない。何故なら自分はただのファンで関わる問題ではないから。

 それでもでもファンであり、クラスメイトの自分だからこそ、どうにかしてあげたいと思ってしまった。彼女がステージに立ちたいと望む限り、それを阻む存在を断ち切りたい。なによりまた天宮香恋のステージを見たいのだ。


 テレビ局一社が出入りを禁止されて、所属事務所に厄介だと思われてもまだ彼女が挑戦するチャンスは何度だってあると、今の藤丸は思っていた……


 7月上旬、1学期の期末試験まで3日を切っていた。鴻巣西高校は進学校というわけではないので、定期試験というイベントが近づいていても、学校の雰囲気はピリピリもバチバチもしないが藤丸はテスト勉強をする。


 藤丸は一応優等生で学年総合30位以内に入っている。しかし今回は『天宮香恋復活計画』を練っていたため、今日まで一切テスト勉強をしていない状況であった。

 だから、今日はまっすぐ家に帰って勉強をしようと考えていたが、有紗に「勉強を教えてと」お願いをされた。普段であれば断る藤丸も、有紗に話しておきたい事があったので一緒にハンバーガー屋で勉強することになった。


 藤丸はノートと授業で使ったプリントを見ながら、内容を振り返ろうとしていたが、有紗は集中できてないようで、ずっとシェイクをストローで啜りながら藤丸の様子を見ていた。

「ねえ、勉強しないなら帰らせてもらうけど……」

「やる気はあるよ。藤丸のノート移したいから、使わないやつ見せてもらおうと思って」

「怠惰な奴め——」

 藤丸はリュックの中から化学のノートを取り出して、有紗に渡した。彼女は嬉しそうな顔でノートをぺらぺらとめくると、まっさらなレポート用紙を取り出してそれに移し始める。


「ありがとう、というかいつもの事でしょ——」無邪気な顔で笑う有紗を見るとどうしても許してしまう藤丸は、今回もため息を吐きながら、ノートを睨む。

 有紗になにかお願いされた時、自分は応えてしまう。宿題を見せて欲しいと言われたとき、男子全員の前で合唱コンクールを本気で歌って欲しいと言った時、2つ入りのアイスを1つ欲しいと言われたとき。自分のそばにいつもいるのは有紗で、尽くしているのは自分の方だと思うけど、一緒にいると自分自身が大きな木に寄り添っているような安心感がある。断ることなんて「どこか2人で遊びに行こうと」言われる時くらいだった。


 今日はそんな有紗にしかお願いできないことが藤丸にはあった。

 有紗に言いたいことをどう持ち込もうか、ペンを動かしながら考えている。言うのを先送りにするほど緊張感は強くなって、ノートの内容が頭に入らない。


 タイミングを考えてもキリがない藤丸は炭酸の抜けきったコーラを一気飲みして、勢いよくコップを机に置いた。

「有紗、そのまま勉強しながら聞いて欲しい」

 藤丸のノートを丸写ししている有紗はその声の真剣な雰囲気を察して、顔を上げた。

「どしたの、急に」

 ノートから目を離して藤丸の方を見る。


「突然なんだけど、アイドルをやることに興味はありませんか?」


 その震えた小さな声は、彼がスカウトマンであったら絶対に通行人は引き留められないだろう。


「なんで敬語?」

 有紗は半笑いで藤丸を見つめていた。

「こんなセリフ言うもんじゃないな……はっきり言う有紗にアイドルをやって欲しい」

 今度は駆け引き無しのストレートに言った。

「もしかして、その話香恋の件と関係あるの?」

 有紗は香恋がまたアイドルを目指したことを知っている。藤丸は彼女に言っていないので、香恋が直接言ったのだろう。


「関係ある、有紗もアイドルになって都地さんと2人のユニットを組んで欲しい。彼女を支えて欲しいんだ」

 有紗を巻き込もうとしているのは香恋一人ではステージに戻れないと考えているからであった。ソロ活動はどうしてもやれることの幅は狭まってしまう。だからユニット活動が理想的であった。そして、そのパートナーに相応しいのが幼馴染の有紗なのである。


 有紗は冷たい目つきで藤丸の方を見ていた。その冷たい目つきからジワリと熱い涙がこぼれている。

「ふざけないで。私は香恋を引き立たせるためにアイドルにならなきゃいけないの? そんなの絶対イヤ」


 そんなこと藤丸は一切思っていないが彼女にはそう聞こえてしまい、有紗に落ち着くように言って、話を聞いてくれるのを待った。

「これは有紗にしかお願いできないことなんだ、有紗が香恋と組めば最強のユニットが出来上がると思っている。もちろんそれは有紗が引き立て役をするからじゃない。天宮香恋くらい可愛い人を僕は有紗しか知らないからだ。だから、アイドルになって2人で高め合って欲しい」


 有紗に話したその理由だけではないのだが、それを直接話すのは恥ずかしい。

「今『可愛い』って言った? 私のことそう思ってくれていたの?」

 彼女はまるでそこしか聞いていないような感じであった、有紗は両手で頬を当てながら、顔を赤くしている。

「ああ、言ったことないっけ」

「ないよ、馬鹿馬鹿ッ」

「それはごめん——」

「本当に思ってるの?」

「ここで有紗に嘘つけるほど肝は座ってないよ」

「もういい……少し考えさせて。私、今日はもう帰る——」

「ちょっと待ってよ」


 有紗は藤丸から借りたノートごと机に広げている物を鞄にしまい込み、席から立ち上がった。藤丸が止める余裕もなく、そのまま、お店の外に出て駅の方へ向かった。

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